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  往復書簡07  


 二千光年近い旅を終えて子爵領の主星ブラウに到着したユリウスは、儀礼的挨拶をまずは交わし・フォン・との再会を喜んだ。迎えの地上車に乗り込み、広い空間の取られた後部座席に子爵家の令嬢と並んで座る。運転席では子爵家の黒髪の護衛がハンドルを握り、助手席の位置にはヴァルター・ゲーリングが座を占めていた。
 屋敷へ直行せず街を見て回るかと訊ねられたが、ユリウスは子爵夫妻への挨拶を先に済ませることにした。彼らの出方によっては、ユリウスもとの接し方を考えねばならない。
 だが彼が対応を決断する材料を得る以前に、先手を打ったのは・フォン・であった。
 再会から間もない緊張からというべきか無難な天気や景色の会話を交わしていると、ユリウスはしばしば話題の変わり目に一瞬の間が生じることに気付いた。は何か言い出しあぐねているようにも見えたが、ユリウスは問い質すようなことはせず成り行きに任せた。
 すると黒髪の少女は子爵領の地理と産業構成の話を終えたところで小さく咳払いをして、何かを告げる決心をしたようだった。
「ユリウス様、ひとつ謝らねばならないと思っていることがあるんです」
 黒髪の少女は恥じ入るように左右に視線を彷徨わせた後に深呼吸を一度して、一息に語り始めた。
「こうしてユリウス様がいらして下さっているのに今更申し上げるのも失礼なことかもしれないですし、ユリウス様がそんなつもり毛頭ないかもしれないと思ってはいるのですけれど、実は殿方を家に招く意味をつい先日知りまして、大変な厚かましい招きにユリウス様もご迷惑だったのではと…その、私は世事に疎くてまさかそういった暗黙の了解があるとは露知らず…ごめんなさい」
 ユリウスは自らの思惑を隠し、表面上は躊躇なく謝罪を受け入れた。
「恐らくそうだろうと考えていましたから、お気になさらず。僕も今日は特にそのような目的で参った訳ではありません。ただ、貴女に会いに来ただけと思って下さって構いません」
 具体的に何が『そのような目的』であるのか明言するのは野暮というものだし、明確に将来的な展望を望まないと否定するのも避けるべきだった。
(今は、まだ)
 とその両親、そして現在も子爵家の重鎮たる彼女の祖父の為人を更に探るためにも、こちら側から相手の行動を促すような判断材料は与えるべきではない。
 少女はぱっと顔を輝かせ、大きく頷いて安堵の溜息を漏らす。その様子を、ユリウスは笑顔で不躾にならぬよう気を配りつつ、密やかに観察した。
「ユリウス様がお屋敷にいらっしゃるという話になった際の両親の反応や、ほら、お誘いした時のユリウス様のお返事も慎重なご様子だったから、なんか変だとは思っていたんです。けれど会って遊ぶつもりが一足飛びにその手の事柄に直結するとは、さすがに想像してなくて」
「お会いして間もない間柄で申し上げるのも失礼かもしれませんが、僕が抱いた印象では嬢は宮廷の習わしや風聞といった話題がお好きではないようでしたので、もしかしたらご存知ないのではないかと思っていました」
 は続いて、いかに謎の真相を暴くに至ったかと笑い話を始めた。
 相槌を打ち、合間に言葉を挟みながら、ユリウスはしかし今こそが慎重を要する時期であると内心で案じていた。
 本当に、は彼が子爵領を訪れる直前まで貴族の慣例を知らなかったのだろうか。の家族は、どのような意図で娘の『友人』を招くつもりだったか。
(なぜは僕と親交を深めようと思ったのか)
 情が湧いた風でもなく、ただ情報交換や日常会話を楽しむ為だけに彼女は自分に接近したのだろうか。は、ヴィーゼ伯爵家の半公然たる家族内の不和を既に耳にしているのだろうか。何らかの思惑の上で、ユリウスの歓心を買おうとしているのではないか。
 石橋は何度叩いても、叩きすぎるということはなかった。そうせねばならない位置に、ユリウスは甘んじなければならないのだった。
 最近は興味津々の黒い瞳でフェザーンについて訊ねてくるが、ある部分の世事に全く疎いことは、幾度かのやり取りでユリウスは理解していた。彼女は貴族社会の噂には殆ど興味を示さなかったし、政治や経済にまつわる貴族の家名でなければ諳んじることもできない。ましてや、他家の内実を自ら知ろうなどとは思いつきもしないのだろうと、ユリウスは思う。
 それが十歳とは思えぬ才覚を持つ少女の緻密な計算による演技ではないかと、口うるさい父の子飼い護衛に言われるまでもなくユリウスは何度となく疑問を検証した。知己を得たのは偶然とはいえ、ヴィーゼ伯爵家の名に魅力を覚える貴族は数多いて、の身分を思えば安易に心を許すことは困難である。ユリウス自身がそうであるように、外面も言葉も行動も、注意を払えば取り繕うことができる。自身の内と外の乖離を知る分、彼は他者を容易に信じることができなかった。
「お母様がそのように仰るものだから、私は慌ててお祖父様の所へ行って深い意図はなかったとお伝えしました。両親はロマンチックなお話が好きな方々だから、私がいくらユリウス様を『普通に』招いたと申し上げても、恥ずかしがっているとしか受け取らないことは目に見えていましたので」
「それで、嬢のお考えは御両親へ無事に伝わったのですか?」
「お祖父様が私の意見を伝えて下さったそうですが、なんというか、人って自分の思いたいように思い込む側面がありません? つまり結論が既に定まっているから、途中経過が変化しても結局は同じ所に辿り着くというか。だからですね、両親が何かおかしなことを口走っても、彼らはちょっと夢見たいお年頃なんだと思って下さい。本当は誤解を訂正してユリウス様をお迎えするのが筋というものですが、私が子供だからどうも言葉の重みがないようで、説得できないままになってしまいました」
 十歳の割に、大人たちのことをよく知ったような口振りが可笑しくて、ユリウスは赤いドレスを纏った少女に今度は意図的に作ったものではない笑顔を向けた。
 この肩肘張らない雰囲気が、ユリウスは好きだった。・フォン・の振る舞いが作り物ではないと、素直に信じてみたいとも思う。
 子爵家の令嬢に疑惑を向けるべきと思う度、彼の脳裏には初めて出会った日のことが繰り返し思い出された。
 他愛ない話をし、心底から楽しいと思う会話は久しぶりだった。打算も何もなく、笑うことが自然に思えたことが心地よかった。
 だが全幅の信頼と無条件の好意を寄せるに足るほど、ユリウスはと接した訳ではない。貴族であれば逃れられぬ、家名のしがらみもある。
(寝首を掻かれぬように。お前を狙う者はどこにでもいる)
 ふとした瞬間に耳朶の奥に蘇る言葉に、腹の底に溜まった痛みが疼く。
 彼は黒髪の少女の笑顔の真贋を見極めるために、子爵領への招待に応じることにしたのだ。そのようにユリウスは己に言い聞かせ、希望的観測に縋りたくなる気持ちと、身の裡に響く恐ろしい囁き声を振り払った。
「あ、そろそろ着く頃です。この並木道を抜けると、門が見えるんです」
 の明るい声に意識を流れる景色へ戻せば、地上車はゆっくりと開かれた背の高い門扉をくぐるところだった。屋敷の敷地内へ入ると小さな川にかかった短い橋を渡り、曲線の多い坂道を上っていく。道の端からは木の枝がしなだれかかっている。
「よくある作りのお屋敷ではないのですね」
 オーディンなどでみかける貴族の館は、威容を見せつけるよう門扉から屋敷の玄関まで直線的に続いていることが多い。
「それは当家が武を尊ぶからだと、お祖父様が仰っていました。私も同じような疑問を持ったので尋ねたら、いかにご先祖様が攻めにくいように屋敷を建てたかを自慢げにお話されてましたから」
 地上から侵攻しにくいのは勿論、上空からの爆撃なども考慮して屋敷の後背には山地を構え、対空砲を要所に設置することで航空戦力にも対抗できるのだという。
「今は皆無ですが、この惑星の開拓初期には宇宙海賊が地上に降下してくることもあったそうで、こんな形になったそうです。おかげで手入れがしにくいと、庭師たちがぼやいています」
 緩やかな坂道を登り終えると、子爵家の邸宅が目に入る。質実剛健というほどに質素ではないが、オーディンに居を構える貴族たちの屋敷に比べれば装飾が少なく、武骨な印象の構えである。玄関の前には使用人たちが並び、ユリウスの到着に頭を下げた。
「ようこそいらっしゃいませ」
 背の高い銀髪の執事が進み出て、地上車を降りたユリウスをと共に屋敷内へと導く。
「ただいま、クラウス。お父様たちは?」
「応接間におられます。大旦那様もご一緒です」
「案内は私がするから、お茶をお願い」
「かしこまりました」
(子爵夫妻の出迎えがないということは、僕は嬢個人の客人とみなすということか)
 の言うよう、今回の屋敷訪問は貴族の若い男女における交際にまつわることではなく、あくまで単なる訪問に過ぎないという無言の主張をユリウスは受け取った。
「こちらへどうぞ、ユリウス様」
 の後についてホールを抜け階段を上がり、多くの肖像画が睥睨する廊下を渡ってゆく。幾つかの名画と呼ばれる絵を捉え、ユリウスはの父が絵画に造詣が深いという調査報告書の一文を思い出した。
 子爵家は、数千家以上が名を連ねる帝国貴族の中ではまずまずの家格を保った家柄であった。
 ゴールデンバウム王朝開闢以来の名家と呼ぶには、鳥に白樺紋の歴史は浅い。しかし百年以上も綿々と軍人を輩出し、先代領主は帝国の英雄と昔日の誉れを得た人物である。軍関係者からすればの名は無名とはいえず、有領貴族として経済的にも裕福な方に分類される子爵家ではあった。
 領地経営は順調で負債もなく、辺境とはいえ有人惑星を有する星域を門地とする子爵家であり、カール・フォン・子爵及びその妻ヨハンナは穏健派で他家との抗争は特にない。政務は現在も主に先代当主コンラッド・フォン・が執り、海賊討伐を名目に揃えられた私兵団艦隊は千隻規模であるという。
 子爵家は差し迫って金が必要であるとか、ヴィーゼ伯爵家に阿る必要がある立場ではないが、将来的にそうなる可能性は幾らでも存在し、野心的な貴族であれば権勢を強めるための画策は常に行うものだった。
 子と親は別物であり、の父や祖父の性質が令嬢のそれと似ても似つかず、調査書にある穏和という文言と異なろうとも驚きはすまいと、応接間の扉を開く黒髪の少女の後ろ姿を見てユリウスは思う。
 だが現実は、幸か不幸かユリウスの想像を大きく裏切るものだった。

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