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02

 ロイエンタールは思惑通り言葉一つ『欲しい』というだけで、半年待ちの人気の菓子を入手することができた。
「オスカー様のお願いなど、何度もあるものではありませんもの。一箱と言わず、全て差し上げます」
 珍しい柄と手触りの紙に包まれた菓子三箱の返礼として、ロイエンタールは日夜を問わない丁重な取り扱いに加え、普段はあまりせぬ贈り物を女に渡した。
 それだけで自分が相手にとって特別な存在と思い込むお気楽さを、彼は左右異なる色彩の瞳で冷ややかに眺めた。面倒事が増えそうだと、ロイエンタールは近い内に女へと別れを告げることを決め、けれども今日のところは菓子の礼は充分に述べて逢瀬を後にする。
 調べてみると、『栗きんとん』なる面妖な名の菓子は、本当に手に入れることが困難なようだった。
 栗が生る晩秋以降、半年間だけ出回る品であることに加え、数年前から耳にするようになった『和風』という系統の食べ物らしく、その『和風』を有り難がる流行に敏感な者(という名の単なる軽薄な浮草のごとき貴族たち)がこぞって買い求めるという。
 価格は平民でも手が出るものであるが、供給が需要に追いつかない状態では、身分もあり、金もある貴族が自然と独占する形になってしまう。それを憂えた経営者は、完全予約制として身分の別なく順番通りに品を売るようになったという話も、女から仕入れた情報である。
 しかしロイエンタールはさほど甘味に興味は持たぬ性質だったため、女の説明に『栗きんとん』が栗の菓子なのだと新たな知識を得たのみで、それら三箱全てを友人へ譲渡することにした。これも一緒にどうぞ、と貰った緑茶という茶葉も菓子に合うというから、珍しい木の筒に入れられたそれも土産物の袋へと加えた。
 日持ちのしない菓子だからと、女から受け取ったその日の内に訪れたミッターマイヤー家の玄関で、ロイエンタールは既に習慣になりつつある通り礼儀以上の何物でもない花束を夫人に、そして土産を僚友に手渡した。
「先日、卿に頼まれたものだ。卿から渡すがよかろう」
 手元の箱と金銀妖瞳を見比べ、ミッターマイヤーは盛大に破顔して隣の新妻へと向き直る。
「エヴァ! エヴァ! これを見てくれ、ロイエンタールが君の欲しがっていた『栗きんとん』を手に入れてくれたんだ」
「まあ! ロイエンタール様が?」
 きらきらと輝くすみれ色の瞳に見つめられ、ロイエンタールは舌打ちしたくなった。このような女の純粋なる感謝の視線など、居心地が悪いだけである。
 渡しに来ただけと辞去しようとするロイエンタールを、人柄が良いと評判のミッターマイヤー夫妻は当然の如く引き留めた。
「手に入れにくい菓子なのだから、卿も食べていけ。それに二人では、このように沢山食べられないからな」
 強引に家の中へ引き込まれ、ロイエンタールは不本意なことに三人でテーブルを囲むことになった。
 ロイエンタールとしては、気の進まぬことこの上ない。
 ミッターマイヤーは旧知の仲と言えるが、その妻である女とは結婚式と、今月に入ってこの家を訪れた二度を加えて三度しか会ったことはなく、しかもそのどれもが短い儀礼的応酬に終始していた。
 僚友が妻を迎えていなかった時分には特段の気兼ねなく訪れていたミッターマイヤーの住処にも、一応の礼儀として花束を携行せねばならず、夫の友人を手篤くもてなそうとしてくれる女の存在が、ロイエンタールには時にひどく疎ましく感じられることもあった。
 友を取られたと、子供のごとく嫉妬しているわけでは勿論ない。女という生き物全てを厭う気持ちが、身の裡奥深くに根を張っているからである。
 ミッターマイヤーの妻がエヴァという名のクリーム色の髪の女であろうがなかろうが、ロイエンタールには与り知らぬことだった。僚友で選んだ相手なのだから、他よりは『マシ』な女なのだろう。
 とはいえ貴族的社交術を心得ている彼は、一度たりとてそのような己の内面的思考を行動に表したことはない。女性に対する礼を尽くしつつ、しかし距離を置いて、彼はミッターマイヤーの妻と接している。
 もとより男女問わず他人には冷淡な振る舞いをすることが多いロイエンタールだから、ミッターマイヤーもエヴァンゼリンに対する僚友の余所余所しい態度を疑問に思っていないようである。
「緑茶というのは初めて淹れたので、美味しいかどうかわかりませんが…一応、添えられていた淹れ方の手順どおりなのですけれど」
 ガーゼのような手触りの薄紙に包まれた菓子が、それぞれの皿に三つずつ盛られ、緑茶という見慣れぬ黄色と緑の合間の色をした茶が用意された。
 満面の笑顔を浮かべるミッターマイヤーとその夫人が、これはどう食べるのだ、この包み紙は珍しいと言葉を交わす様子を観察しながら、ロイエンタールも菓子を手に取る。品書きを読んだ夫人の言によれば、包み紙を開いたらフォークを使わず手で食べるものらしい。
 人気が高いと言われる菓子であるから、さぞや凝った細工が施されているのだろうと思いきや、白の包みから出てきたのは変な模様の入った歪な丸だった。まるで幼児が手で捏ねただけのように見える、黄色い菓子だ。かろうじてその色合いと名称から、栗が入っているのだろうと予想できる程度の、本当に質素な見てくれをしている。
「これが、半年は待たねば食べられない菓子なのか」
 ロイエンタールは、率直な感想を口にした。隣でミッターマイヤーも同意する。
「本当に簡素な形だな。『栗きんとん』とは、こういう物なのかい、エヴァ?」
「素朴な外見とは聞いていましたけど、本当に飾りがないのですね。けれど、だからこそ味が人気の決め手ということなのかもしれません」
 とりあえずは食べてみてからということで、三人はほぼ同時に『栗きんとん』を摘んで半分に割り、口にした。
 ロイエンタールは、こればかりは素直に感心した。見栄えにそぐわぬ意外な美味しさを、彼の舌が認識したからである。
「旨いな」
「ああ、見てくれに似合わぬ味わいだ。栗の味がするし、甘いんだが、甘くないな」
 矛盾したようなミッターマイヤーの発言も、今のロイエンタールには理解できた。口の中で溶けるような栗の味わいは、ほどよい甘みがある。
 添えられた緑茶も、なかなかに菓子と釣り合いの取れた味がする。今までにない味の組合せであった。
 半年は待たねばならぬほど人気がでるのも、今や三人は納得していた。
「私、こんなに美味しいお菓子を食べることができて本当に幸せです。ありがとうございます、ロイエンタール様」
 ミッターマイヤーの妻の本心からと見て取れる謝辞を、ロイエンタールは傍らで二つ目の『栗きんとん』に手をつけた男へと受け流した。
「俺はこの男に手に入れてくれと頼まれただけなので、感謝ならば貴女自身の夫にすることです、フラウ」
 貴女の笑顔が見たいが故に手に入れてくれと他人に頼んだ心優しい夫へのみ、笑顔を向けていればよいのだ。
 ロイエンタールにとってのクリーム色の髪を持つ若々しい女性は、ただ友の妻という名の人間なのであって、心温まる交流など求めていないのだった。
 彼の忠告に従って夫に向き直ったエヴァンゼリンは、輝く微笑みをもって夫の心遣いに報いた。
「ありがとうございます、ウォルフ様、私のためにロイエンタール様に頼んで下さって」
「エヴァ、君のためなら…」
 感慨深げに妻の笑顔と言葉を噛み締めるミッターマイヤーを横目に、ロイエンタールは忙しないと思われないぎりぎりの早さで残りの菓子を平らげた。美味しさを僅かばかり勿体なく思われぬこともなかったが、この場に長く居座ることが己にとっては楽しい時間とならないことが明白だったからである。
 ロイエンタールは外套を手に取って立ち上がった。
「夜も遅いので、そろそろ失礼させて貰おう。美味しい茶をありがとう、フラウ・ミッターマイヤー。いや、見送りは結構」
 挨拶に腰を浮かせかけた友人の妻を押し止め、ロイエンタールはミッターマイヤーのみを伴って玄関先へ移動した。賢明な新妻は、ロイエンタールがミッターマイヤーとの会話を望んでいることを悟ったのか、その場で菓子の礼を再び述べ、お気をつけて、と頭を下げた。



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