BACK TOP


お寿司戦線、援軍を乞う02


 果たして、決闘沙汰をうまく決着させるために、三日三晩(と、に巻き込まれた子爵家の面々)はほぼ不眠不休で事にあたった。
 ロイエンタールの所属部署や、決闘相手の男たちとその婚約者らの身辺情報を調べ上げ、取引材料として何を積むのかを考えた。
 報告して縋った祖父とミュッケンベルガー上級大将には、哀れなものを見るかのように扱われ、それでも有能な軍人に未来を、と嘆願した。
 グルメ事業で稼いだ身銭を携え、アマーリエ・フォン・ブラウンシュヴァイク公爵夫人に話を通した際には、綺麗な物好きなのねえ、と言われる始末である。
 ロイエンタールが勝った暁には、という条件付きでは各方面に話を付けた。決闘で負けること即ちその場での彼の死である、と憤る決闘相手らの家門からの返答もあった。
 彼らは素行不良なロイエンタール大尉の勝利を疑っていたが、には一切の懸念はなかった。
 だってロイエンタールだし、という根拠にもならぬ根拠をは信じている。そして謎の確信をもつ黒髪の子爵夫人に対し、子爵家の人々は既に慣れたものなのである。
 そして、決闘の日。
 天気は秋晴れ、アルベンヌ伯爵家の馬場がある敷地に、は睡眠不足の体を引きずって参列した。
 立会人とはいえ決闘には危険が伴うので、実際にはの護衛官のひとりでロイエンタールの知己でもあるヘルツ少佐が立会人の代理として立ち、日傘を片手に優雅に傍観者をきめこむらは遠巻きに見守っていた。
 ロイエンタールは、にとっては当然ながら、三人の婚約者らを文字通り圧倒し、再戦不能にした。
 ひとりはブラスターで右手を打ち抜き、もう二人はサーベルで立ち上がれぬ程の傷を肩や腿に与えたのである。
 退くまでひと悶着あるかと思いきや、彼らは控えた医師や従者に担がれて意外なほど大人しく去っていった。婚約者の名誉回復のため命を懸けた名目は立ち、うつつの恋慕に身を焦がした令嬢らは男たちに頭が上がらなくなることで、充分に得るものがあるのだろう。
(あとは、結局のところロイエンタールが戦地で死ぬと思ってるんだろうなあ)
 各方へ落着を依頼し立会った子爵夫人の身としては、絶対に相手を殺さないでくれ、という願いをロイエンタールが聞き届けてくれてよかったと寝不足の頭で思うだけである。それが裏取引において肝要な点であり、約定を守ったことでロイエンタールの此度の騒動における身の安全が確定したのである。
 生死を争ったにも関わらず余裕綽綽のロイエンタールは、絵画の如く美麗な動作でサーベルの血を払い、さらに布でひと拭いして刃を鞘に納め、こちらへ向かってきた。
 日傘を仕舞った子爵夫人として、一礼する。
「勝利をお祝い申し上げます。ロイエンタール様」
「立会の世話になった、子爵夫人。それにどうやら、何らかの手を打った様子だな」
 三日前まで怒髪天の勢いであった男たちが、捨て台詞もなく帰ったことに察したらしきロイエンタールに、は告げる。
「はい、私も努力して根回しをしましたが、ロイエンタール様はこの後に降格されて、過酷な前線に左遷されると思います。頑張って生き残ってください」
 ふむ、とロイエンタールは幼くも見える・フォン・子爵夫人の言葉を捉えて思考する。
 もとより我が身の生死も怪しくなりかねない状況と覚悟はあったが、過去のシミュレーション相手が律儀にロイエンタールの命綱を守ったことは意外であった。しかしながら、損耗率の高い過酷な前線送りでは単に寿命を数か月ながらえたに過ぎないと捉えることもできる。
「そうだな、せいぜい足掻いてみせよう。元帥杖を掴むまではな。それにしても…」
 ロイエンタールは、額にかかる黒髪をかきあげる。
「俺が軍人を続ける確信がある口ぶりだな?」
 軍籍を抜けて本気で逃げ出せば、刺客や前線勤務にも直面せずにすむ可能性は存在するのではないか。そのつもりは微塵もないが、彼が逃避を図る道を・フォン・は全く考慮していないように見えて、ロイエンタールは問うたのだった。助命や名誉の維持を嘆願して回ったであろうこの令嬢も、当の本人が逃亡すれば面目もつぶれるに違いないのだが、ロイエンタールの逃げぬという思惑を信じているような口ぶりが、年頃相応の純粋さによるものか、それとも別のものに由来するのかを知りたくなったのだった。
 黒髪の子爵夫人は、目の下に隈のある疲れた顔に、眉根を寄せてロイエンタールを見上げている。そして直截に問うてきた。
「ロイエンタール様は軍を退くのですか?」
「Nein(否)」
「ですよね。でも確かめず失礼しました。当然に軍務を継続するものと、落としどころを前線勤務で実力に任せるという話にしてしまいましたので……」
 少し戸惑った表情を見せた年若い少女に対し、ロイエンタールの身の内に愉快な気分がこみ上げ、珍しくも声を漏らし破顔した。
「はは、これは失礼。子爵夫人はこの我が身に、俺自身よりも信を置いているらしい」
 結局のところ、すべては彼の実力次第に任せるという意図をこの少女が持っていることが、大層おかしく思えたロイエンタールである。
 彼女は最初から三人相手の決闘にロイエンタールが勝利することを、恐らくは疑っていなかった。そして、軍内や貴族関係の根回しはするものの、彼が軍人の道を捨てず、前線で命を懸け生き残ることを、なぜか信じているらしい。
 いまだ幼く色香の乏しい・フォン・子爵夫人の行動原理が、彼女のいうよう若い少女の憧憬や恋慕からのものでないとして、ロイエンタールの明晰な頭脳をもってしてもその理屈は全く見通せない。領主という責務によって、有能を自負する自分のような軍人を麾下に置きたいのかと尋ねた時も、そうとは断言しなかった。
「何故だ?」
 笑いを収め、ロイエンタールは黒髪の少女に問う。
 疲労抜けきらぬ風情の・フォン・は、ううむ、と唸って見せる。
「何故でしょうかね? 貴方は勝ち、軍人として前線でも生き延びて、いずれ元帥杖を手にする。その方が私も嬉しい。結局は自己満足ですかねえ。だから気にしないでください。私がいなくても、ロイエンタール様は決闘に勝って今も生きていたでしょうし、その先でも戦って様々なものを手に入れていくでしょうから」
 そして、なぜか確信を黒い瞳に宿して言うのだった。
「貴方には、それだけの力があるはずです」
(だって、ロイエンタールだし)
 はオスカー・フォン・ロイエンタールの輝かしき未来を『知っている』が、現時点では無論、形になっていない姿を他の誰も知ることはない。
 この身は女遊びの果てに決闘沙汰を起こした素行不良な大尉風情であるはずだと、ロイエンタール自身が思っている。果たして、この身には何かを掴みとれるだけの力があるのだろうかと、彼自身もいまだ疑念の中にいる。だが、彼自身がときおり疑いたくなるものを黒髪の少女は信じているらしかった。
(俺の、何を見ている?)
 何故と再び彼が問う前に、根回しに気力を使い果たしたらしき少女は欠伸をかみ殺すような仕草をする。
「あのう、今はうまくご説明できる気がしません。私、もう眠いから自分が何を言うかわからないので、今日はこれでお暇させてください。明日にでも食事をご一緒してそこで改めてお話したいです。でもとりあえず……」
 ロイエンタールの疑問を解消することなく、幼い子爵夫人は小さな掌を差し出してきた。
「握手、してくださいます?」
 唐突であったが応えるに否はなく、ロイエンタールが己の手を伸べると、意外にも力強く少女が握る。
 同じ程度の強さで受け返すと、幼い少女が柔らかく相好を崩した。
「握手ができて嬉しいです」
「そうか」
 ぶんぶんと繋いだ手を二度ほど上下に揺するのに、ロイエンタールは身を任せる。
「勝利のお祝いにご馳走します。また連絡しますね、さようなら、ロイエンタール様」
 ぱっと手を放した・フォン・は、軽やかに身を翻し、護衛達とともに去っていく。
 その後姿を、ロイエンタールは消えやらぬ不可思議な気分で眺めた。

 *******

 翌日の昼、は自ら開いた店にロイエンタールを招き、戦勝の祝いとして寿司を振舞うことにした。
 決闘の余韻などまったく感じさせず、約束の刻限どおり、一部の隙もなく端正に軍服を着こなす金銀妖瞳の麗人は現れた。
 寿司を食べる英雄の図を果たすべし、と内心で意気込むであるが、その前に済まさねばならぬことがある。
 は覚悟を決めて、挨拶もそこそこにテーブル越しに一息で宣言した。
「ロイエンタール様、本日は食事にお付き合いくださってありがとうございます。決闘も無事終わって、前線送りは大変だと思いますがこれから頑張ってください。あとは寿司を楽しんでください! 念のため付け加えておくなら、貴方とはお友達より発展した異性関係は望んでいません!」
 オスカー・フォン・ロイエンタール大尉は予想外すぎる挨拶にも、わずかに片方の眉を持ち上げた真顔で応じる。
「此度は、我が身の助けとなって下さったこと、改めて感謝を申し上げる、子爵夫人。御身のご配慮なくば、本日の安寧もなかったでしょう。この先は、無様に死なぬように戦場で奮戦して参る所存」
 ロイエンタールは、美しい仕草で敬礼を施した。
「念のため付け加えるなら、お若すぎる子爵夫人と発展した関係を持とうと思わぬ程度の良識と節度は、我が身に持ち合わせているつもりだが、さて、淑女からのお誘いで昼間の密会は周囲からどう捉えられることかは、不肖のこの身では案じる他ないが」
「えっ!?」
 はロイエンタールの述べた解釈に驚き、店内に控えた子爵家の護衛らの表情を窺ってみると、ヘルツ少佐は困り顔で頷き、カイルは能面の笑みを浮かべている。
 視線を金銀妖瞳の青年士官に戻すと、気付いていなかったのか、と言わんばかりの冷たい眼光と表情である。
 は、必死に脳内を動かして、これしかあるまいと言い訳をなんとか捻りだした。
「そのう、私、パトロネスになりますから、ロイエンタール様の! ほら、身体で返してもらうとお伝えしたじゃないですか! あれです、あれ!」
 背後の面々の困り顔の度合いが深まり、能面の笑みはいまにも爆笑せんばかりに変化し、目前に立つロイエンタール大尉は数瞬の後、丁寧に問い返してきた。
「……意図を図りかねるのだが」
 パトロネス、身体という単語が飛び交うと、異性関係の不始末で決闘沙汰に至ったロイエンタール本人も、出資の代わりに何を求められるのかと身構えてしまうのも無理はなかったが、は男性らの戸惑いにはまったく気付かず、勢い込んで答えた。
「つまり、ロイエンタール様には、私の行っている事業の宣伝係になってほしいのです! 本日お招きしたこの寿司という料理ですが、マローネ伯爵家やブラウンシュヴァイク公爵家のアレンジも素晴らしいのですが、本来はもっと素朴で飾り気も少ないんです。けれど、帝国では料理の構成要素が少ないことは、すなわち貧相ととらえられてしまうので、そうした印象を覆すためには、広告宣伝が大事だと思うのです! ロイエンタール様は、女性関係は、まああまり褒められるものじゃないと思うのですが、なんといっても姿が麗しいので、貴方が美しく食べてくれるだけで、この素っ気なく見えてしまう料理が素敵に見えてくるはずなんですよ。だからロイエンタール様がオーディンに滞在していて、女性との逢瀬をされる際には、このお店を使ってください! 味は保証しますから! とりあえず食べてください!」
「……ああ、成程」
 確かに、子爵夫人は彼の造作を求めていたようである。商業的に。
 あまり喜ばしいことではないが、曲がりなりにも恩義がなくもない相手からの頼みであるし、便宜を図ることは無論、ロイエンタールも吝かではない。
 それに異性関係が否定されたとして、この申し出は貴族的な後ろ盾になるという宣言にも聞こえるが、果たして幼い子爵夫人は気付いているのだろうか?
(今回の騒ぎを子爵夫人が始末したことは公然の事実であるし、今更か)
 誼を繋いで不利があるかと問われれば、ブラウンシュヴァイク公爵家にも覚えめでたく、さらに帝国軍内にも伝手があるらしき子爵家は悪い選択ではないようにロイエンタールには思われる。
 何より、この黒髪の子爵夫人はロイエンタールを買ってくれており、その対価が指定のレストランで食事をするだけで済むのならば、彼には何の労苦もないに等しい。
 彼の外観を人寄せに利用しようとするならば、ロイエンタールは拒否していただろう。しかし、・フォン・子爵夫人の言動は前線からの帰還を前提としており、つまりは帰ってこられたのなら席を用意する、という意味にもとれる。
「承りましょう」
 告げると、ほっと安堵したように笑う子爵夫人を御しやすいとみるべきか、それとも他人の決闘沙汰に首を突っ込んで落着させる手腕の持ち主とみるべきか、ロイエンタールはいまだ心が定まらない。
 お互い立ち話もなんだから、と笑う子爵夫人に椅子を勧められ互いに席につくと、料理の開始の合図が出される。
「前線からオーディンに戻って、女と会う前提とは酔狂なことだ」
「効果的な宣伝になりますよ、必ず。だから戻ってきたら連絡をくださいね。あと、勿論、男性と一緒にお食事するのも歓迎致します」
 何ら他意のなさそうな笑顔で言われると、心ならずも愉快な気持ちがこみ上げるロイエンタールである。
 傍らで寿司を満面の笑みで頬張る子爵夫人は、いまだ齢十三の少女のはずだった。だが普通、この年頃の少女は爵位があるといえど軍学を学ばないし、決闘の立会人に手を挙げたりはしない。さらに三日の内にろくに知りもしない下級貴族の軍人に対する根回しを寝不足になってまではしないし、前線で戦死する可能性の高い相手に対し、取引を持ち掛けたりはしないだろう。
 他人の意図など知るものかという至極当然の感情と同時に、その何故を理解したいという自己の矛盾をロイエンタールは自覚するのだった。
『貴方には、それだけの力があるはずです』
 何がこの少女にそれだけの確信を抱かせたのだろうか、とロイエンタールが思案するのを露とも知らぬは、感動に打ち震えていた。
 かの高名なロイエンタールが寿司を食べ、さらには寿司を普及させるために協力してくれるのだ。
 決闘に首を突っ込んでみるものだ、とは思う。
 少なくとも、現時点でロイエンタールと・フォン・子爵夫人は友好的な関係であるはずだとは呑気に考えているが、実際の処、貴族的な誼を結んでいるなどとは露とも理解していなかった。
 こうして始まった二人の縁は、周囲に数々の疑念を抱かせながらも長く続いていくのだった。


BACK TOP