子爵TOP





 宇宙で死んだ人間はどこへ行くのかと問うた声に、ヘルツは彼らは星になるのだと答えた。
 それが、他愛のない嘘だと知りながら。
 ヘルツは自分の語った言葉が、お伽話や、寝物語にすぎないことと判っていた。人が死んで星になるなど、まったく非現実的だ。
 だが、ヘルツは黒髪の少女に冷酷な現実など直視させたくはなかった。子供じみたお伽話の嘘を信じるくらい、この年頃なら許されてもいい。
 それに少女の質問は、宇宙空間に放り出された死体が、真実どこへ行くのかといった主旨ではないのだった。
 きっと、もっと違う、胸に凝ったわだかまりを鎮めるために、そういった呟きを漏らしたのだとヘルツは理解していた。
 耐圧ガラスの向こうで瞬く星の光をじっと見つめながら、黒髪の少女は一言も弱音を漏らしたりはしなかった。怖かったとも、逃げたかったとも言わず、ヘルツに初撃の際に庇ってくれたからと礼を言い、震えた自分を恥じて、しっかりせねばと呟いていた。
 砲撃を受けた時、彼女が怯え、冷え切った手をしていたことにヘルツは当然ながら気付いていた。
 怖くないはずがないのだと、ヘルツは自身の過去を振り返り思う。自分を殺そうとする相手がいる。想像するだけで、冷たい刃を喉元に押しあてられるような心地がする。
 それでも軍人は、戦うことを選ぶよう訓練される。祖国への忠誠、戦うことの尊さ、戦友を救う名誉、絶対的な命令の遵守、そういったものを叩き込まれ、惰弱や怯懦を恥とし、死を自身の日常として受け入れるよう躾けられるのだ。逃亡など論外で、いかに効率的に敵を排除するかを真っ先に思考する人間へ成型され、士官学校の教え通りに行動すれば殊勲とされる。
 自分自身で選んだ軍人の道であり、戦場に出ることも、そのような人間に自分がなったことも、いまさら感慨など抱きようがない。戦場の緊張感にも慣れ、素早く敵を排除する算段もできるようになった。躊躇の結果は自分を含めた味方の損失に直結する。すべきことは決まっている。迷う暇などありはしない。
 だからヘルツは、今や自分がその手の無意味な問答を殆どしなくなっていることに、酒を欲した少女を見てようやく気付いた。
 人を殺すことや、人の運命を左右することは、こんなにも心煩う決断で、ただの計算とその結果として戦があるわけではないのだと、惑う少女の姿に遥か彼方の記憶に埋もれた過去の自分を見出した。
 ミルクよりも酒の比率が高いカップの中身をぐいと飲み干すと、熱い酒精が喉を灼き、身体が浮かぶような酩酊感が体内を巡る。
 少女の声は、いつのまにか途絶えていた。眠ったのだろうか。
様?」
 小声で呼び掛けたものの応えはなく、少女の頭が船を漕ぐのを見て、ヘルツは彼女の小さな手からカップを取り上げ、傍らに避難させた。
 弱い酒では眠れないと嘯いていたが、酒など殆ど飲んだことのない少女には、やはりほんの一匙の酒を混ぜたミルクで充分だったようだ。
 幼い子爵夫人に、戦闘という刺激は強すぎたのだろう。精神的な衝撃で眠れなくなることもあると聞く。眠りが葛藤を解決してくれるわけはないが、一時的にせよ安らげる時が与えられてよかったと、あどけない寝顔をみせる少女を眺めてヘルツは思う。
 戦いへの恐怖や後悔を未熟と切り捨てるのは簡単で、あの小規模な遭遇戦で心動かされていて領主が勤まるのかと、そう感じた部分は正直なところヘルツにもあった。上に立つ者には、他人の運命を選択する局面が大いに用意されているものだ。
 だがその感情にも増して、ヘルツには別の思いもある。少女の純粋さや感情の処理の拙さは、平民や、自らに仕える者の死を厭わぬ者も多い貴族にあっては稀有な資質だ。やりきれなさや、もどかしさを切り捨てない姿に、ヘルツは喜びを覚えた。
 きっとそれは感傷に過ぎないのだろう。実際に少女がゲーテに撤退か戦闘かを問われたあの時に泣き喚いたりしたら、自分はとてつもない落胆を覚えたに違いない。
 理性的に、そしてときに冷酷に事態を分析し、判断する。それが上に立つ者に求められる資質だろう。そのためには情緒など邪魔でしかない。感情によってではなく、論理的な帰結によって行動を選んで欲しいと、軍人である自分は上官や上の人間には求めているのだ。
 ひどい矛盾にヘルツは嘆息し、当の少女を見やると、うつらうつらと頭の揺れる振幅が次第に大きくなっている。
 今にも向こう側の壁に激突しそうだった頭を、ヘルツは腕を伸ばして自身の方へ引き寄せた。
 その時、眠りの中にいたかと思われた少女が、不明瞭な言葉を小さな声で零した。
「ごち…うさまぁ…」
 ヘルツは堪えきれず一人笑いながら、少女を胸の前に抱えて立ち上がる。
 いずれにせよ、ヘルツには既に心に決めていることがあった。それが自分にとって、幸せなことだろうとも思った。
 二つのカップを誰もいないベンチへ残し、ヘルツは人気のない通路を彼女の部屋へ向かって歩いて行く。
 その背を、ガラス越しに幾多もの星が眺めている。


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