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 ハロを伴って先行した刹那は、ロックオンと別れた場所から通路を突き当たりまで進み、惑星と駐機スペースの図を頭で描いてから、より広いはずの右へ行くことに決めた。ヴェーダの指示した『E』が何かはわからないが、大事なものや貴重なものであるほど人はそれを奥深くへと隠すものだ。
 しばらく行くと、大きな扉が突き当たりへ現れる。宇宙では珍しい手動の扉だった。
 念のため短銃の安全装置をもう一度確認していつでも撃てるようにした刹那は、そっとノブに手をかけ、音をたてぬよう慎重に動かした。
「……」
 中を素早く見渡し、まずはハロを投入して室内を探査させる。
「半径500メートル、生体反応ナシ!生体反応ナシ!」
 その声に、刹那は暗闇の周囲を窺いながらも、ゆっくりと歩みを進めて部屋の中へ入る。
 黒の空間にぼんやり浮かぶ淡い光にまず視線が向いた。
 目を凝らせば、それが端末モニタであることがわかる。
 何らかの操作パネルであれば照明が点灯するだろうかと近付き、その画面に浮かんだ文字を見つけて、刹那は思わず声を漏らした。
 白い画面に浮かぶゴシック装飾を施された黒い文字。
今回のミッションの目標の名称。
「『E』…」
 呟いた声に反応したかのように、視界が急に明滅した。
長い空気の停滞を打ち破るような勢いで唸る低いモーター音、そして煌々と照らされて明らかになる室内。
そこに突如響いた声に、身体を低くしていつでも動けるよう刹那は体勢を整える。

―声紋照合、ガンダムマイスター、刹那・F・セイエイと確認―

 自分の名を呼ばれ、顔を上げて室内中央に位置するモニタへと改めて目を向ける。温かみに欠けた機械的な合成音声の台詞をなぞるよう、モニタに文章が表示されていた。
 明るくなった空間を見渡せば、そこはモビルスーツが数機格納できそうなほどに広く天井の高い部屋だった。壁は建材がむき出しだったが、扉からモニタの脇へ向かって、なぜか床には場違いに高級そうな赤いカーペットが引かれている。さながらパーティにゲストを迎えるため敷かれた花道のように。

―刹那・F・セイエイの肉声によるパスワードを要求します―

 モニタの合成音声に促され、刹那は小惑星のベースへ進入した際のものとは別のパスワードを思い起こす。ヴェーダのミッションプランにあった言葉。それは刹那にとっては馴染みの薄い聖典にある言葉だった。しかしその言葉の意味は知っていた。神の存在を否定した自分がその一節を唱えるのは、ひどい皮肉のように思えた。

「Fiat Lux」



―パスワード確認、覚醒モードへ移行します―

「覚醒モード?」
 呟きを打ち消すかのように、機械のモーター音はいっそう高らかに唸りを上げた。
 それまで何の変哲もなかった床が開き、何かがせりだしてくる。
 ちょうどそのとき、腕に抱えたハロにロックオンからの通信が入った。
 声の調子は、少々の怒りが含まれている。
『おい!今どこにいるんだ!30分以上経ってるぞ!』
『Eを発見した。ポイント情報を送信する。来てくれ』
 苦情を聞き流して簡潔に用件だけを伝えた刹那は、通信をシャットアウトする。すぐさま再びロックオンの声が聞こえたが、応答せずにいると諦めたのか声は聞こえなくなった。
 予想では、10分ほどでこの場に彼らは到着するだろう。
 刹那は突如あらわれたものに目を移す。
 通信の間にも機械は作動し続け、見れば格納されていたおそらくは『E』と思しきものの全貌が明らかになっていた。


―覚醒モードを実行中、『E』覚醒まで残り120秒―


 アナウンスは聞こえていたが、予想しなかったものが現れ、そしてそれが『E』であると告げられ、刹那は自分が戸惑っていることを認めざるをえなかった。
「にん…げん…」
 医療用タンクベッドのようにも見える装置に満たされた緑色の液体の中、見紛うことなく人間が浮かんでいたのだった。
 正確には、人間と思しきシルエットが見えた。
 緑の液体は微かに発光して煌き、プリズムとなって中の人物を覆い隠している。
 その緑の輝きに、刹那は直感的に見慣れたガンダムエクシアを思い出す。
「まさか…これは、GN粒子?」
 技術者や科学者ではない刹那には、正確なところはよくわからなかった。
 光り輝く細かな粒に、ただそう思ったのだ。
 太陽炉が放出するGN粒子の色によく似た色の輝きに吸い寄せられるよう、装置の側へと歩みを進める。祭壇のしつらえのような装置へは、小さな段を2つ上がらなければならなかった。先程、場違いだと違和感を感じたレッドカーペットは、この装置のためにあったのだと思い至る。扉から装置の側へと続く赤い道しるべの先は、まさに装置の中央へと向かっていたのだ。
 部屋の中には機械を駆動させているモーター音と、ごぼごぼと水中を気体が浮かんでゆく泡の音が響いている。立ち尽くす刹那の前で、緑色の液体はどこかに排出されているのか徐々に嵩を減らしていった。
 緑の光が薄らぐと、装置の中に横たわっているのが女であることが知れた。
よくわからないが、恐らくは若い女。
肩ほどまで届くであろう黒髪が、流れに合わせてゆらゆらと揺れていた。
衣服は纏っておらず女は素肌を晒していて、刹那は生まれて初めて女性の裸というものを間近で見たが、不思議と気恥ずかしさは感じなかった。刹那には、緑の液体の中から現れた女が生きているようには感じられなかったのだ。女がどこか作り物めいていて、彫刻か何か美術品を眺めている気分にさせられる。


―『E』覚醒まで残り60秒―


 死んだように横たえられている女が、覚醒するというのだろうか。刻々と残りカウント時間が減ることを告げる合成音声の内容は理解できるものの、俄かには信じがたい。先程まで液体の中に浮かんでいたのだ。人間は水中で息ができない。それとも緑の輝きを放っていたのは、液体でなかったということだろうか。ヴェーダが回収を指示する対象であるからして、『E』は人型のロボットか何かなのかもしれない。人間の皮膚を模す人工皮膜技術は進んでいて、人のナリをした皮の下は、無骨な機械が潜んでいることもありえるのだ。



―覚醒モード最終フェイズ終了、ポッドをオープン―



 どうすればいいのかわからないまま、刹那はその時を迎えることになった。
 一応、警戒はすべきかと右手の短銃を持ち上げるが、覚醒モードが終了しても女は微動だにしなかった。
(どうすれば…いい)
 これは自分の手に負えない。
 ロックオンが来るにもまだ少し時間はかかる。
 だが、もしも「これ」が『E』なのだとすれば、そして人間として生きているのだとすれば、死なせる訳にもいかないし、何らかの保護を行うべきだ、そう理性が結果を導くのはすぐだった。
 とりあえずは生死を確認しようと、胸に手を伸ばしかけて思い留まる。女の胸を直接触ることに躊躇いを覚え、それにパイロットスーツを着て指先まで覆われている状態では、鼓動の感触がよくわからないと思いなおす。気圧と酸素供給システムは正常に作動している。ヘルメットを外すと、女の口元に耳を寄せた。すると、確かに呼吸音が確認できた。ついでに胸が上下していることも確認する。姿勢を戻そうとして、刹那はポッド脇のモニタにゆるやかに点滅する文字列をみつけた。

『Please call her “Eve”』

 昔、諳んじた聖典にも、その名の人物が登場する物語があった。

 生きる者。生命。

 眠ったままの女の顔に目をやる。刹那は人の顔の美醜に興味はなかった。
 ただその顔に浮かぶ、幸せそうな微笑だけが彼の瞼の奥にやきついた。
 呼べと促す文字列どおり、刹那はその名を口ずさむ。

「イブ」

一瞬の間。
震える瞼に睫が揺れた。
そして女は閉じていた瞳を開く。
宇宙から見た地球の海の色が、そこにあった。



*Fiat Lux=光あれ


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