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星降りの夜01


 ローバッハ伯領での誘拐事件から、十日ばかり過ぎた頃だった。
 そのときはまだ後に長い付き合いとなるカイル・シュッツがおらず、マティアス・フォン・ヘルツという栗色の髪を持つ青年士官は中尉から大尉へ昇進し、 子爵家の一人娘、 嬢の護衛の任を仰せつかったばかりだった。
 出会ってから十日という短期間ではあったが、事件でのやり取りもあって、年若い大尉と黒髪の少女はそれなりに意気投合し、相互に緊張を介在させず会話できるようになっていた。
 任務の特性上、少女に四六時中ついて回っているようなものだから、親しくなるのも不思議ではない。とはいえ普通は護衛と護衛対象が長く時間を共にしたからといって、気安く茶を共に過ごしたり軽口を言い合ったりはしないので、その点ではやはり少女の風変りな性質に起因して親密さの進行速度が増したのだろうと、ヘルツは思う。
 少女の白い頬に諦め悪く残っていた痛々しい痕もすっかり薄くなり、攫われていた元人質は前当主コンラッド卿に薫陶を受け、日々の時間を勉学に注ぎ込んでいる。今も彼女は何冊もの書物を開きながら三次元シミュレータを操り、何かの戦闘モデルを再生させている。貴族令嬢の入り浸る部屋にそのような機器が置かれているのも、この子爵家くらいだろう。
 貴族だからこそ、なのだろう。貴族だからこそ他の何物を―金や時間といったものに気にせずに英才教育を受けられるし、継ぐべき門地や領民たちを抱える貴族だからこそ、そのように教育を受けねばならない。実際は半分、趣味か生きがいのつもりで軍人上がりの祖父が孫娘に知識を伝授していることや、 がせがんでおよそ令嬢に対するものとしては一般的ではない教育カリキュラムの数々を受けるようになったと彼が知るのは、もうしばらく後のことだった。
 なぜ ・フォン・ に仕えるようになったかと、それから随分後に度々そう問われるときヘルツは、幼い頃から聡明で云々とわかりやすい理由を並べ質問者に納得してもらうことが多かった。
 確かに自分が子爵家の一人娘に関心を抱くきっかけとなったのは、彼女の幼かった外見に似付かぬ賢明で機微をよむことに長ける人柄が第一にあった。だがそれは言うなれば少女の存在を認知した程度のきっかけに過ぎず、積極的に少女と関与しようと思った理由はまた別にあった。
「ふう」
 少女の可愛らしいため息が部屋に響いた。立ちあがり、腕を上げて固まった体をほぐすよう伸びあがる。
「お疲れでしょう、お茶を淹れるよう頼みましょうか?」
 声をかけると、少女はびっくりしたように振り返った。
「ヘルツ中尉…じゃない、大尉だったんですね。てっきりそこにいるのはゼルマだとばかり…」
「フラウは所用で少々下がらねばならないと仰って、一時間ほど前からは私が御側についておりました」
「邸内だから大丈夫だと思うんだけど…心配性よね、みんな」
 幼い少女の言葉に頷くことは立場上できず、ヘルツは苦笑を返した。
「仕方ありません。何といっても 様が攫われて間もないので」
「それを言われると心配をかけた側だけに何も言えない…けど、やっぱり私はあの二人の心配は過剰すぎると思うのよね」
 二人とは言わずもがなの彼女の両親である子爵夫妻のことだろう。
 窓際に置かれたテーブルセットへ歩み寄る少女は、ふと窓の外に気を取られたようだった。三次元ホログラム装置の発する排気熱で室内が少し暑いからと開けられていたのだ。
「わあ」
 紅茶を頼もうと通信機へと視線を落としていたヘルツは、嬉しさに満ちた少女の声に顔を上げる。
「流れ星みちゃった。あ、また!」
 はしゃぐ に手招かれ、ヘルツはいったん通信機を閉じ、少女の側に並んで窓の外を見上げる。あいにく室内の明かりもあって目が慣れず、彼には夜空を滑る星が見えなかったが、定時連絡として通信機に自動配信される情報を思い出してヘルツは口を開いた。
「そういえば観測班が今夜は流星群が接近するから注意しろと、そう言っていました。本日は艦上勤務ではなかったので、今まですっかり忘れていましたが」
「注意、するんですか?」
 不思議そうに問う少女に、ヘルツは気付いて説明する。
「ああ、宇宙空間での話です。普通、こうして大気の底で見られる流星は、小さな塵が大気圏に突入して燃え尽きる際に発光することで見られるのですが、流星群はその塵の数が膨大なのです。だから雨あられのように集中的に流星が見られる。宇宙船は多少の衝突物にはびくともしませんが、修理などで艦外活動を行う人間にはこれが脅威たりえます。一般的には数センチ以下の塵の集まりですが、中にはもう少し大きな…数十センチほどでしょうか、こぶし大のものもあるとかで、運悪く当たれば大怪我か弾き飛ばされて行方不明ということもあり得るので、流星群の接近時には艦外活動が禁止されます」
「なるほど…差し当たり、大気圏の内側にいる私たちには特に注意する必要はないのですね? 見つけるために注意するくらいで。でも今夜は沢山、流れ星が見られるのでしょう?」
「左様です。注意しなくても見上るだけで良さそうですよ…ちょうど今が最も降る星の多い時間帯のようですし」
 顔を見合せて笑顔を交換したあと、少女は唸って言った。
「でもここじゃ明る過ぎてよく見えないから…ちょっと庭先へ出ません?」
 問いかけの形ではあったが、黒髪の小さな背は言うが早いかそのまま窓の外へ出て行ってしまう。ヘルツも護衛として傍を離れるわけにはいかず、 に続いて夜の帳に静まる庭園へ足を踏み出した。
 屋敷から漏れる光を避けるよう、少女の足は軽やかな拍子を刻んでどんどん進んでいく。
様、あまり遠くまで行かれませんよう」
 十歳とはいえ一応は令嬢であるのだから、暗い夜にひと気のない場所で男と二人きりは拙かろうとヘルツは声をかけると、少女はぴたりと足を止め、やや慌てて数メートル戻ってきた。ヘルツは知りようがなかったが、 は彼の言葉を聞いて、このような状況で大尉にあらぬ疑いが掛けられても困ると気付いたからである。とはいえそのような気遣いはすれども好奇心は抑えようがなく、 はかろうじて室内から目の届く場所へ戻ると、そのまま芝生の上へ寝転がった。
様…」
 近頃は少女の突飛な行動にも慣らされてきたヘルツである。呻くように名を呼ぶと、芝生に黒髪とスカートを扇のように広げて仰向けになっている子爵家令嬢は、あっけらかんと言った。
「だって見上げてると首が痛くなるから」
「フラウに見つかったら、なんと言われるか」
 お嬢様命な側付きの乳母を思い浮かべ、頭が痛くなるようだった。けれど少女は言い出したら聞かない自由奔放なところがある。加えて護衛の分際で姿勢を正して空を見上げよというのもおかしいと、ヘルツは観念して軍服の上着を抑えるベルトを取り外しにかかった。さほど冷え込まぬ時分とはいえ、さすがに夜に室内着一枚で地面に寝そべっていては寒いだろうと、脱いだ上着を少女の身体へ被せた。
「せめてそれを羽織って下さい。小官のもので恐縮ですが…お身体が冷えます」
 室内から何か羽織るものでも取ってこられればよかったのだが、生憎、このような庭先に護衛対象を放置することなどできず、彼は次善の策として己の軍服を差し出したのだった。
「大尉が風邪をひいてしまいます」
 上半身を起して遠慮しようとする少女の手から上着を取り、そのまま肩に着せかける。
「小官は鍛えておりますので。少なくとも 様よりは丈夫なので、お気になさらず」
「うん……ありがとう、ヘルツ大尉」
 羽織った上着に袖を通して礼を述べた少女は、再び芝生へとその身を横たえた。傍で立ったままというのも間が悪く、ヘルツはその場に腰をおろした。片膝をかかえ、念のためと普段は上着を固定するベルトへ釣り下げたブラスターを取り出す。
 ようやく落ち着いて仰いだ頭上の流星雨は、か細い光の帯をいくつも走らせながら燃えつき消えて行った。
「綺麗…」
「そうですね…このような空は見上げる機会はそうそうありませんね…」
 ふと、懐かしい昔話を思い出したヘルツは、意識せず口元に笑みを浮かべていた。
 てっきり星の競演に夢中になっていると思っていた少女は目ざとくそれを見つけたようで、ヘルツへと問いかけてくる。
「大尉、星がお好きなんですか? なんだか嬉しそう」
 嬉しそうなのかと、ヘルツは己を再発見した気分だった。脳裏に蘇る人の笑顔は確かに自分にとっては大切なものだった。だから嬉しいのだろうか。
「嬉しいというか…そうですね、確かに嬉しいのかもしれません。もう随分と忘れていた懐かしいことを思い出しました。思えばそのことがあったから、自分は今こうしてここにいるのではないかと、そう感じたのです」
「それって、流れ星にまつわることなのね?」
「そうですね、その通りです」
 ごろんと豪快に何度か回転して座ったヘルツの傍までやってきた は、瞳を輝かせて栗色の髪の青年士官へと迫った。まったく令嬢らしくない振舞いではあったが、年相応の子供らしくもあり、ヘルツは何も言わず少女の笑顔を受け止めた。
「ぜひぜひ、そのお話を聞かせてもらいたいです、ヘルツ大尉!」
「大したことでは御座いませんし、とくべつ楽しい話という訳でもないと思いますが…」
「我儘いってごめんなさい、でもとっても気になるから聞かせてもらえたら嬉しいと、個人的に思います」
 変な方向へ話が転がってしまったとヘルツは思う。
「本当に、私事なのですが…よろしいので?」
「ヘルツ大尉さえかまわないのなら」
 そこまで言われると、喋らないのも気が引ける。特に隠したい過去という訳ではなかったので、ヘルツは少女の黒髪に絡みついた芝生の葉を取ってやりながら、語って聞かせるために頭の中に己の子供時代を思い浮かべた。
 三つほど数えた頃、二人の頭上で相変わらず沢山の星が降る中、子爵邸の庭先でヘルツはゆっくりと語り始めた。



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