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03


「刹那、まだ着替えてなかったのか」
 エクシアを見上げていた刹那は、その呼びかけに振り返る。
 既にパイロットスーツに着替え終えたロックオンは、どうりでロッカールームにいないわけだ、と言葉を続け、親しげに肩を叩こうとした。刹那は半身を逸らしてその手をかわしてしまう。
「おっと」
 低重力空間のため、空を切った手にややバランスを崩したロックオンは、苦笑しながら体をひねって半回転させ、体勢を立て直した。
「…俺に触れるな。すぐ行く」
「セツナスグ!セツナスグ!」
「ああ、悪かったな、刹那。早く来ないとティエリアがおかんむりだぜ」
 何事もなかった風にロックオンが言った。ロックオンの相棒である人工AIのハロも、場の雰囲気を和ますように刹那の言葉を真似る。その声にこたえることなく、ロックオンと入れ違うようにその場を離れた刹那に、ロックオンの呟きは届かなかった。
「…まだまだ人に慣れない野良猫みたいだな、あいつ」
 揶揄するように羽を上下させるハロが叫ぶ。
「ノラネコ!ノラネコ!」
「何があったか知らないが、気になって目が離せないよな…やっぱ」
 溜息まじりに呟いて、刹那の消えた方向をみやった。


 一年前にソレスタル・ビーイングの一員となった刹那・F・セイエイは若干16歳の少年である。ヴェーダが選び出したれっきとしたガンダムマイスターで、戦闘能力などは折紙つきだった。
 とはいえ、秘匿情報のために出自は明らかではないが、社交的とはいえない性格に無愛想、不器用、人間不信と心配要素が盛り沢山である。
 生来の気質なのか、それとも生まれ育った環境のためか、ロックオンは年下の無口な少年が気になって仕方がない。スメラギの言葉がなくとも、刹那に対しては人一倍気にかけているつもりだった。食事に誘ってみたり、トレーニングを一緒にしてみたり、気がつけば声をかけている。人間、一人になりたいときもあるだろうと放っておくこともあるが、できる限りコミュニケーションを図る努力をしている。
(かいがいしいねぇ…俺ってば)

 愛機のガンダムデュナメスのコックピットへ納まったロックオンは、ハロをセットし、既に慣れたものとなった起動シークエンスを開始する。
 スイッチの入ったデュナメスのコックピット壁面に機体の外が映し出された。計器類を確認しながらも、視界の端に先程の言葉通り短時間で着替え、エクシアへと向かう刹那を見つける。
 マイスター同士、階級などの上下関係は存在しないものの、最年長(と自分なりに感じている)のロックオンは、日常的に刹那や他のマイスターのまとめ役を敢えて引き受けて、何かあればそれとなくフォローに回ったりしている。
 何しろメンバーには協調性とコミュニケーション能力が欠けているとしか思えない奴ばかりだ。
 刹那・F・セイエイは触れさせてもくれない、ティエリア・アーデはヴェーダ命の毒舌家で空気を読むということをしない。アレルヤ・ハプティズムは二人と違って穏やかで接しやすいが、精神的に不安定なところがあるような気がするし、どこにいたのか世間知らずもはなはだしく、マイスター内でのまとめ役兼教師役はロックオン・ストラトスで固定されている状態だった。世間知らずなのはアレルヤだけでなく、ティエリアや刹那にもいえることだった。一体、どのような経験を今までしてきたのか気になるところではあったが、その素性は機密扱いとなっていて彼ら自身が語らない限り、知り得ることはないだろう。
 それぞれの正体がわからないという状況の中、けれども確かにいえるのは、マイスターはそれぞれ戦争根絶のためにソレスタルビーイングに属しているということだった。
 言葉の少ない刹那も、言葉の端々に戦争を忌む色をにじませていた。そう考えると、ガンダムマイスターの過去はあまり幸せに満ちたものではなかったのかもしれない。もしくは、自分のように一瞬で壊されてしまったのか。
(もしかしたら、あいつ、少年兵か何かだったのかもな…)
 詮索不要と知りつつ、考えずにはいられない。
 何しろ刹那はまだ歳若い少年なのだ。いくら優秀な能力を持っていても、その反面、まだ成長過程の不安定さや無鉄砲さを残している。
(もう少し、無邪気さがあってもいいかもしれないけどな)
 過去がどうあれ、戦闘で死ぬかもしれないガンダムマイスターであれ、刹那が若い少年だからこそ、これから先のことを周囲の誰かが考えてやってもいいはずだ。
 それが出来るのは、一番近くにいるいい歳した大人の自分以外にいないではないか。
 自分以外のガンダムマイスターのことを考えると、行き着く結論はいつもそこだった。
 自分が気にかけてやりたいと、思ってしまうのだ。
 気にしないでおこうと思っても気になってしまう性質だから、仕方がない。
 自分だってまだ23歳、世間では若い部類に入るだろうけれども、自分よりも年下のクルーが沢山いるソレスタル・ビーイングのプトレマイオス内では大人面していなければならない。

「貧乏くじだよな、まったく」
「何が貧乏くじなんだ?」
 独白に返ってきた声は、予想したハロのものではなかった。
「おやっさん」
 開いたままのコックピットの扉から覗き込むように、整備士のイアンがいた。いつもの整備用のつなぎ姿ではなく、宇宙服をまとっている。
「よ、スメラギから聞いたか?」
 何を、と問い返そうとしたところに、そのスメラギから通信が入った。
「ロックオン、イアンさんをベースまで同乗させて欲しいの。彼にはベースの調査を頼んでるから」
「ついでにツールを入れたコンテナの運搬も頼む」
「戦闘になることはないと思うけど、もしもの場合は戦闘に参加せず、まずはイアンさんを連れ帰ってきてね」
 通信画面が消えると、イアンは待ってましたとばかりにコックピット内へ入る。身体を反らせて迎え入れてハッチを閉じると、単座式のコックピット内に普段より増えた質量の圧迫感は思ったより大きかった。
「やっぱり狭いな」 
 言いつつイアンが指示した調査機器入りのコンテナを左手に持ち上げる。
 射出スポットへの移動を指示するために通信を入れてきたフェルトも、常にない光景に目を丸くしている。
「狭そう…」
「ま、ご覧のとおりさ。何が悲しくてむさいおっさんと狭い空間に閉じ込められなきゃいけないのやら」
「美人のむちむちねーちゃんじゃなくてすまんな、ロックオン」
「まったくだ。美人でむちむちなら大歓迎」
 軽口を叩きつつも機体を操縦し、射出準備を完了させる。フェルトは男同士の下世話なやりとりに表情を変えることなく、スメラギからの連絡事項を伝達する。
「先に他の三人が出るから、コンテナを持っているデュナメスは待機。最後に発進させる」
 ここにも気にかかる人間が一人、とロックオンは胸のうちで呟く。
 戦況オペレーターのフェルト・グレイスも、ロックオンの見立てでは刹那とそう歳の変わらない子供だった。メカ知識は可愛い顔に似合わないほど持ち合わせているが、女の子らしい笑顔を普段みせることは稀で、どちらかというと人と接することに不慣れな様子を覗かせることが多い。

 ソレスタル・ビーイングは戦闘を行う武力組織だ。
 笑顔なんてなくても組織の運営には支障はないかもしれない。
 単なる感傷なのかもしれない。安っぽいヒューマニズムなのかもしれない。
 何しろ自分は人殺しとなって世界を平和へ導こうとするような矛盾した理想を持つ人間だ。
(けど、俺たちの仲間が誰も笑ってないなんて、それこそ笑えないぜ。いずれ人殺しの罰は受けるとしても)
 ソレスタル・ビーイングの一員となって2年近く。
 家族となるには短い期間、けれども仲間となるには充分な時間。
 テロで両親と妹を失い、自分自身も人を殺す罪深い人間となった。
 その罰は、目的が達成できたら甘んじて受けるつもりだった。
 だが、罪人である自分には笑うことも、誰かに笑ってもらうことも叶わないのかと言われれば、それは違うと思うのだ。
 ソレスタル・ビーイングが誰かを殺すとしても、世界の尊さや美しさを信じて目指す自分たちは、誰よりも笑い楽しみを分かち合うべきだ。
(何よりぎすぎすした雰囲気でいるのは、性に合わないんだよな)
 そう、結局どんな理屈をこねても多分、他人からは非難されるだろう。人を殺したといって非難される。
 それなら自分は好きなようにやるだけだ。
 険悪な雰囲気は耐えられない。子供に見える者たちが無愛想な顔ばかりしてるのも気に喰わない。テロや戦争ばかりやってる世界も満足できない。だから場の雰囲気を楽しく盛り上げるようにしよう。子供たちを笑わせてやろう。テロや戦争をなくしてやろう。
 そういう気持ちで、ロックオンはガンダムマイスターをやっている。
 戦いに身を投じた根本的な理由は別のところにあるとしても、その気持ちに偽りはなかった。
「了解。今度はフェルトと一緒に乗りたいもんだな」
「…ばか」
 表情は大きく変わらなかったが、頬を染めて目線をそらしたフェルトがいじらしい。
 自分が見たいのは、子供たちのこういう可愛らしい顔だ。
 少しだけ失った者を思い出し、今度地上へ降りるときには何お土産を買ってきてやろうと思ったロックオンだった。


「馬鹿野郎、なにフェルトにちょっかい出してるんだ」
「いや、なんつーかそういう類のちょっかいじゃなくて、親愛表現のスキンシップ?」
 フェルトの通信画面が消えると、イアンとロックオンはいつもの気安さで会話した。
 歳は離れているものの、何かの面倒を見るということに関しては共通しているロックオンとイアンは、クルーの中でも互いに気が合う相手だった。
「あんな小さな子に手を出すような奴じゃないとはわかっているがな、ロックオン。フェルトも少し気難しい奴だから、慎重に接してやるべきだ」
 珍しくイアンがまともなことを言う。
 表情でロックオンの気持ちが知れたのか、イアンは軽くおどけるようにロックオンのヘルメットを小突く。
「フェルトはずっと宇宙船の中で育って同年代と触れ合う機会が少なかったんだ」
「おいおい、秘匿情報じゃないのか、それ」
「これくらいどおってことねぇさ。子供の面倒は大人が見るもんだ。フェルトの表情の乏しさは気になるだろ。お前だって若造とはいえ、メンバーの中じゃ年長者だ。他の奴らの成長を見守って助けてやれよ」
 普段は何も言わないが、イアンだって子供たちのことは気にかけているのだと、ロックオンは改めて思う。正確なところはわからないが、モレノとイアンは恐らく50歳近く、医師と整備士としてメンバーたちの役職以上に組織の潤滑剤として機能している。
「特に同じマイスターの刹那をな。フェルトには女同士、クリスティナやスメラギがいて何かと面倒見てる。だが男には男の事情が色々あるし、立場的にあいつに一番近いのはお前だ、ロックオン。もちろん、刹那だけじゃなくアレルヤやティエリアにも、大人の助けが必要だろうがな。あいつらは戦闘訓練を積む以上に、人間としての訓練を積ませてやりたい気がするぜ」
 イアンの視線の先には、発進位置に進むガンダムエクシア。
 キュリオスとヴァーチェのパイロットも想像したのか、溜息交じりの声で呟くイアンには、歳相応の子供を見守る苦労と優しさのようなものが含まれていた。
「わーってるよ、おやっさん。これでも刹那や他のメンバーのこと、色々気にかけてやってるんだぜ。ミス・スメラギにも頼まれてるしな」
 マイスターたちとこの先も連携をしなければならないのだから、不足している社会性を補ってやるくらいの気概でいるべきだろう。
 狭いコックピットの中で交わされた会話は、二人とハロ以外に知るものはいない。
 大人の気遣いや心配など、子供は気付かないだろうし、知らないままでいるべきなのだ。
 言ったロックオンに、イアンはにやりと人を食ったような笑みを浮かべた。
「ははあ、さっきの貧乏くじの意味、わかったぜ。ミス・スメラギに加えて俺にまで言われるんじゃな」
「まったくだぜ。俺みたいな若造に色々背負わせやがって。愚痴くらい聞いてもらうからな」
「うまい酒用意して待ってるぜ。子供にはわからない苦労を肴に酌み交わそうや。こうなるとミス・スメラギも誘うべきだな」
「いい酒があれば匂いを嗅ぎ付けてくるんじゃないか?」
 イアンとロックオンは笑いあう。
 そうだ、こんな風に他愛もないことで笑いあう時間が人間には必要なのだ。
 無駄な会話など意味がないと思っている風なティエリアや、どこか陰のあるアレルヤにも。そして根を詰めて今にも切れてしまいそうな緊張をまとった刹那にも。
「デュナメス、発進どうぞ。You have control」
 フェルトからのGoサイン。射出レールにスタンバイしたガンダムデュナメス。世界を変える力。
「OK,ロックオン・ストラトス、デュナメス、行ってくるぜ」
「ハッシンスル!ハッシンスル!」
「掴まってろよ、おやっさん!」
 スロットルを押し込んで飛び出す常闇の宇宙。
 果てのない広大な世界で、本当に小さく無力な人間。
 それを感じさせないようなガンダムという圧倒的な世界を変える力を手にしても、自分は一人の人間のちっぽけな力を信じる。笑顔がもたらす幸せを、彼らにも伝えられることを、ロックオンは信じる。
 願わくばその力の存在を、彼らも気付かんことを祈りながら。



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