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天使のつばさ、悪魔のしっぽ
04


 何かがおかしい。ウルリッヒ・ケスラーの中にある常識というものが、現在の状況に対する違和感を強く主張していた。
 薄明に浮かび上がる、可愛らしさとはかけ離れたかぼちゃの顔もおかしいし、行き交う人間の出で立ちも普通ではない。祖母が若かりし時代を彷彿とさせるドレスを見ることもあれば、子供の寝物語の登場人物かと見紛うばかりの赤ずきんや木こり、弓を背負った狩人の服装をしている者もいる。
 そして自身の恰好もおかしい部類に入るだろうと、ケスラーは我が身を振り返って客観的判断を下した。
 現在のケスラーは土色の髪の隙間から犬耳をのぞかせ、尻にはふさふさした尻尾を垂らしている。別にこのやけに本物らしい犬耳に高性能の集音マイク機能があるわけでもなく、飾り尾が本来の四つ足の獣にとって重要なバランサーの役割を果たすわけでもない。全て、遊びの仮装なのである。
 仮装をして警備に勤しめなどという、そんな馬鹿げた命令が帝国軍人に与えられて良いものかと、彼は随分と葛藤を覚えたものである。
 だが、これは軍務なのだった。何度目だろうか、己に言い聞かせて溜息を漏らしそうになる口元を引き締める。
 気が抜けそうになってしまうのは、長らくぬるま湯のように暇な毎日を過ごしていた為だろう。机に座るだけの毎日に比べれば、犬耳を装備しながらであろうとも警備を務めることはよほど有意義に違いない。彼は現在のところ軍務を果たす充実感に――やや難はあるものの――満たされていた。
 あの時、黒髪の少女の言ったことは真実となったのだ。今後は嫌でも走り回ることになるとは予言し、果たしてその通りケスラーは10月の末日に開催予定の祭のために奔走することになった。
 一ヶ月前、昨日と変わらぬ一日を繰り返すのかと机に座った彼の前に、突如として与えられた命令。それはオーディンの帝国軍総司令部や憲兵本部といった軍の指揮系統ではなく、子爵領を治める領主からの要請に基づくものであった。
 領主が記したという書面を片手に彼の前に立ったシルヴァーベルヒと名乗る官吏は、有無を言わせず祭当日の警備の任を押し付けていった。
 前触れもなかった訪問にケスラーは唖然とし、ようやく出たのが軍人らしからぬ動揺しきった声音である。
「なぜ小官なのでありますか」
「仔細は分かりかねるが、ウルリッヒ・ケスラー少佐なる有能な人物に任を託せと閣下が仰せなので」
 ケスラーは仰天した。
提督が小官を!」
 パランティアの英雄の活躍を描いた物語は、子供の頃に心躍らせ読んだ。ケスラーが宇宙艦隊勤務に憧れる一端は、そういった宇宙戦記に昔から親しんでいたせいでもある。本の中の英雄が自分を見初めてくれたのかと、ケスラーの胸は興奮に高鳴った。
 しかし、どこか皮肉げに笑う表情の文官はケスラーの憧憬をすぐに一蹴した。
「いや、そちらの閣下ではなく、私が申し上げたのは子爵夫人の方だ」
「子爵夫人?」
「当代子爵であらせられる、様のことだが。ああ、貴方の仰りたいことは概ね理解できる。大方、貴方は子爵夫人との面識が一切ないというのだろう」
 その通りであったのでケスラーは素直に頷き、困惑を露わにした。
「はい、一度もお目通りしたこともなく、なぜ子爵夫人が直々に小官を指名なさるのか見当も付きません」
「まあそうだろうな、ブラッケらの時と同じ手口らしいからな」
「は?」
「子爵夫人には才ある人間を嗅ぎ分ける才能がおありらしい。これを名誉と思い、任に励んで欲しいものだ」
 結局、子爵夫人の使者たるシルヴァーベルヒは詳しい説明を与えず、警備協力要請の書面を置いた後には多忙を口にして足早に去っていった。
 皇帝陛下および内務省および典礼省認可の下、皇帝陛下に代わり所領を治める領主たる貴族は、彼の者の治める領内に駐留する帝国軍に対し治安維持における協力を要請しうる。
 帝国軍法にも記された一文が脳裏を駆け巡ったのも束の間、抗う術も地位も持たないケスラー少佐は否応なく警備任務の采配を揮うことになった。
 警備といっても、他領の駐留帝国軍がしばしば請け負うと噂に聞く領民蜂起の弾圧や、思想犯の検挙と言った仕事ではないことにケスラーも安堵した。
 軍務にあたっているケスラーの目前で繰り広げられているのは、楽しげな宴なのである。少佐たるケスラーの下に舞い込んでくる報告も、酒に酔った人間を落ち着かせたり、迷子を保護したりと、平和極まりない件ばかりだ。自身や部下の出で立ちも多少は仮装の宴の雰囲気作りに貢献しているのか、はたまた盛り下げているのかはわからないが、今のところ特段の治安悪化は見られず、とりあえずも警備の任は全うできているとケスラーは自負している。
 ケスラーは仮装に身を包んだ人々で活気溢れる庭園から、子爵領統治府の庁舎へと視線を向ける。
 辺境へ赴任して一年、これまであまり考えたことはなかったが、一体この子爵領の領主である・フォン・子爵夫人とはどのような人物なのであろうか。
 子爵領統治府の文官が彼の元を訪れて以来、ケスラーは子爵夫人に関する情報を収集していた。
 不慮の事故で父母を失い、十歳の身空で爵位を継承した少女。現在は十一か十二になるのだろう、風聞によれば才知に長けた優秀な子供であるらしい。
 とはいえ後見人である祖父が表舞台に立ち、当の少女は普段それほど領民の前に姿を見せないとも聞く。ケスラーも、実際に辺境を治める子爵家の幼い当主にまみえたことはない。
子爵夫人、か)
 建物の三階中央部分に、庭園へと張り出したバルコニーがある。そこにあった人影は既にないが、ケスラーは数時間前に見た光景を思い描くよう目を凝らした。
 誰が言ったものか、目敏くバルコニーにあった小さな背丈の影を指さし、あれは様に違いないと周囲がざわめいた時、ケスラーも遠目に姿を追ったのである。
(フロイライン・シュトルツァーとよく似ていたが…)
 その時に見えた横顔は、自分もよく知る黒髪の少女に思えてならないケスラーである。
 かぼちゃのランタンの光量は低く、夜闇の合間に捉えた一瞬であるから、あるいは見間違いかもしれないとも思う。
 たっぷりと布を取った純白の衣を革の紐帯で締め、背には小さな羽を背負っていた。貴族の少女らしい優雅な出で立ちは、天使を模したものだったのだろう。
 予断を持たず考えろとケスラーは自分に言い聞かせる。事実の整合性が取れないのは、どこかに偽りの情報があるからだ。
 自分が見間違えたか、あれが子爵夫人というのが誤りだったか。そう考えれば辻褄は合う。
(本当にそう考えるだけで良いのか?)
 思えば・シュトルツァーに関して人柄や性格は知っていても、その他に裏打ちされた情報は何もない。
 聡い少女の知識量に舌を巻くことも度々であったし、貴族ゆえの教育を受けたからだと考えると――。
(常識的には、ああいった為人になることはない、か)
 辺境に左遷を食らった一少佐であるケスラーを欺いて、彼女の得になるはずもなかろうし、貴族というのは普通もっと横柄で世間知らずなものだと、ケスラーは疑念こそが偽りだろうと思った。
 ・シュトルツァーはたまたま子爵夫人と同年代で、良く似た背格好だったのだろう。
「あ、少佐さんだ。こんばんは!」
 耳馴染みのある声に視線をやると、かぼちゃの変な顔がある。
 オレンジ色のかぼちゃをくり抜いた口の部分から、ぱっちりとした黒い瞳がのぞいている。
「フロイライン・シュトルツァー……かい?」
 ケスラーが問うと、かぼちゃが頷こうとしてバランスを崩した。黒いマントから出た手が慌ててかぼちゃを支え、どうにかかぼちゃ頭は地面に落下せずに済んだようだ。
「おっとっと。そうです、少佐さん、お疲れ様です。勤務中に話し掛けてごめんなさい」
 ケスラーは破顔した。同時に、安堵もした。やはり自分が見た羽を背負った少女は、ではなかったのだ。
「いや、今は休憩中だから気にしないでくれ。かぼちゃの仮装とは斬新だね。初めて見るよ」
「かぼちゃが意外に重いし、ちょっと失敗したなーって思うんですけど、一年に一度くらいこういう恰好をしてみるのもお祭りだから楽しいですよね。少佐さんも、仮装きまってますね!」
「そう言われると少し複雑なのだが」
 頭の上にある耳をつまみながら照れ笑いで複雑な心中をごまかしたケスラーは、かぼちゃの隣に立つ青年へ視線を転じた。
 自分と同じように軍服に身を包み、その上で犬耳と尻尾を装着している栗色髪の大尉である。
 ケスラーの視線に気付いた少女は、かぼちゃ顔を両手で支えながら言う。
「あ、こちらは兄の友人のヘルツ大尉です。今は兄が軍務で一緒にいられないので、私の面倒を見て下さっているんです。ヘルツ大尉、こちらは帝国軍駐留基地のケスラー少佐。オーディンで知り合ってから、何度か食事をご一緒させてもらっています」
「はじめまして、ケスラー少佐殿。小官は子爵領軍第一宇宙艦隊司令部にて戦術参謀を拝命しております、マティアス・フォン・ヘルツ大尉であります」
 ヘルツ大尉は礼儀正しく敬礼をし、ケスラーも倣って答礼し、自分の所属と階級を名乗った。
 一瞬、の兄である軍曹が将校である大尉となぜ友人となれたのかと疑問を抱きはしたものの、少佐である自分が軍曹と酒を飲むこともあるから、それほど奇異ではないのだろうとケスラーは浮かんだ違和感を再び打ち消した。
 挨拶を済ませ、ケスラーはしばらく仮装の宴についてやヘルツ大尉と談笑した。
 そして他愛もない立ち話をした後、かぼちゃ頭のはいそいそとマントの内側から綺麗にラッピングされた袋を取りだし、ケスラーへと差し出した。
「これ、少佐さんに。このお祭りでは、日頃お世話になっている相手にお菓子を送るっていう趣向があるそうなので」
 の被るかぼちゃと同じ顔をした、丸々とした団子というお菓子を受け取って、ケスラーは穏やかな気持ちになる。
「ありがとう。今夜、ゆっくり食べることにするよ。私もなにか用意しておけば良かったな、そういった趣向がこの祭にあるとは知らなくて」
「いいんです、お忙しいのに。私はあちこち食べ歩いて帰りますから、気にしないで下さい」
 ゆらゆらと左右にかぼちゃ頭を揺らしながら、は手を振って気にしないでくれと何度も言った。
 その弾みでか、の足元に何かがドサリと落ちた。
「あー、また落としちゃった。大丈夫かな?」
 は慌てたような声で拾い上げようとしたものの、重量のあるかぼちゃ頭が邪魔で素早く屈伸できないらしい。
 ケスラーは笑いながらを押し止め、落ちた袋を拾おうとして、その包装紙が破れていることに気付く。空いた穴からは、白い粉が零れていた。
「破れてしまっているな。新しい袋が必要かもしれない」
「どうしよう、それ、私のものじゃないんです。落とし物を拾ったから、こちらの警備本部に届けようと思って持ってたんですけれど」
 屈んだケスラーは地面に拡がった粉末に、手を伸ばす。違和感。なぜ白い粉をラッピングしてリボンまでかけるのだろうか。
「これを落とした人を、見たかい?」
「中肉中背の男性でした。仮装ではなく、普段着のような黒服を着ていました。落とし物と声を掛けてこちらを振り向いたのですが、足早に人混みに紛れてしまったのです」
 ヘルツ大尉の説明を聞き、更に違和感を強めたケスラーは、部下を呼んで検査用の試薬を持ってこさせた。
 何が起こったのかと目を白黒させる少女を待たせながら、ケスラーは白い粉を小さな匙で検査用プレートへと掬い上げ、その上に薬品を一滴垂らした。
 試薬が赤く変化した場合、それは検査対象物があるものであることを証明する。
 ケスラーは検査結果を視認した。赤。
 意図せず、ケスラーの声は厳しいものになった。
「これは、サイオキシン麻薬だ」
 サイオキシン麻薬。化学的に合成製造される麻薬の一種であり、中毒性が高く人体への悪影響も認められ、銀河帝国においては単純所有さえ刑罰の対象になる。その取り締まりに関して、自由惑星同盟と銀河帝国が秘密裏に協同捜査体制を敷くほどであるが、いまだ流通の撲滅には至っていない。
 これは治安を悪化させる物品であるから、警備の任を与えられているケスラーにとっては重大な事件であった。
 ケスラーは更に詳しい事情を聞こうと、ヘルツ大尉と黒髪の少女をみやった。
 は事件に巻き込まれて不安げな表情をしているかと思いきや、どこか怒った顔がかぼちゃの口から覗いている。
「サイオキシン麻薬? ダメ、絶対。許さないんだから! ケスラー少佐!」
 普段の可愛らしい声とは違う、力強い音にケスラーは思わず背筋を伸ばした。
「いますぐ、捕まえましょう!」
 何かがおかしい。ケスラーは再び思った。


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