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15.5




 リヒテンラーデ侯爵クラウスは、国務尚書として国政の要職を預かる貴族であった。
 銀河帝国第三六代皇帝フリードリヒ四世は統治への関心が薄い国主であったが、彼は文官の長として相応の努力を払い、ここ二十年来は大過なく銀河帝国の政務を取り仕切ってきた。
 彼には、これまで帝国の栄光へ身命を捧げてきた自負があった。そこに自身の利益が全くなかったとは言わないものの、それでも皇帝フリードリヒ四世を支える役目を自らに課してきた事実がある。
 しかし、国庫は歴代皇帝の放蕩と無策によって資産が目減りする一方であり、国政は貴族諸侯の横領や贈収賄によって徴税が停滞。貴族間の派閥争いによって省庁組織がうまく機能せず、帝国軍も貴族将校と平民将校の権力争いの場となり、門閥貴族たちは利己的な権益を貪っている。それらのしわ寄せは平民・農奴階級の臣民へ向かい、彼らは体制への不満を募らせる。
 問題は数限りなく浮かび上がり、国務尚書たる彼の力を持ってしても対処が追いつかなかった。それに彼は陛下の御手の代理人として確固たる地位を築いていたが、政敵が無いわけではなかった。
 次代の皇帝候補である皇孫を擁するブラウンシュヴァイク公爵家およびリッテンハイム侯爵家という二大門閥貴族の、宮廷と皇帝陛下に対する影響力は看過しうるものではない。それに内閣内にも不正蓄財が趣味と思しき財務尚書カストロプのような邪魔者がいる。
 帝国と皇帝陛下の御為にも、リヒテンラーデ侯爵クラウスは更なる権力を欲していた。具体的には、彼の意を汲む駒を増やし、政敵を追い落として自陣の駒を据え、今より多くの官僚や貴族諸侯に対し影響力を行使できるようになることを彼は求めていた。そうすることで、今より国政を上手く動かす確信が彼にはあり、さらにはリヒテンラーデ一門の利益ももたらされるのだった。
 いま、彼の掌中には幾つかの権門を左右する問題がある。この局面における最善の一手を彼は探し、一人の男と相対していた。
 耳目を憚り、場所は帝都オーディンの最上級ホテル・ビヴロストの一室が選ばれた。天然クリスタルのシャンデリアや名のある職人の手と思しき調度類が、その格式を無言で、けれども雄弁に主張する空間である。
 クラウス・フォン・リヒテンラーデは猛禽のようと表現される鋭い目をすがめ、眼前の男をみやる。
「そのように、事が綺麗に運べるかね?」
 男は心外だ、とばかりに余裕の笑みを浮かべ答える。
「そのように事が運ぶよう、私と、そして閣下が駒を動かすのです。なぜ不可能なことがあるでしょう?」
 銀河帝国の帝都周辺ではあまり見掛けない、浅黒い肌の男だった。スーツと呼ばれる装飾を排した簡素な服装を身に纏い、頭を剃り上げている姿は、帝国貴族ではありえない異形である。
 文化が違い、考え方が違う、銀河帝国でありながら、帝国の手の及ばぬ場所。銀河帝国と自由惑星同盟を結ぶ二つの回廊のうちの一方のフェザーン回廊に拠点を構え、貿易経済によって銀河帝国から距離を置いた自治を認められたフェザーン自治領。その地からやって来た男の名を、アドリアン・ルビンスキーと言った。
 リヒテンラーデ侯爵クラウスは国務尚書という立場上、現在の自治領主であるワレンコフと見えたことがあったが、ルビンスキーはワレンコフの下で首席補佐官を預かる男であった。
 そのルビンスキーは彼に囁いた。
『閣下の頭を悩ませる、幾つかの問題を解決して差し上げましょう』
 フェザーン商人は利益なき行為をわざわざ買って出たりしない。何の為にやって来たのだ、とリヒテンラーデは問うた。
『互いの利益になる話です、閣下』
 帝国の治安に関わる懸念。組織的な不正蓄財を行う一派と政敵の排除。彼の権力の拡大。そういった話は、確かに彼の関心を惹いた。だからこそ、いまここにルビンスキーが居るのだった。
 ふてぶてしい態度で足を組んでいる男は、張りのある声で彼に言う。
「私は既に、財務尚書カストロプの不正蓄財の根拠としてサイオキシン麻薬の流通経路を明らかにして差し上げたし、それを暴く端緒も作った。次の一手は閣下、あなたが打たれる番です」
「わかっておる。故に、コンラッド・フォン・にも話を通し、子爵夫人も呼んだではないか」
 彼の言葉に、ルビンスキーは黒々とした眉を動かす。
「私が閣下の為さりように口を出すのもおこがましいことですが、それこそ、事がうまく運びますかな? 閣下の姪御とはいえ、年頃の娘。役を果たすには強かさが足りぬのでは」
「互いの思惑は関知せぬのではなかったかね」
「いや、失敬。閣下が選ばれた傀儡であれば、杞憂でしたか」
「あの娘は、役に立つ。それに此度の件は子爵家にも因縁がある。喜んで役回りを演じてくれるであろう」
 結果、クラウス・フォン・リヒテンラーデも、アドリアン・ルビンスキーも、成果を手中に収めることができるのだ。
 表情を消して唇を引き結ぶ国務尚書を、ルビンスキーは内心を隠して眺めやる。
 リヒテンラーデ侯爵は、まったく宮廷の闇のごとき老人だった。あらゆるものを健気にもその闇に呑み込んで、皇帝の光を作り出す。
 侯爵の思惑の幾つかはルビンスキーにも窺い知ることができた。
 まず、政敵である財務尚書カストロプ公爵をその地位から追い落とすこと。帝国護持の宰相閣下と自己保存の塊のようなカストロプ公爵の権益は常に対立しており、国務尚書は一刻も早く財務尚書の首をすげ替えたいと思っているはずだった。だが、その裏側には別の思惑があることもルビンスキーは知っている。
「ところで、閣下。ルートヴィヒ皇太子妃が男児を懐胎され、出産も間近とのこと、自治領主(ランデスヘル)に代わってお祝い申し上げます」
 リヒテンラーデ侯爵の鷹の如き顔つきは微動だにしなかった。一瞬の間ののち、侯爵が口を開く。
「祝いの言葉は、皇太子殿下にもお伝えしよう」
「閣下もますます、お忙しくなりましょうな」
「……左様、諸々の準備もせねばならぬのでな」
 ルビンスキーの言葉に、今度は僅かに侯爵の口の端が歪んだ。そのことが、ルビンスキーにはことさら愉快に思われた。
 彼の言葉に翻弄され、彼の思い通りに踊る人々を見るのが、ルビンスキーは好きなのだ。
 この老人はいま、ルビンスキーが新たな皇位継承者の出現の事実を掴んだかを考え、否定する余地がないと決めた。それから、その皇位継承者がリヒテンラーデ侯爵にとって権益の城となることを示唆したルビンスキーの言葉に反応した。
 現在の帝冠の主は高齢である。次代へ皇権が遷移するのも遠くない。リヒテンラーデ侯爵が自身の地歩を維持しようと思えば、担ぐ依り代が必要であり、その対象が皇太子の嫡子であろうことは簡単な推理の帰結だった。
 皇帝フリードリヒ四世の世継ぎたる皇太子ルートヴィヒは、身体とともに意志も薄弱な傾向があった。ルートヴィヒは皇太子としての責務を強く説くリヒテンラーデ侯爵より、遊ぶ金と甘言を無尽蔵に与える財務尚書カストロプ公爵を重用していた。そもそもリヒテンラーデ侯爵は今上帝の側近であり、皇太子派とは折り合いが悪い。そして皇太子以外の有力な皇位継承者は外戚である門閥貴族たちが抱えこんでいる。
 そのため、皇太子にも、そして外戚が背後に立つ皇孫にも劣らぬ立場の皇位継承者を、リヒテンラーデ侯爵は切望していた。
 まったく、リヒテンラーデ侯爵は強運の持ち主だった。外戚どもの関心が皇帝の寵姫――ベーネミュンデ侯爵夫人やグリューネワルト伯爵夫人の胎に向いている間に、まんまと皇太子妃に皇位継承者を作らせた。
 さて、楽しい時代が訪れそうだ。ルビンスキーは思う。
 侯爵は愉快とは程遠い表情で、掌を振り、扉を示す。
 ルビンスキーは抗うことなく席を立ち、胸に手を当て叩頭する。
「しばらくオーディンに滞在致します。御用がおありの際はお呼び立て下さい」
 リヒテンラーデ侯爵が険しい表情のまま告げる。
「進捗については定期的な連絡を」
「そのように致しましょう」
 本心からのものではない慇懃な態度を崩さず、ルビンスキーはホテル・ビヴロストを後にする。
 帰路、彼は帝国貴族たちが舞踊る喜劇を思い浮かべ心が弾むようだった。
(果たして、最後まで残るのは誰かな?)


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