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  往復書簡02  



 領地経営の実践を見学するという名目で出入りしている統治府から戻ると、随分と機嫌の良いヨハンナが玄関ホールで を出迎えた。
「お帰りなさい、 。貴女が帰ってくることが、お母様はとても待ち遠しかったわ」
「ただいま戻りました、お母様」
 笑顔で両手を広げて腰を屈めたヨハンナへ近付き、軽い抱擁を交わす。いわゆるハグで頬と頬をくっつけるのが、外出から戻った際の 子爵家における親子の儀式の一つだった。
「カール様とお義父様は、まだ統治府に?」
 ゼルマに外套を預けつつ、 は立場上は母にあたるヨハンナへ答える。
「ええ、本日の会議は遅くまで終わらぬだろうからと、私は一足先に。お父様とお祖父様は夕食もあちらで取ると仰せです」
 会議の進行は気になったものの、どうやらコンラッドが本日のところは息子のカールへ集中講義を試みるようで、孫娘には帰宅を命じたのだった。カールはやや気乗りしない様子だったが、一応は領主としての自覚はあるらしく、不満を零すことなくコンラッドと共に統治府に残った。
 ヨハンナは の返事に、それは丁度よかったと、両の掌を軽く打ち合わせ微笑んだ。
「それなら今日は二人きりね、 。お母様と秘密のお話を沢山致しましょう?」
 秘密とはどんな秘密についてか、とは は尋ねたりしない。既に予想はついている。
 まずは、どのように両親が出会い、恋に落ち、恋文を交わし、愛を育んだかというノンフィクションのラブストーリーを聞かされるはずだ。その後、ヨハンナは娘に対し、こう訊ねるに違いない――――好きな殿方は、どんな方ですの?
 ヨハンナは今年32歳になるというが、 よりよほど(精神的に)若々しい少女のような女性だった。我が身となっている の母に対し失礼を承知で言うならば、いわゆるお花畑に暮らしている雰囲気をまとっている。汚れを知らない貴族令嬢とはヨハンナのような人物を指すのだと、 は令嬢の模範を見る思いだ。大らかで忙しなく動くことは決してなく、優雅で柔和な性質の人だ。毎日が幸せ一杯なんだろうと、側にいればわかる。悩みが多そうには、いつも見えなかった。そう思わされるほど、この によく似た面差しの女性は、笑顔でいることが多い。
「けれど、その前に、 、貴女に良いお知らせがありますの」
「何でしょう?」
 上機嫌なヨハンナは、ゼルマがタイミング良く差し出した物を受け取り、 に見せびらかすように手に持った。
 それは薄い翡翠色の封筒だった。その表に の名が流れるような筆跡で記されている。
「お手紙が届いたのですよ。誰からか、おわかりになる?」
  にはすぐに差出人が思い浮かんだが、口には出さない。言えばきっと、想い合う愛の力うんぬんとヨハンナが語り始めることが予想されたのだ。
「わかりません、お母様。どなたからでしょう。さっそく読みたいのですけれど」
「お母様には貴女の心が理解できましてよ、 。自分に届く手紙は待ち遠しいものですわ。それが殿方からのものかもしれないのなら、なおさら!」
「…ええ、そうですわ、お母様。気になって仕方がありませんから、意地悪せずに手紙を私にお渡し下さい」
 少し投げやりになっていた娘の声音に、ヨハンナは気付かなかったようだ。まったく、人は見たいように見て、聞きたいように聞くといった昔の心理学者の言は正しいと は思う。物事を理解するためのフォーマットが、ヨハンナの場合は恋愛の形に歪んでいるに違いなかった。
「あら、意地悪するつもりはありませんのよ。でもそうね、ごめんなさい、このように貴女への手紙を取り上げるようにするのは確かに意地悪かもしれませんわね。さあ、ゆっくりご覧なさい」
「そうさせて頂きます。部屋に戻ってゆっくりと」
 手紙を受け取って階段を上りかけた に、背後からヨハンナの声がかかった。 
「後でどのようなことが書かれていたか、お母様にお話しして頂戴ね、 。貴女の幸せの手助けを、お母様もできるかもしれませんわ」
  は努めて笑顔を作った後、振り向いて頷き、感謝を述べた。
「はい、お母様」
 ヨハンナが望むような事柄が書かれているとは思えないが、娘の交友関係を知りたいと思うのは親としては普通のことだ。手紙を読んで差し障りがなければ、内容を語って聞かせることくらい訳もない。
(まあ、あわよくば良い縁組みが…と思ってるだろうし)
 封筒を裏返せば、達筆な署名とヴィーゼ家の紋章印が押されている。天秤に斜めにかかる叡智の杖と三連星。 にはさっぱりわからないが、見る者が見ればヴィーゼ家が貴族でも商いを得意とする家であることがわかるという。ちなみに 子爵家の紋章は、白樺を背後に羽ばたくカワセミがなぜか口から炎を吐いていたりする、可愛いのか猛々しいのかわからない意匠である。武功で成り上がった家だけに珍しい紋章にも由来があるのだろうが、今の が求める知識は貴族に必須の紋章の読み方ではなく、銀河帝国における政治経済の成り立ちであるので、謎は放置されたままだ。
 私室の扉を開け、部屋の中央に鎮座するソファに は座った。本当はさらに奥の寝室のベッドに寝転がってだらだらしたいが、令嬢らしからぬとゼルマに説教されるのは目に見えてるので堪えた。 が故郷を恋しいと思う機会は度々あったが、腰を下ろす場所が椅子やソファしかない現在の生活スタイルに不便を感じる時もそうだった。銀河帝国は屋内でも靴を履いたままなので、床に座ることも寝転がることも出来ない。読書も基本的に机に向かってすべしと言われると、畳の上に腹ばいになって本を読んでいた日々が懐かしく思えた。
(それはともかく、今回は普通の手紙か。万年筆送ったから、手間をかけさせちゃったかな)
 帝国歴477年ともなれば自らの手で文字を書き連ねる労力をかけずとも、機械に向かって喋ればさながらビデオレターのように仕立ててくれるシステムが存在していて、手紙といえば今の世ではそれを指していた。データディスクを機械にセットすれば、三次元ホログラムとして現れた手紙の主が、手紙を受け取った側に語りかけてくれるのだ。
 以前、ユリウスから受け取った手紙は、この時代では一般的な三次元ホログラム付きの手紙だった。見舞いに行けなくて申し訳ない、大丈夫だろうかと心配をしてくれるユリウスの姿を見ながら、 は心癒されたものだ。パーティで短い時を過ごしただけの間柄であっても、遠方から自分を心配して便りをくれる人物を好もしく思わないはずがなかったから、 は当然すぐに返信を書こうと思い立った。
 しかし は返信に際して三次元ホログラムを用いず、手書きで便箋にメッセージを書く方法を選んだ。
 その理由は単純だった。真心を込めるためには手書きが一番、という信念があったわけではない。一人で機械に向かって喋るのが、どうしても気恥ずかしくてならなかったのだ。もともと写真を撮られることさえ苦手な質なのに、無人のレンズに向かって一人語りが流暢に出来るほど は器用ではない。
 銀河帝国の貴族間では、今も手書きの手紙をやり取りすることも皆無でないとヨハンナに聞いて、 は迷わずペンと紙を選んだ。メッセージをしたためるのに手間と時間はかかるものの、一人芝居に汗をかくよりは我慢できる。
 心優しいユリウスであるから、こちらから手紙を送ればそのうち返事が来るだろうとは思っていたが、同じように紙を使ってくるとは思っていなかった である。
 封筒の色合いは 子爵家の紋章の鳥にかけたのだろう、薄い青緑が清廉な印象を与える。
  は封を切って三つ折りにされた滑らかな心地の便箋を開き、ユリウスの達筆な文字を目で追った。


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