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「俺、自分はそんなにグダグダ悩むタイプじゃないと思ってたんすよ」
 後輩は細い鉄柵に器用に腰掛けて、夜空を仰いで息を吐いた。寒さを確認するような仕草でもあり、また溜息をついたようにも見えた。
白く凝った彼の弱音が、闇夜を照らす仄かな街灯に一瞬浮かび上がり、そして薄まり消えてゆく。
「結構クることがあっても、酒飲んで、ダチと喋って、楽しいこと考えて不貞寝して、起きたらすっぱり忘れてる。そういう風に、今までやってきた。第一志望の大学落ちて、士官学校へ入学することになった時でさえ、あ、酒は飲まなかったけど、そうやって気分を入れ換えれば、何でも楽しくやれるような気がしてました。でも」
 アッテンボローは僅かに俯いて、口元をワインレッドのマフラーに埋めて少し言葉の続きを躊躇ったように見えた。
 肺腑を突き刺すような冷気が、普段は陽気な後輩のそばかすの浮いた頬と、鉄灰色の髪の合間からのぞく耳を赤く染めていた。
 ヤンは数歩踏み出して、アッテンボローの隣、彼が座る柵に立ったままもたれ掛かる。真正面から、歪んだ後輩の顔を見据えるのはヤンにとって意外なほど堪えることだった。
 淡々と、アッテンボローは足元に視線を落として言う。
「いやあ、あれは寝覚めが悪い。装甲擲弾兵や陸戦隊の連中には申し訳ないが、俺は二度とああいう殺し合いは御免ですね。想像してたものより、よっぽど悲惨だった。吹っ飛んで、ちぎれて、流れたはずの血も一瞬で凍って赤い砂になるんです。装甲服の内側で、自分の荒い息がうるさくて、小隊の部下達の手前、新米少尉でも無様なツラ見せないようにって必死で見栄張って、でも、足も手も震えが止まらなかった。敵と鉢合わせて戦闘が始まっても、ずっと震えながら戦斧を振り回して、ただ目の前に現れた敵兵を殺すことしか考えてなかった。敵がみんないなくなれば怖くないって、そう、思った」
 アッテンボローが送り込まれたのは、帝国軍との戦闘が絶えない最前線の辺境惑星だった。惑星の地中には希少価値の高いレアメタルが埋まっていて、自由惑星同盟軍と銀河帝国軍は宝を求めて争っていることになっているが、実質的には双方が撤退の口実を失った泥沼合戦と呼ぶ方が正しかった。
「人を殺した感慨なんて、何もなかった。罪悪感を抱く暇もなかったですよ。ただ、ずっと、怖かった。俺を殺そうとする奴らがいるって考えるだけで、いてもたってもいられない。だから必死に、どうすれば敵部隊を殲滅できるか考えた。で、作戦は見事に当たって帝国軍の奴らは大損害、俺と俺の小隊にとっては大功績、そして俺は昇進、最前線からはおさらばという訳です」
 中尉に昇進したばかりの後輩は、細く長い息を吐き出した後、小さく口元を歪めた。
「死ぬのが当たり前だって、卒業間際に教官は俺に言いました。そんなこと、俺もわかっています。近所のおっさんが帰ってこなかったり、親戚の誰それが死んだとか、そういう話は子供の頃から身近に溢れていた。だから、軍人になったら『死』はもっと近いって覚悟もあった。教官の説教は、思い上がるな、お前もそのうちあっさり死んじまうんだ、そういう意味だと思っていました」
 ヤンはアッテンボローに先んじて軍人の階を登っている。だから、後輩が次に言わんとすることは既に分かっていた。
 祈るような気持ちで、ヤンは目を閉じる。それは軍人としては間違っていない道理なのだ。だから気に病むなと、ヤンは言う気になれなかった。その行為に罪悪感を抱かないような人物であれば、ヤンは後輩と友人となることもなく、この場に居なかっただろう。
「でも、違う意味もあったんですね。考えてみれば当然なのに。帝国軍の奴らが死ぬことも当然ある。たとえ自分が奴らを殺したとしても、それは当たり前のことなんだ、そう思えってことだったんですね。敵が死ぬのは、当たり前なんだ」
 だって、俺は死ぬのが怖かった。
 言葉は言葉になることはなく、ただ再び夜の黒い大気に白い吐息が浮かぶ。
 アッテンボローはゆっくりと瞳を閉じ、首を一度だけ左右に振ったのが気配で伝わる。涙が伝ったのかは、後輩より先に目を閉じてしまったヤンにはわからない。
 立ち尽くしてすっかり冷えてしまった指先を、ヤンは手を突っ込んだポケットの中で握りしめる。
 凍てつく風が吹く中でも、アッテンボローの居る右側は温かく思えた。
 たとえアッテンボローが他者を殺して生き残ったとしても、ヤンにとってアッテンボローが今この場に居ることは尊いことなのだと、それだけは偽りないことだとヤンは思う。
 そう思うことは、ヤンにとっては正しいことなのだった。

誰かの正義




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