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鳥印の糧03


 リンツとシェーンコップは、下士官に提供された木箱を裏返した即席の椅子に向かい合って座った。ご丁寧に机まで用意されており、こちらも椅子と同じ木箱で、もともと弾薬が詰められていたのだろう、側面には“火気厳禁”の文字が躍っていた。無論、中身が消費された今では何も気にすることはない。
 とはいえ塹壕の中で大きな火を焚くことは不可能なので、待ち兼ねた夕食の加熱にはレーションに添付されたヒートパックを使用する。
 高さ5センチで両掌ほどの長方形の完全防水袋を開けると、こちらも密閉された大小のパックが幾つも入っている。何度となく戦場でレーションを食しているリンツは、慣れた手つきで中身を選別し、温めるパックだけを取りだして加熱用の袋に投入した。しっかり封をして袋の端の紐を引くと、アルミニウム粉末と酸化カルシウム、塩化カルシウム水溶液が反応して発熱し、冷えた飯が出来たてのように温まる仕組みだった。
 先に支度を始めた兵は、既に食べ始めている。
 薄暗い穴ぐらに漂う匂いが、リンツの空腹感を強くさせた。加熱のための待ち時間は僅かだが、今のリンツには時間の流れが随分と遅く感じられる。しかし、数分待てば戦場で唯一ともいえる楽しみを味わえると思うと、焦らされるのも悪い気分ではなかった。
 きっかり三分ちょうどでリンツは袋を開け、お待ちかねの鳥印レーション3番を取りだした。
「カレーか?」
「ええ、鳥印が次に回ってくるのはいつになるかわかりませんからね」
 リンツと同じように飯支度を終えたシェーンコップが、こちらの手元を覗き込むこともなく言った。独特のスパイシーなカレーの香りは、見ずとも中身が知れるものだ。
 カレーの具材は豆や種々の野菜で、これを白いライスにかけて食べる。副菜としてついているソーセージを突っ込んでもいいし、中にはデザート用のフルーツパックを混ぜる者もいた。好みはひとそれぞれだが、リンツは目下オーソドックスなカレーライスを愛している。
 戦場に出るまで見たことも食したこともなかった料理だが、変な色合いであることを除けば、これほど味わい深いレーションは他にないとリンツは思う。後方待機の時に街でカレーを探したが、殆どみかけたことがない。故に、リンツは時折このレーションのために前線へ出たくなることがあった。とはいえ薔薇騎士連隊の駐屯地は最前線以外だった試しがないので、リンツの願いは多くの場合すぐに叶えられたが。
「いつもカレーを食ってるんじゃないか、お前さん」
「鳥印でしか食べられないんで。誰かカレーを出す店でもやってくれたらいいんですがね。隊長こそ鳥印となれば、いつもそれじゃないですか。そんなに好きなんですか、チキンゴモクが」
 シェーンコップの膝の上に乗る鳥印8番が、白い湯気を上げている。調味料で味付けされた褐色がかった粘りけの強いライスに、チキンや茸などが混ぜられており、こちらも銀河帝国、自由惑星同盟ともに馴染みの薄い料理であった。
 馴染みが薄いどころか、カレーと同じく見聞きしたことがない類の料理である。何の調味料が使われているのかリンツには見当もつかなかったし、チキンゴモクに使われるライスは普通のものと比べて粘りがある。リンツがいつだったか基地の炊事兵に尋ねたところ、おそらくアミロペクチンのみの米なのだろうと言われたが、とにかく普通のライスとは異なる種類であるらしかった。
「女と酒の次くらいには気に入っている。このもっちり感が女と似ている気がしてな」
「それはそれは、随分とお気に入りですね。良いことに違いない」
 リンツはシェーンコップの台詞をあっさりと聞き流し、早速カレーに手をつけた。
 ライスとともにとろみのあるカレーを掬って食べ始めれば、あとは無言で手を動かすだけだった。シェーンコップも同様に口数少なく、あっという間にチキンゴモクを平らげた。戦場での食事は、どんなに美味しいものでも迅速に済ますのが常識であった。急な襲撃で食べ損ねるよりは、味わう暇が乏しくとも、とにかく摂取したほうがマシなのだ。
 空になった容器を置いて、リンツは添付された粉末飲料をカップに空け、先程カレーとともに温めた水を注ぐ。できた即席紅茶は、食後のデザートのお伴となる。シロップに浸かったフルーツではなく、もう一方のパッケージを彼は開けた。
「それにしても、美味しいからいいものの鳥印のメニューを考えた奴、よほどの変人ですね」
 リンツは丸いパンケーキを手にして、しみじみと呟いた。
 円形のパンケーキは二枚が合わさっていて、その間には黒いスイートビーンが詰まっている。
 これもリンツは鳥印のレーションで初めて口にした食べ物だった。ドラヤキという名らしいことは、パッケージのラベルで知った。
 レーションに要求される要素はいくつかあるが、栄養価、持ち運びの利便性、調理の手軽さ、長期保存性が最重視される傾向にあるのは当然のことといえた。食事の目的はエネルギー補給である。戦場で戦闘を行う成人男性の体力維持に充分な栄養価がレーションには第一に求められ、次いで輸送や補給の都合で小さく軽いほうが有利なために、運搬や携帯における機能性が追究される。食べる際の時間や手間を減らす工夫が必要なのは、レーションが使用される場所の性質に起因している。迫撃砲が飛び交うなかで、悠長に食事できる余裕があるほど戦場は甘くない。
 そういう訳で、レーションでは基本的に見栄えや味が二の次とされるのは致し方なかった。娯楽の乏しい戦場では食事が重要な息抜きであるため、味や品質が追究されてきた歴史はある程度は存在する。それこそ塩加減ひとつで、兵士の士気の維持に影響してくるためだ。
 しかし物事には限界があって、保存性や携帯利便性、ついでに企業利益が加味されれば、レーションの味は結局の所まずくはないが美味くもない、というレベルを彷徨うことになる。そしてレーションのメニューは、決して趣向を凝らしたものにならない。食べ慣れたもの、つまりお袋の味を前線の兵士は恋しがるものだと思われていたからだ。
「おれとしては、栄養が摂取できて美味ければ更に言うことはないが、そうだな、これを作った奴が普通じゃないということには、おれも同意する」
 ジェイド・コーポレーション、兵士たちにはその青い鳥の社章から鳥印と呼び習わされる企業が製造するレーションは、それまでの通念をひっくり返した。
 ジェイド・コーポレーションは、誰も見たことのない種のメニューをレーションに採用したのである。
 噂によれば古き地球時代の料理を復活させたものらしいが、鳥印がレーションを軍に提供し始めたばかりの頃には、見慣れぬメニューを兵士たちは歓迎しなかった。だが他に食べるものがなければ、見慣れていようがなかろうが食べなければならない。そして食べてみて、兵士たちはそのレーションの飛び抜けた美味しさを知った。
 鳥印が同盟軍に採用されたのはつい数年前のことだが、今ではその名を知らぬものはいない。それどころか、多くの兵士たちが前線で鳥印の配給を待ちわびている。鳥印以外のレーションだと、飯時にあちこちで愚痴が聞かれることも珍しくはなかった。
「考えたの、どんな奴なんでしょうね」
「さあな。誰であれ、うまい飯を作ってくれる奴はいい奴だ。たぶんな」
 シェーンコップはリンツと違ってドラヤキには手をつけず、フルーツを平らげてコーヒーを啜っていた。連隊長は甘いものが得意な方ではなく、よほど腹が空いている時以外はレーションの菓子には手をつけない。そうして余った菓子の行き先は、いつも決まっていた。
「おい、ブルームハルト!」
 近い場所で同じように鳥印のレーションを食べていたブルームハルトは、シェーンコップに呼ばれて顔を上げ、危うく顔面に直撃しそうになった物体を持ち前の反射神経で掴み取った。
「やる」
 投げ渡されるというより、投げつけられたようにも思えるドラヤキに対して、ブルームハルトは喜色を浮かべていた。まるで犬が尻尾を振っているような喜びようだった。
「ありがとうございます!」
 ブルームハルトの甘いもの好きは、新入り以外は連隊の全員が知っていることだった。
 甘いものに喜ぶ表情は、とても銀河に勇名を馳せる薔薇騎士連隊員のものとは思えない。だが、ブルームハルトは幾多もの激戦をくぐり抜けた歴戦の戦士であり、若さの割に既に中隊をまとめる立場にあった。
「俺もやるよ、ほら」
「フルーツですね。少佐どの、ありがとうございます」
 シェーンコップとは違って緩やかな弧を描いて投げ渡されたパッケージも、無事にブルームハルトの手に納まる。
 すぐに食べ始めるかと思いきや、ブルームハルトは両手にひとつずつ貰い物のデザートを載せ、飯を目の前にしているにも関わらずぼんやりとしていた眼前の青年に差し出した。
「貰い物だけど、やるよ。冷えてても美味いから、後で食べろよ」
「えっ?」
 話し掛けられた青年の顔色は、薄暗い灯りの中でもそれと判るほど青い。
 見覚えがある顔だと、リンツは思う。しばらく考えて、昼の攻勢前に自分が励ました若い新兵だと、ドラヤキをほおばるリンツは思い至った。
 彼の手元にあるレーションはリンツと同じカレーのようだったが、分量が殆ど減っていない。それも仕方ないということをリンツは長い軍人生活で経験則として知っているが、あとの面倒はブルームハルトがみるだろうと、それきり彼は視線をはずしてシェーンコップと今後の作戦について検討することに没頭した。
「食えるときに食え。エネルギーを摂取しないと、動けないだろう。せっかくの鳥印なのに、勿体ないぞ。美味しくなかったか?」
「はい、いいえ。…美味しいです」
「ドラヤキを食べたことあるか?」
「ありません」
「これもやるから、いっぱい食べろよ。それで少し幸せになれる。腹がいっぱいになれば、よく眠れる。今日は夜間の哨戒はない。明日に備えて早めに休むんだ」
 新兵の青年は、ブルームハルトの顔と押し付けられたパッケージに忙しなく視線を往復させた。何が何だかわからない、といった風情だ。
「悩むのは生者の特権だが、飯を食うのも死んだ奴にはできないことだ、ビュッセル二等兵」
 そこまで言われて、ビュッセルはようやく目の前の上官が自分を慰め、励まそうとしていることに気付く。
 その日が、彼の初陣だったのだ。早朝に基地を出て午前中の戦闘では、自分でもびっくりするほど何でも出来るような気がしていた。だが激しい砲撃と予定されていた空戦隊の援護がなく、旗色悪く塹壕に潜るに至って、彼は恐怖が体中に蔓延するのを感じた。
 副隊長に励まされ、帝国軍を押し返す一戦が始まっても震えは止まらず、ただ死ぬまいとだけ思って戦斧を振り回して、そうして生き残った。
 塹壕へ戻る前に何度か嘔吐して腹は減っていたが、食事は喉を通らなかった。
 ただ何もかもがずっと恐ろしい。自分自身も、僚友も、上官も、この世界も。
 昨日までとは違う現実を、彼は知ったのだった。
「食べろよ」
 彼の所属する隊の隊長であるブルームハルトに促されるまま、ビュッセルは手を動かしてどろりとした茶色のスープを口にした。
 未知の味わいだった。少しだけ残っていた感覚が、味を認識する。
「美味いだろ?」
 正直なところ、不味くはないことはわかっても、どれ程の美味しさなのかビュッセルは判別しかねた。
 彼はようよう喉から声を絞り出した。
「はい」
「もっと食べろ」
 声に押されて、彼は何度もスプーンを口に運ぶ。
 その内に、美味しい、よかった、という気持ちが彼の内側に芽生えた。
 思い出せば恐ろしい光景が蘇る。けれど今は、温かな食事が彼を慰めた。
「泣くなよ」
「はい、はい…」
 初陣を済ませた青年は、それから鼻水と涙をすすりながらカレーをほおばり、生きた者だけが享受できる特権を十二分に行使した。



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