閣下のお話と申しましても、何からお話すればよろしいのでしょうか。
私はただ長く閣下にお仕えして、確かに多くの時間を閣下のお世話に費やしましたが、それは主人と執事といった関係の下であって、親しく話を交わしたことなど殆どなかったように思われます。
私はお屋敷で過ごされる閣下のお姿しか存じ上げておりませんし、それが他人の好奇心を満たすためだけに語られることなど、あってはならぬと心得ております。
(一時間ほど説得。犬の話をきっかけに、ようやく話を聞き出すことができた。)
閣下は、あのダルメシアン種の犬に対しても人と接するよう距離を置きつつ、けれども拾った手前、なにがしかの世話はせねばならぬと思われているようで、犬が好む鶏肉を軍務省からの帰り道に携えて戻られることもありました。
そして閣下は私に肉の入った袋を渡したきり、何事もなかったかのように犬には目もくれず、普段と同じように自室へお戻りになるのです。
閣下はお忙しい御身ではありましたが、オーディンに滞在される間はお屋敷で夕食を召し上がることも珍しくありませんでした。外食は好みの味であることが少ないと仰るものの、その実、屋敷の外での食事では余人の目に気疲れなさるからに違いないと、私は愚考いたしております。
世間で言われるよう、閣下が心もたぬ機械のような人であったなら、私はこれほどまでに閣下への敬愛の念を抱くことはなかったでしょう。
あの方は、確かに深い見識と鋭い判断力を兼ね備え、人当たりが良いとは私も申し上げられぬ雰囲気をお持ちでした。
しかし閣下の胸の裡には、言葉では述べがたい御心が幾重にも折り重なっておられたのです。
口数の少ない閣下は、お側に長くあった私へさえも口に為さらぬお気持ちがあったと、私は思わずにはいられないのです。
劣悪遺伝子排除法があれば、オーベルシュタイン家の家督を継ぐ前に生きてはおれなかった、そう閣下は今は亡きラインハルト・フォン・ローエングラム皇帝陛下へ申し上げたことがあったと、聞き及んでおります。
その台詞は、誰あろう、閣下のご両親が自らのご子息へ語った言葉でした。それを閣下がどう受け止め、そして自らも口にするようになったかという経緯を思えば、私は閣下の御心をお察し申し上げる以外ありません。
もちろん、どんなに長く仕えようとも、人の心は容易く理解できるものではないことも、私は存じ上げております。
私はいまだ、何故あの日、閣下は自ら命を地球教徒へ捧げるような真似をなさったのかと、自問することも多いのです。
なぜ。そう問おうにも閣下はヴァルハラへ上られ、そして仮に閣下がご存命であったとしても、私は問うことを許されぬ立場であるがゆえに、何事も閣下に申し上げることはなかったでしょう。
世間では、閣下を冷血漢や酷薄な性質を持つ人と見る向きもありましょう。
私はお屋敷の外側で、しばしばそのような御仁の元で働くことが不憫だと、同情を頂きました。
閣下が一言も弁明をなさらなかったように、私もそのような同情を向けられた時には、ただ黙って微笑んでおりました。それが何よりの答に違いないと、私は閣下を信じておりましたし、そして自分自身の心も信じておりました。
今も私の中で、忘れえぬ光景があります。瞼の裏に焼き付いて、きっと私の命が果てる時まで覚えているに違いないのです。
閣下は、このお屋敷の庭が一望できるこの応接間がお好きでした。
私は長らく、なぜ閣下がこのような普通の部屋を良いと仰るのか理解できませんでした。ほら、ご覧下さい。この一室は、取り立てて何があるというわけでもありません。私どもがお手入れをして隅まで目を配っておりますものの、応接用の椅子と卓があり、暖炉があり、壁には小さな絵があり、野花を生けた花瓶の他に何があるのでしょう。
けれど、ある日、閣下が普段よりも随分早くお屋敷にお戻りになった日に、私は閣下のお気持ちを少しだけ垣間見たのです。
あの窓辺をご覧下さい。
小さな丸いサイドテーブルと、そして一人掛けのソファが二つ、並べられております。
あれはお屋敷の庭を客人にお見せしながら、親密に語り合えるようにと置かれたものです。先々代の頃に据えられたという話が伝わっております。
閣下がこの部屋にお籠もりになる際には人払いをなさるのが常でしたので、私も側に控えたりはせず夕食の支度を手伝っていたのでした。しかし、所用が生じまして、そう、夕食の献立に赤と白、どちらのワインをお召しになるのかをお伺いしたくて、私はこの応接間へ参ったのです。
ノックしようとした扉が半開きになっておりました。私が閣下をお通しして部屋を出る際に、しっかりと閉め損なっていたのでしょう。
本来なら、それでも戸口を叩くのが礼儀というものでしょう。しかし、私は隙間から見えたその光景に、何とも云えぬ気持ちとなって、ただ立ち尽くすしかなかったのです。
閣下は、左側のソファにお掛けになっておられました。窓に対して斜めにソファが置かれていますから、私には閣下の横顔が見えました。
季節は、夏の終わりだったように思います。窓の外の空が赤く染まり、暮れゆく陽射しが斜めに室内へ差し込んでおりました。赤とも、金色ともつかぬ光が、窓辺に座る閣下を縁取っておりました。
閣下のお姿は影に沈み、けれども閣下がご覧になっている向こうは光り輝いているのです。
その時、私は言いしれぬ感慨を胸に抱かずにはおれませんでした。幾つもの過去が、そう、閣下の幼い頃の姿や、したり顔で閣下を誹った他家の使用人の顔や、立体TVでみかけたヴェスターラントの悲劇の報などが次々に思い浮かんでは薄れ、光の彼方へと消えてゆきました。
光の加減で、表情はよく見えませんでした。閣下がその窓辺の夕暮れに何を思われたのか、私にはわかりません。それでも、閣下が好んでこの場所にあられたこと、そして落日を眺める一時を大切にしておられたことは、私の心に刻まれて消えぬのです。
閣下の足元に寝そべっていた犬がゆっくりと頭をもたげ、戸口に立ち尽くした私を眺めやりました。
その動きに、閣下も私の存在にお気づきになりました。そして、ただ一言、どうしたのだ、と仰っただけで、覗き見するようだった私の無礼を咎めたりは致しませんでした。
私は、この部屋へ足を運んだ本来の目的を思い出し、閣下へお伝えしました。
「赤…いや、今宵は白がいい。金に近い白」
犬は関心をなくしたように再び前脚に頭を乗せ、目を閉じております。閣下も、そのまま微動だにせずただ窓から溢れる光を眺めておられます。
私は心得た旨をお答えし、部屋を下がりました。今度はしっかりと、扉を閉めてその場を後にいたしました。
何事もない、ありふれた一日の、一場面であるかもしれません。
あなたには、恐らく私の抱いた感慨など伝わることはないでしょう。
これは、私だけが持てる気持ちなのでしょうから。
私が閣下の側近くにお仕えして、何年でしたでしょうか。もう記憶も定かではありませんが、決して短い時ではなかったように思われます。気付けば、私の半生、いえ、ほぼ一生に近い歳月を、私はオーベルシュタイン家に仕える仕事と共に過ごしてきました。
既に主はなく、遺言も全て遺漏なく済ませ、私の立場は誰に縛られぬものとなったに違いありません。
ああ、もう日が陰る時間です。随分と長い間、話をしていたように思います。
過去に思い馳せると言葉が止まらぬようです。特に、このような時分には。
(しばし沈黙。窓から差し込む夕日を二人、ただ見つめた。)
私はきっと、幸せであったのです。
あの方にお仕えして、先立たれ、お屋敷を引き払う算段をしていても、ただただ自らの過ごした時を誇らしく、愛おしく思えます。
もう何もいらぬのです。金銭も身分も、老い先短い我が身にどれほどの意味がありましょう。
私には。私にとっての意味は。
ただ、あの日の名残だけです。
(日が落ちる。残照が薄く藍色の空に光の帯を残して去った。)
日々の名残り