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「ねんねこ令嬢一日記01」



 目覚めると、 は子猫になっていた。
(な、なにー!?)
 子爵令嬢になっちゃった時以上の衝撃である。
 まず違和感を感じたのが、視点の低さだった。確かにベッドで寝たはずなのに、肌寒さに目を開くと地面が目の前にあった。
 慌てて身を起してみれば、ふにっとした感触が手に伝わった。
 疑問符を浮かべながら視線を落とせば、毛むくじゃらの猫の足があったのだ。意識すると、なんとそれは思い通りに動いた。
(な、なんかもう訳わかんないです…)
 ぴすぴすと鼻がひくついた。
 さすがに二足歩行と四足歩行の違いからか、立ち上がろうとすると勝手に身体が動いた。
 いつぞやのヘルプ機能を思い出す。
 一歩、二歩、脚を踏み出していくと自動的に後ろ脚もついてくるようだった。
「ニャー」
(どうにかしてください、誰かー!)
 言葉を喋れるはずもなく、 は成す術もなく鳴き叫ぶことしかできなかった。
 叫んでもあまりに気の抜ける猫の声しかでないものだから、 は諦めて冷静になる努力をすることにした。
 周囲を見回してみると、子爵令嬢となった時とは趣の違う風景が目に入った。
 どうやらそこは住宅街のようだった。
(これは…この趣きはまさか…)
  (の精神が宿った猫)は、その住宅街のある一角の玄関前に寝ていたようだった。
 猫は毛皮があるから大丈夫だと勝手に思っていたが、 は確かに寒さを覚えていた。
(さ、さむー死ぬーどうしよ、どっか温かい所、温かいものが必要だわ)
 危機感に押されて は歩き出したが、どこへ行けばそれらが手に入るかわからなかった。
 歩き続ける中でカラスに威嚇されるわ、犬に追いかけられるわとロクなことはなかった。
 どれくらいそうしていたのか、気がつけばお腹が空いて動けなくなっていた。
(寒い…お腹空いた…まさか私、猫になって死ぬの? そんな運命なわけ?)
 まったく納得できもしない状況に、 は恨む相手もみつからないままその場にへたり込む。
(どうしよ…食べ物…虫なんて冗談じゃないし、残飯でも漁る…? なんてのも人間のプライドが…)
 変なところで自分を試されているようで、 は泣きたくなった。
 どう考えても良い方法が思い浮かばないのである。
 ネズミも虫も美味しそうなんて全く思えないし、残飯にも嫌悪感がある。
 かといってこのままでは餓死。もしくは凍死の危機。
(あーなんでこんなことに…)
  は前脚に頭を埋めて現実逃避をするよう蹲った。


「なんだお前、動けないのか?」
 唐突に頭上から声が降ってきた。
  は頭を動かすのも億劫で、片目を開いて声の主を確認しようとする。
 だが確認する前に首根っこを掴みあげられ、宙ぶらりんになってしまう。
(なにごと!?)
 思わず四肢を突っ張らせるが、暴挙の主は の様子に笑ったようだった。
「お、まだ大丈夫そうだな。にしてもお前、よりによって俺の家の前で行き倒れるなんて…ついてる奴だ」
 そう言いながら を摘みあげた男(声から判定)は、片手に彼女をぶら下げたまま一軒の家へ入って行った。
「あー今日も疲れた疲れた。シトレ校長は相変わらず人遣い荒いぜ…」
 ぽいっと投げ出されたのは、柔らかなバスタオルの上だった。
(ふわふわ…暖かい…)
 本来の であればすぐさま声の主を確認するところなのだが、何かに惹き付けられるよう はバスタオルから関心をそらすことができなかった。
「飯か…いや、そのまえにお前か」
 寒さから逃れられた上、なんとも表現できない心地よさにうっとりしていた は、再び問答無用で抱えあげられる。
(ふわふわバスタオル!)
「げっ、ちょ、待て、わかった、これも持ってくから爪たてるな!」
 安らぎから引き離されるを嫌がる猫の本能が、これまで出したこともない(人間の爪は収納不可能ですから)爪を尖らせ、 を抱えあげた人物の手を小さく引っ掻いた。
「いてぇ、お前、命の恩人に爪たてるなんざ…」
 どしどしと廊下を歩いたつきあたりの扉を開いた先で は放りだされる。
「こうだ! シャワーの刑!」
 ぶしゃーっと勢いよく飛び出した水が、 の顔面を襲う。
(ぎゃー!!)
「ニギャー!!」
 顔を反らして向かってくる水から逃れようとするのだが、執拗に追いかけるようシャワーを当ててくるものだから、 もむかついて半目を開いて水に霞む視界の中の男のシルエットに突進した。
「うわ、来るな! 濡れる! 待て!」
(またん! 許さん!)
 べしゃりと男の胸元に飛び込んでやった。
(ん?)
 なんだかいま、見たことのある服が…。
「あーあ、スカーフ、クリーニング行きだな…先に脱いどきゃよかったぜ」
 言って脱ぎ出した男を見上げて、 はぽかんと口を開けて叫ばずにはいられなかった。
「んニャ〜!」




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