01.目覚め

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 ―「E」を回収せよ―

 ヴェーダが指示したポイントは、地球や主な軌道衛星を結ぶ宇宙航路からは随分とはずれた場所だった。
「こんな場所に何があるっていうのやら」
 ロックオンが肩をすくめて艦橋のモニタをみやる。あるのは見た目には変哲もない、よくある小惑星帯。何か用がなければ広大な宇宙空間のなか、来ることもないポイントだったろう。
「ヴェーダが言うのだから、何か意味があるものなのよ、きっと」
「戦争根絶の目的遂行に役立つもの、なのかな」
 スメラギ・李・ノリエガの呟きに答えたのは、アレルヤの困惑気味の声だった。ロックオンは、横目で同僚であるティエリアを窺った。予想通り、眼鏡をかけた美しい少年は、目を吊り上げて厳しい口調で噛み付いた。
「ヴェーダは無意味なことを言うことはない。君はヴェーダの指示を疑うのか!」
「そういうわけじゃないよ、だけど…」
 アレルヤの感じている困惑は、ティエリアを除いてその場にいた誰もが感じているものだった。
 そんな空気や雰囲気をものともせずに言い放つティエリアのヴェーダを絶対視する姿勢に、スメラギは危惧を抱かざるをえない。精度の高い予想を行うシステムであっても、所詮は機械、人の突飛な行動を予測しえるのだろうかと、そんな意地悪な気持ちになる。けれどもそのような反論をしようものなら、紫色の髪の彼の機嫌のバロメータはマイナス方向へ振り切れてしまうだろう。
 溜息をついて場を収めようとしたところ、先に仲裁に加わったのは、やはりというべきかメンバの中の年長者、ロックオンだった。
「まあまあ、それでもただ『E』としか指示されないで、どんなものかわかんねぇものを回収せよ、といわれても、戸惑っちまうぜ。本当にそれがお目当ての『E』なのかわからないじゃねぇか。そういう点では、今回の指示はヴェーダらしくない抽象的なものだった」
「それに、なぜ回収役がガンダムマイスターに限定されているのかも謎だわ。ガンダムマイスターでなければいけない必然性が思い浮かばない…。可能性として挙げられるのは、マイスターでしか起動させられない何らかのシステムが存在しているということなのでしょうけど…」
 スメラギが考え込むように呟く。

 皆が感じた困惑というのは、回収の目的となる『E』の詳細が不明であることに起因していた。思い浮かぶのは新たなガンダムや兵装といった戦力向上に繋がるものだったが、それには多分の希望が混じっていることは、スメラギ自身もわかっていた。
「本来ヴェーダは私たちに指示をだすようなシステムじゃなくて、予想を示してくれるもの。私たちがヴェーダが示したプランに従わなければならない道理はないわ。その点でも、今回のミッションは例外中の例外よ」
 スメラギの言は、ここに来ることが決定するまでに幾度も話し合われたものの一つだった。
 ヴェーダは確かに高度な演算処理能力を持った予測システムであり、その予測の精度は預言と信じたくなるほど高いものではあるが、ミッションプランを実行するか否かの決定権はソレスタルビーイングの構成員、特に戦術予報士のスメラギ・李・ノリエガにあるといって良い。
 ヴェーダが突如として表示した『E』回収プランには、現状を鑑みて特段、実行する必要性は感じられなかったし、当然、緊急性もないとスメラギは考え、ブリーフィングでもそのように発言した。だがティエリアはそれに真っ向から反対、イアンやアレルヤも慎重論を唱え、『E』回収以外に優先事項が丁度なかったことからも、とりあえずは現物を見てみよう、という決定に落ち着いたのは、つい三日ほど前のことだった。議論の最中に、『E』について調べたティエリアは、その情報がヴェーダに存在しないことを発見し、けれどもヴェーダが回収を支持する謎の『E』について、大いなる関心をそそられたようだった。
「『E』を回収すれば、ソレスタルビーイングの戦力は向上するという予測結果が出た。有益になりこそすれ、害はない。『E』があるポイントは明らかなのだから、そこに行けば『E』 が何かもわかる。それに『E』のあるベースの中を確認することも必要だ」
 プトレマイオスやガンダムがエネルギーや食糧を補給できるポイントは、現状でも限られている。『E』のあるポイントは一応は人が宇宙服を着ずとも活動できるスペースがあることがわかったため、非常時の避難場所としても使えるのではないかと思われた。
「あなたでも、『E』が何かはわからなかったのね、ティエリア」
「『E』に関する詳細情報はヴェーダ内に存在しなかった。…とはいえ…」
 スメラギの問いかけを冷たく一刀両断したティエリアは、けれども珍しく続く言葉を言いよどんだ。
「何か?」
(『E』回収は、ガンダムマイスターに深く関ることであるという予測…何があるかわからない…)
 その予測はヴェーダの高レベル層情報までアクセス権のあるティエリアしか知らなかった。スメラギにも知らせなかったのは、マイスターとの関連が良い方向へ働くのか、それとも悪い方向へ働くのか全くわからない状況で言っても意味はないとティエリアには思われたからだった。
「いや。不安要素は可能な限り減らすべきだ。一応は、戦闘用意を行うことを提案する。『E』が何かは、わからないのだから」
(もしもの時は、『E』を排除しなければならない。不確定要素は出来る限り排除すべきだ…)
「心配しすぎな気もするけど…そうね、それじゃ、ロックオン、刹那は『E』回収を担当。イアンも付き添って。ティエリアとアレルヤはドックで待機。他のメンバーも艦橋で警戒態勢に。これでいいかしら?」
 スメラギは、その場のメンバーを見渡す。
「イアンは『E』が兵装の場合、詳細を点検、他にベース内のデータを回収してきてほしいの。お願いね」
「ああ、『E』がガンダムのパーツだと嬉しいんだがな」
 顎を撫でて頷いた整備担当のイアンは、データ回収用の機器を準備すると言い残して、ブリーフィングルームから去っていく。ティエリアとアレルヤも、イアンについて部屋を出て行った。

「俺たちが回収担当か…」
 横にいたロックオンの呟きを聞いたスメラギは、少し眉を下げて向き直る。
「みんな訓練を受けているとはいえ、近接格闘や射撃の成績がいいのは貴方たちだから。念のため、ね」
 ガンダムマイスターの過去の経歴は高レベルの秘匿情報である。とはいえ、各種データを見れば、刹那・F・セイエイには間違いなく実戦経験があるだろうことは予測がついた。ナイフ戦の動きは段違い、狙いにくい的への射撃も上手く、16歳という若さにしては眼光鋭くそこらで安穏と暮らしていた少年にはとても見えない。ロックオン・ストラトスの経験はよくわからないが、射撃の腕は刹那の上を行く。それに、年齢が長じていて状況判断にも信頼がおけた。ガンダムでの待機を任せたアレルヤ・ハプティズムとティエリア・アーデに対しては、そのパーソナリティに若干の不安を覚えずにはいられないスメラギだった。特にティエリアは、謎が多すぎる。ヴェーダの高次レベル情報へのアクセス権を持っている彼は、今回のミッションに対しても、スメラギの知りえない情報を持っているだろうことは予測できた。
「問題ない」
 そっけなく答えた少年と呼べる年頃の刹那は、すでに用はないとばかりに踵を返す。今回のミッションに関して一度も賛成とも反対とも言わなかった少年を、スメラギは正直まだ掴みかねている。何しろ、彼がソレスタルビーイングの仲間となってから1年も経っていない上、何かと難しい思春期真っ只中の男の子。どう接すればいいのかわからない、というのが正直なところだった。刹那は今のところ特に問題を起こしたりはしない優秀なメンバーではあるが、相互に信頼関係が築けているかというと、少し自信がない。
「了ー解、ミス・スメラギ」
「ラジャ!ラジャ!」
 ロックオンの返答に加えて、気の抜けるようなハロの声に、スメラギは考えるのをやめて表情を緩める。
「ロックオン、任せるわね」
「…そっちも、了解」
「ラジャ!ラジャ!」
 刹那の出ていった扉を見つめたスメラギの視線に多くを言わずとも分かったのだろう、ロックオンは右手を挙げて飛び跳ねるハロを抱えると、ウィンクを残して刹那の後を追った。
 スメラギの意図はしっかり伝わったようだった。若い刹那を任せた、という意味だ。
 ロックオンは、協調性を置き忘れてきた感のあるマイスターの中で、最も周囲に目を配れる人間である。刹那と組ませたのも、その気遣いに期待してのことだった。
「『E』回収、何事もなければいいけど」
 ブリーフィングルームに一人残ったスメラギの言葉に答えるものはおらず、彼女はその言葉が裏切られた時の予測を幾通りも考えることにした。




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