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鳥印の糧01


「酒が飲みたい。揚げたてのポテトが食いたい。焼きたてのハンバーグ、香ばしいブレッド、ああ、美味い飯が恋しい」
 血に濡れた戦斧を抱きしめるよう座り込んだ一人が、装甲服の面体を上げながら心底から請い願う声音で呟いた。
 狭い地下壕では、その声もよく響く。
「女は恋しくないのかい、坊や! 薔薇騎士連隊が聞いて呆れる。お前が欲しいのはムッターの飯か!」
 どこからともなく上がった揶揄に、美味い食事を望む隊員が負けじと言い返した。
「腹が減っては戦はできぬさ! 充分に寝て、食って、英気を養ってから夜の戦に出るもんだ。じゃないと戦果が上げられないだろう!」
「違いない!」
 めいめいが笑い、緊迫した薄暗い穴ぐらの空気が幾分か和らいだ。
 けれども誰かが放った空気の緩和剤も、迫撃砲弾が地面にキスするごとに天井から落下する土塊に、瞬く間に埋もれてしまう。
 誰もが疲れている。腹も減っている。忍び寄る死の気配に、戦いている。
「くそっ、いつまで砲撃が続くんだ。うちの隊の火力じゃ太刀打ちできそうにねぇのに、味方の援護はどうなってやがる!」
「さあな、奴ら寝てるんじゃないのか」
 炭素クリスタル製戦斧の血糊を拭いつつ、青緑の瞳を持つ青年が素っ気なく答えた。
 彼の隣で初陣に荒い息を吐く隊員が、やや青ざめた表情で上官の横顔を盗み見る。
「リンツ副隊長。援軍は来ると思いますか?」
「もしもそれを信じられるとしたら、お前は随分と楽天的だ。はみ出し者の俺たちが頼みに出来るのは、自分自身と、この連隊の仲間だけさ」
 リンツは新兵を慰めることなどせず、真実を告げた。
 薔薇騎士連隊<ローゼンリッター>。
 自由惑星同盟軍の一陸戦部隊であるが、連隊員は主に銀河帝国からの亡命者の子弟によって構成されていることで知られている。
 だがそれ以上に、その勇猛果敢さで自由惑星同盟、銀河帝国問わず勇名を轟かせており、彼らが通過した後には深紅の絨毯が敷かれるとして、部隊章の薔薇は当然の如く血の色で表されていた。彼らが敵に強いる流血によって、純潔の白薔薇は紅に染まるのである。
 その華々しい戦果の一方で、薔薇騎士連隊は非常に扱いの難しい部隊の代名詞として知られてもいる。理由は、その構成員の出自にあった。
「何しろ俺たちには、反逆者の血が流れてるんだからな。俺たちは帝国臣民にも、同盟市民にもなれない半端者。いくら五芒星に愛を捧げたって、振り向いて貰えない運命なのさ」
 もともと薔薇騎士連隊は、同盟政府が銀河帝国からの亡命者をいかに優遇しているかという政治宣伝を目論んで結成された経緯がある。ついでに、いつまた裏切るか分からない帝国からの亡命者子弟を、手っ取り早く放り込んでおくための部隊だった。しかし同盟新市民の中には偏見をバネに、それこそ命を捧げて亡命者という響きに付きまとう暗い印象を払拭しようと躍起になった者も多い。前線で活躍すれば亡命市民の地位は向上するだろうという希望の前に、旧帝国臣民の亡命第一世代は前線に立つしかなかったのだ、とも言える。
 血の繋がりはないものの同じ亡命者であった人々の働きもあって、銀河帝国の亡命者の係累だからとあからさまな差別を受けることはここ数十年殆どなくなったと言って良い。特に同盟軍内では、亡命者の親を持ちつつも高級将校の座を射止めた者もおり、薔薇騎士連隊からは連隊長から昇格して将官に名を連ねた者は現在までに二人いた。
 しかし薔薇騎士連隊の知名度には陰の面が存在していて、歴代連隊長のうち実に半数が祖国への逆亡命を果たしている事実も、また人々の知るところだ。ゆえに同盟軍は連隊に対して常に全幅の信頼を寄せるわけではないと折に触れて示してくるし、今日もそんな有難い意思表示を受け取っている。
 相変わらず、帝国軍の憎悪の洗礼は止む気配はない。
 こちらの擲弾兵も応戦しているようだが、火力で劣っているため白兵要員が突入するだけの弾幕を張ることができないでいる。
 戦況は全隊揃って地獄への行進中とは言わずとも、限りなくそれに近い状態に置かれていた。
 絶望するように言葉を失っている新兵に、リンツはもう一つの真実を囁いてやる。
「俺たちは、どこにいってもはみ出し者。だからこそ俺たちの結束は固い。俺たちは俺たち自身の力を信じる。もしもここで死ぬなら敵を十人道連れにして、赤い絨毯を敷いてやれ。いいか、それが薔薇騎士連隊だ」
 縋るように見上げてくる二十歳になったばかりの青年の胸当てを、リンツは拳で軽く叩く。
「お前の戦斧をふるって、愛しい帝国にお前の祖父さん達の分まで、返しきれない恩を返してやれ。騎士の誇りを見せろ」
「リンツ副隊長! シェーンコップ隊長から通信です!」
 携帯用高出力通信機を背負った兵に呼ばれ、リンツは新兵の肩をもう二度叩き、背を折ったまま立ち上がる。中腰で狭い壕を進み、待ち望んでいた通話に出た。携帯簡易通信機だけに、画像はなく音声のみだ。
「こちらリンツ少佐」
『シェーンコップだ。お待ち兼ねの朗報だ、リンツ』
 どんな時も余裕の態をを崩さぬ薔薇騎士連隊第十三代連隊長ワルター・フォン・シェーンコップの声が、リンツの精神に更なる平静をもたらす。
 連隊の半分を率いて、シェーンコップはリンツ達が潜った塹壕から数百メートル離れた岩山の陰にいるはずだった。
「援軍な訳はないでしょうね、あのとびきりけちな司令官殿では」
『人員補充はない。だが装甲車と武器弾薬、ついでに糧食も来た。バズーカに重機関銃もある。巻き返すぞ』
 基地防衛作戦の長は基地司令官だが、この男は随分と臆病な上に弾薬の消耗ばかり気にする能なしだった。武器弾薬より人の命が軽いのかと最前線を張るシェーンコップが威圧し、薔薇騎士連隊の敗走が司令官殿の失脚に繋がると説得してようやく渡された追加装備だった。
 そもそも連隊が窮地に陥っているのは、連携するはずだった空戦隊の地上掃射が行われなかったからだ。彼らは司令官の命令によって、基地防衛に専念することになったのだという。
 リンツは想像の中で、司令官殿を既に幾度となく縊り殺している。死んだ部下達の分だ。
 幾つか作戦を確認した後、シェーンコップは言った。恐らく口の端に笑みを浮かべながら、ウィンクの一つでもしている姿が、声音からリンツの脳裏に浮かんだ。
『敵を退却させたら飯にする。喜べ、鳥印のレーションだ。連中にも伝えてやれ』
「アイ、サー」
 それは確かに更なる朗報に違いないと、命令受諾の返答をして通話を終える。
 リンツが振り向くと、地下壕の中で息を潜めていた全員が、彼の言葉を待っている。
 鼓舞するよう、リンツは殊更に声を張り上げた。
「待ち兼ねた仕返しの時間だぞ!」
 戦斧の柄で地面を叩く音と、男達の歓声が淀んでいた穴ぐらの空気を大きく揺らす。
「隊長たちが補充された重火器で援護射撃と掃射を行う。敵の砲撃が止んだら、俺たちは突撃する。簡単だろう?」
「Ja!」
「飯は鳥印だ! 食い逃すなよ!」
「ひゃっほう! 腹を空かせたかいがあるぜ! 愛しの小鳥さん、待ってておくれ!」
「お前はさっきから飯のことばかりだな」
「生きる希望って奴は、どんな些細なことでもあるにこしたことはないぜ」
 快哉を叫ぶ陽気な兵に野次を飛ばす者も、意気が高じている。
 そうだ、穴ぐらに閉じこもっているままなど、薔薇騎士連隊にはそぐわない。地上で赤き花を咲かせる様を、奴らに誇示するのだ。
「こちらの反撃は機銃設置が終了次第開始する。総員、装備点検にかかれ!」
 急速に戦意と熱が膨らんでいく塹壕の中を見回し、リンツは先程まで怯えていた新兵の瞳に気力が復活しつつあることを見て取った。
 慌ただしく装甲や武装の最終確認を行う男達の間を抜け、壕の出口付近にリンツは陣取る。先駆けを他人に任せるつもりはない。
 小隊編制の都合上、新兵は彼の背後についた。話し声が聞こえる。
「ブルームハルト大尉、鳥印とは何のことでありますか?」
「何だ、お前、まだ食ったことなかったのか? 鳥印はレーションのことだ。とびっきり美味い、な」
「なぜ鳥印というのでありますか?」
「製造元のジェイド・コーポレーションのマークが鳥なのさ。軍はジェイド以外の幾つかのメーカーにもレーションを発注してるが、ここのは段違いだ。楽しみにしておけよ」
 会話が一区切り着く頃、自陣に向かってひっきりなしに飛び込んできていたラブコールが、気付けば疎らになっている。耳を澄ませば、着弾音は敵地に多い。隊長指揮の怒濤の砲撃が開始されたようだ。
 再び通信機が鳴った。今度は呼び出されたりはしない。合図だ。
 リンツたち薔薇騎士連隊の約半数の隊員は、獲物を窺う獣のように密やかに地下壕から這い出て、塹壕の陰に散った。
 左右で待機する小隊長に頷いてみせ、戦斧の柄を確認するよう握った。
 上空を飛び交う砲弾の音。己の息遣い、心臓の鼓動と呼吸が装甲服の内側で響く。
 リンツは、三秒を数えながら、肺に空気を溜め、止めた。
 零をカウントすると同時に、階段を駆け上がる。
「突撃!!」
 戦場に、薔薇が咲く。

 


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