NEXT novel TOP



時の砂楼



 ジャン・ロベール・ラップが死んだ。
 ラップの所属する第六艦隊司令部が壊滅――つまり艦隊旗艦ペルガモン撃沈に至ったアスターテ会戦の戦況から予想していたことでもあり、戦死者名の羅列に友人の名を発見したヤンは、ベレー帽を握ったまま目を伏し、感情の波を静かに受け流した。
 ハイネセンへ帰還する途上にも、伸びていく戦死者名簿。
 帝国軍の砲撃によって砕かれた艦の記録を生き延びた艦から吸い上げ、救命ポッドや宇宙服の救助信号を会戦宙域で丹念に拾い、僅数の奇跡的な幸運の持ち主達を救助する。生体反応のない大多数の者の内、遺体が回収された者も幸福な部類に入るかもしれない。宇宙の只中で繰り広げられる艦隊戦後に残される物質は、あまりに少ない。
 宇宙で死んだ者の墓は、空虚なものとなる。恐らく、ラップの墓標も。
 自室の机の抽斗に放り込んだままの結婚式の招待状を、ヤンは思い浮かべた。結婚式の日取りが決まったと、満面の笑みでラップから手渡された招待状だった。
 残された婚約者ジェシカ・エドワーズのことや、ラップと交わした言葉が絶えず脳裏を流れていき、幾つもの記憶が呼び起こされていく。
 ヤンに不足していた社交性を補い、若さ故の馬鹿をすること、その楽しさを教えてくれたのはラップだった。
 ラップと共に何でもやった士官候補生時代。酒を飲んで潰れたヤンとラップを介抱してくれたのは、ジェシカ・エドワーズ。休日にはテルヌーゼンの街路樹の下を三人で並んで歩き、士官学校卒業の際のパーティでは、それぞれがジェシカを相手に下手なダンスを踊った。
 ジェシカへの好意を隠さなかったラップにおぼえた眩しさ。ジェシカと交際を始めたと陽気に連絡をしてきた際に感じた、一抹の寂しさ。
 妬心からでなく、自分とは全く違うと思えたラップのありようを、ヤンは常に好ましく思ってきた。違うからこそ、ラップはヤンに新たな発見を日々あたえてくれた。
「早過ぎるよ、ラップ」
 届かぬと分かっていながら、呟かずにはいられない痛みを感じる。
 けれども、ヤンの理性は感傷を数分で処理した。その程度しか、現実は彼に時間を許してくれなかった。
 幕僚のラオ少佐が、分厚い報告書を片手にヤンへ歩み寄ってきている。
 戦死者名簿を表示して、お世辞にも明るいとはいえない顔をしているヤンに気付いたラオ少佐は、言葉を切り出しあぐねたようだった。
 ラオ少佐の顔も肉体的、精神的疲労に苛められた顔をしており、ヤンは互いに苦労が多いものだね、という気持ちを込めて僅かばかりの笑みを向け、握りつぶしたベレー帽を被りなおす。
「報告だろう? 聞きたくないけれど、聞こう」
 ヤンがそうであるように、ラオ少佐も何かを失いながら軍務をこなしているだろう。
 泣き喚いても死者は生き返らない。戦争では軍人の死は日常だ。死は全ての人に、無慈悲に訪れる。誰かの友人だからとか、親しいからといって、死が避けてくれるわけもない。
 そして、死は完了した過去だが、生き残ったヤンやラオ達が現在こなさねばならないことは、未来に向かって尽きることがない。
「はい、司令官代理閣下」
 自身もまた代理として幕僚を務める少佐も、疲れた顔に少しの笑みを浮かべて敬礼し、早速データを広げた。
「報告致します。現在、我が第二艦隊において緊急に対処すべき問題は―――」
 生きていくことは、現在に対処して過去をたえず量産していくことだ。
 目前の問題に解答していく間に、ヤンはラップの死が蓄積された過去にどんどん埋もれつつあることを自覚していた。
 断片化した記憶がばらまかれた砂場で、情感たっぷりの砂遊びをする余裕がヤンには乏しかった。砂の城を意欲的に建てることを否定する訳ではないが、ヤンはそれを時折、酒をひとりで飲むときだけに限って行うことにしていた。
 痛みや感情は、現在進行形でしか認識できない。どんな辛苦も、あるいは幸福も、ただ一瞬の現在に最大限の輝きを放ち、時が過ぎれば光は薄れる。
 父の死も同様だった。遺産の清算や生活費の捻出、士官学校の受験と慌ただしい日を走っているうちに、父のいない生活がすぐにヤンの日常となり、父は時折ふれるだけの砂粒と化していった。そうやって忘却を簡単に受け入れる薄情さが、ヤンの気質として元来あったのかもしれない。もしくは、父やラップの死に関して、ヤンに直接的な責任がないからかもしれなかった。仕方がないのだと納得することに、心理的抵抗はなかった。
 忘れるからといって、父やラップの全てが失われるのではない。ふとした切欠に記憶の砂粒を拾い集め、再構成してみることもある。父タイロンとラップがヤンに残したものは豊富にある。ただ、物質としての父とラップは既に銀河のどこにも存在せず、ヤンの脳細胞のどこかに過去として刻まれていることは事実で、それを嘆き続けていられるほどヤンは幼くなかった。

* * *

 ラップの死から一年が経った頃、ヤンはハイネセン市街の公園でジェシカ・エドワーズと並び歩いていた。
 ヤンがハイネセンへ戻っていることを聞きつけたジェシカが、連絡を入れてくれたのだ。
 互いの予定を調整し、ようやく取れた時間をヤンは単純に喜んだ。
 朗らかな友人が婚約者を残して去ったアスターテ会戦後、ヤンはイゼルローン要塞を半個艦隊で攻略し、それに戦意を挙げた自由惑星同盟は史上初となる銀河帝国侵攻作戦を実施、二千万将兵を失う大敗を喫した。そしてヤンはイゼルローン要塞司令官となり、いま現在は銀河帝国による政治工作と同盟への大侵攻を危惧して、彼自身もまた不慣れな政治的な根回しを行っている最中だった。
 アスターテ会戦の戦没者慰霊式典直後には憔悴していたジェシカは、その後テルヌーゼン選挙区から議員へ立候補し当選、反戦平和派の若手政治家として同盟議会に精力的に登壇しているという。
 ジェシカは背中まであった艶やかな黒髪を顎先の位置まで切り、優しげな花柄のワンピースを着ていた頃からは一転して、凛々しさを感じさせるグレーのスーツに身を包んでいる。
 同盟議員の身分を表すバッジや、大きく変化した雰囲気に気を取られつつ、久しぶり、と告げたヤンは二の句に悩み、ようやく捻りのない台詞を口にした。
「少し雰囲気を変えたんだね、ジェシカ」
 もう少し気の利いた再会の挨拶がないものか、とヤンは自分を叱咤する。
「その、とても新鮮な気がする。昔も良かったけれど、今の恰好も、ジェシカによく似合っていると思う」
 そんなヤンの洗練から程遠いしどろもどろな様子に、ジェシカは眼を細め微笑んだ。
「大将閣下にまでなったのに、こう言っては失礼かもしれないけれど、あなたは変わらない様子ね、ヤン。あなたの活躍は立体TVでも耳にしているわ、イゼルローンの英雄さん」
 襟元の階級章に意味なく触れながら、ヤンは我が身の境遇を省みた。
 エル・ファシルの英雄と持ち上げられた時も分不相応とげっそりしたが、アスターテの、そしてイゼルローンの英雄と呼び名が増えた今も、肩書きなど単なる政治的副産物にすぎないとヤンは思っている。自分は単に適当な宣伝広告として扱われているだけなのだ。
「階級なんて軍の都合で変えられるものであって、私自身はそうそう簡単に変わるものじゃないよ。私は相変わらず、どうやったらのんびり昼寝しながら史書を読んで暮らせるか、そんなことばかり考えている。イゼルローンのことも、他の誰かがあの作戦を指揮しても、同じ結果が得られたはずだよ」
「その作戦を立案したことは、褒められてしかるべきことよ。誰も考えつかないことを考えて実行できるから、英雄と呼ばれるの。あなたは一年前も、もっと前の士官候補生だった頃も、昼寝がしたいなんて言ってやる気がなさそうに見えて、けれど誰よりも優れた戦術案を実行するんだって、ジャン・ロベールが言っていた通りね。本当に、変わらない」
 言葉を切ったジェシカは、そこで僅かに視線を背ける。
「私は、変わったわ。ジャン・ロベールがいなくなってから」
 ジェシカに促され、ヤンは公園の小道に置かれたベンチに二人隣合わせで座った。
 士官候補生時代であれば、それだけで若きヤンの心は浮かれ踊っていたかもしれない。だが今のヤンは士官候補生でもなく、年齢も重ねて、ジェシカの横顔を心揺らすことなく見守っていた。
「一年前まで、議員になろうなんて思いもしなかった。ジャン・ロベールと結婚して、音楽を教えて暮らす生活がずっと続くと思っていたの。ジャン・ロベールがこんなにも早くいなくなるなんて、想像もしなかったから。それが全部壊れてしまって、私自身も壊れてしまいそうだった」
 膝の上で組んだ手を握りしめ、ジェシカは俯いて唇を噛む。
「アスターテの戦没者慰霊式典からテルヌーゼンへ戻って、しばらくジャン・ロベールのフォログラムを眺めて暮らしていたわ。あなたたちと出会った頃の事ばかり考えて、泣いて、ひどい生活をしていた」
 ヤンがポケットの皺くちゃなハンカチを差し出すべきか迷っている間に、しかしジェシカは顔を上げてヤンへ視線を戻した。彼女は泣いてはおらず、力強い声で言う。
「だから、生きる目的を考えたの。考えて、考えて、私のような悲しみがなくなるような社会にしたいと思った。戦争をしない社会。しなくてもいい社会。誰も戦争で死ななくて済むような社会にしたい」
 ジェシカの宣言を受けて、ヤンは困った表情以外に返すものがなかった。
 軽々しく同意するのは簡単だ。基本的にはヤンも好んで軍人となって戦争をしているわけではないから、戦争のない社会が実現するならば大歓迎である。そうなれば自分は晴れてお役御免んとなり、年金生活で楽ができるだろう。
(それが、理想だけれども)
 けれど、どうやって?
 戦争をしないということは、自由惑星同盟と銀河帝国の間に停戦もしくは和平条約を結ぶことが求められる。
 和平は戦争の当事者である一方だけが願って成立するものではない。もう一方の当事者たる銀河帝国の権力者達が頷かなければ叶わぬものだ。強固な身分制度、つまり銀河帝国の存在を否定する国家として誕生した自由惑星同盟という国家を、身分制度の恩恵に与って暮らす銀河帝国の皇帝や貴族たちが許容するだろうか。彼らにとって、そもそも政体として互いに認め合ってもいない自由惑星同盟を生かしておく価値、和平を結ぶ意味がどこにあるのだろうか。
(恐らく、銀河帝国の体制が劇的に変化しない限りはありえないだろうな。歴史を振り返れば、皇帝貴族以外で経済的、政治的、軍事的権力を持つ層が台頭することが身分制度の崩れる原因と読んだけれど。いまの銀河帝国では皇帝不在といえど、新たな皇帝が即位せず議会が発足する訳もないだろうし)
 現在の自由惑星同盟の力で、銀河帝国の内政に干渉することなど不可能だ。できることといえば、銀河帝国が手を出さない限りこちらからも手を出さないことを徹底し、軍事的な衝突を回避することに努める程度しかないが、根本的な解決には至らぬ対処療法にすぎない。
 ジェシカの言う戦争のない社会が、そういった事情を汲んだ上で出兵を控えることを指すならば、ヤンも理解できる。
 その為にヤンはイゼルローン要塞を陥落させたつもりだったが、彼の意に反して自由惑星同盟は難攻不落の要塞を手に収めたことで意気を揚げ、無謀にも史上初の銀河帝国侵攻作戦を試み、惨禍を被った。
 評議会の連中がもう少しまともであれば。もう少し自分の意見と通ずるものがあれば。
 二千万人の戦死者を出すことなどなかったのに、と彼は銀河帝国侵攻の命令を与えられて思わぬでもなかったのは確かだった。
 職業軍人であるヤンは、慎重に答を探した。
「戦争をしないにこしたことはないと、私も思うよ」
「そうよ、若者が死ぬ社会なんて間違ってる。二千万人が戦争で死ぬことなんて、あってはならない。戦争のない社会を作るの」
 ジェシカの瞳には真摯な光が込められていた。無難に話を終わらせられぬ空気に、ヤンは堪えきれず疑問を口にしてしまった。
 それが、間違いだったのかもしれない。
「どうやって、戦争をなくそうと?」
 ジェシカは意気込んだように、彼女が提案する政策を述べ始めた。
 疲弊した経済の立て直し、段階的な徴兵解除、軍事予算の削減、対銀河帝国およびフェザーン外交政策の見直し、停戦交渉窓口の創設。
「やるべきことは沢山あるの」
「そうだろうね」
 百年以上に渡り戦争を継続し、軍備を進めた自由惑星同盟において、軍事部門に関わる人間や企業は多い。利権や経済構造にも関わる問題が、単純に解決できるはずもない。同盟国内でさえ課題は多いのに、銀河帝国と交渉がまずもって成立するのか、不安材料は数限りない。
「そう、沢山あるのに、議会では議論もままならないわ。市民や世論の支持がなければ、反戦派の政策なんて誰も相手をしてくれない。そもそもの問題を取り組むためには、各方面の支持を取り付けることが必要なの」
 そうして向けられた表情に、ヤンは悟った。彼女の次の発言が予測できる。
 先程、ジェシカが呟いた言葉が、実感をともなって泡のように弾ける。
 ジェシカはもう、ヤンの友人として隣に座っているのではなかった。反戦派議員ジェシカ・エドワーズとして、ヤンに語りかけているのだった。
 甘やかな気持ちも、友人として培ってきた信頼も、政治と打算の渦に飲み込まれゆくのだという寂寥感が、急速にヤンを蝕んでいった。
「その為に、あなたの力を借りたいの、ヤン」
(ジェシカ、ジェシカ。君は変わってしまった。変わってしまった、確かに)
 ヤンが笑みを浮かべようとしても、表情筋は歪んだ表情しか作り出してくれなかった。
 失望といわずとも、諦めるような声が出た。
「ジェシカ、君が求めていることはわかる。政治活動に協力しろと言いたいんだね。英雄の名は、一部の人間に対しては有効かもしれない」
 彼女は、さきほどヤンを昔と変わらないと評した。そうであるなら、付き合いの長い彼女はヤンの気質を知っているはずだった。
 宣伝塔と扱われることも、英雄と呼ばれることも、政治家というものにもヤンは辟易している。
「あなたがこういうことを嫌うのは分かっているの。けれど、私はどうしても…」
「ごめんよ、ジェシカ。私はそういったことでは力になれない」
 言い募ろうとするジェシカを遮り、ヤンは一言を残して立ち上がりざま、胸元のポケットからサングラスを取りだし着用する。
 ここにいるのは、ヤンとジェシカではなく、反戦派若手議員と同盟軍大将であるとヤンは自身に言い聞かせて背を向ける。
「失礼するよ」
「ヤン!」
 傷ついた声音だった。恐らく、もう二度と昔の柔らかな声音で名を呼ばれることはないのだろう。
 二度と、士官候補生時代のように気楽に語り合うこともできないのだろう。ジャン・ロベール・ラップは死に、ジェシカは議員となり、そして自分は何者になるのだろう。
 変わっていく。何もかも。
「元気で、ジェシカ」
 振り返ることもなく、ヤンは歩く。一歩進むたび、過去は積み上がり、変容したジェシカと自分の関係性が築かれていく。
 彼の名を呼び続け、謝罪するジェシカの声は歩むごとに遠く、小さく、消えていく。
 それが、ヤンがジェシカと共に過ごした最後の時間となった。



NEXT novel TOP