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ゆ さき



 コンラッド・フォン・ 卿の目下のところの楽しみは、後進の育成であった。
 彼は十数年前に軍を退いてから後、子爵領での領地経営を取り仕切る毎日を送っていた。数年前には息子カールに爵位も譲ったのだが、子爵家の当主となったというのに、彼の息子は相変わらず金を使うことだけに天下一品の能力を発揮するばかりだったので、老いた身を隠居という安寧に浸すわけにはいかなかったのだ。
 子爵家の現当主のカール・フォン・ は決して頭が悪いとか、とことん不出来というわけではなかった。性質は穏やかで気配りも出来るし、しばしば貴族子弟に見受けられる病的な傲慢さなどとは無縁な、周囲を明るくする気の優しい人となりだ。
 趣味の絵画ばかりでなく、孤児院や病院への援助という福祉方面へも金を使っている。その辺は感心すべきことなのだが、援助の理由が過去に孤児で立派な画家になった人物がいて、孤児院が豊かならばもっと絵を描けたと彼が言ったとか、病に絵画を完成させられず世を去った画家を偲んで、などという発想からだったので、コンラッドは複雑な気分を覚えずにはいられなかった。
 カールの関心は芸術の方角へ全力疾走しており、穏和な性質は覇気のなさに通じてカリスマは皆無という、つまるところ、軍人家系の子爵家の当主に求められてしかるべき能力は欠落していた。
 人間には向き不向きがあることは、コンラッドも重々承知している。
 カールには罪はないのだろう。子爵家の栄華を押し付けようとする身勝手な己の矜持と、ゴールデンバウム王朝の血統主義こそ責められるべきなのだ。
 だがコンラッドは、自分の死んだ後のことなど知らぬと言い切れず、 子爵家の一員としての責任感も捨てることができなかった。
 子爵家が没落するだけならばよい。だが苦しむのは領民たちなのである。
 領地経営に精を出すのは、子爵家を豊かにしようとしているからではなかった。領民の生活を保障することで得られる副産物の上に乗って、子爵家が存続するのだということをコンラッドは知っていた。

 長らく貴族階級が特権を振り翳し、平民たちから財を毟りとることばかりに夢中になる世にあって、コンラッドは異色の考えの持ち主といえた。それも長い軍務経験の中、幾多もの戦場を潜り抜けてきたからこそ持ちえた見識であると、彼自身は考えている。
 士官は軍隊という組織の性質上、少数派なのだ。階級のない兵士たちに不平不満が募れば身の内に敵を抱え、指示の伝達から実行は遅くなり、敵の攻撃にも反応できず戦死の可能性は高まる。さらに不満が暴発すれば少人数の士官はあっという間に袋叩きにされるか、後ろから撃たれることになる。
 つまり生き残るために必要なのは多数派に満足してもらうこと、これに尽きるとコンラッドは実感したのだった。
 彼が軍内で出世できたのは、その出自もあったが階級に見合うだけの指揮能力と政治的感覚を兼ね備えていたからであった。ある戦闘で敗走する味方の殿を務めて旗艦が被弾し足を痛なければ、ゆくゆくは宇宙艦隊司令長官の地位も夢物語ではないと目されていたのである。
 足が多少不自由になったからといって艦隊指揮には影響がないと、コンラッドの退役を思い留めようとする者も多かった。だが、自らの肉体で危機回避もできない有様では銀河帝国軍人の資格なしと、コンラッドは思い切って軍を出た。実はそれは表向きの理由で、怪我の原因となった会戦で味方陣営の無能さに嫌気が指したというのが真相ではあったが、退役したコンラッドは権力の中枢から遠く離れた辺境の領地へと舞い戻ることとなった。
 そして後継者問題に頭を痛め、いっそ有能な軍人と孫娘を娶わせて養子を入れるかと考えていたところ、その孫娘が突如として彼の中の後継者ランクのトップに躍り出たのだった。

 彼の孫娘は数ヶ月前に10歳を数えたばかりで、それまではそこらの子供と何ら変わり映えのない貴族の娘という風情であった。名を といい、黒髪黒目の、出しゃばることも目立つ部分もない、よく言えば楚々とした深窓の令嬢、悪くいえば地味で普通という形容がぴったりの子供だった。
 しかし、彼も、そして彼の息子夫婦も知らぬ間に、 は年齢に見合わぬ多くの知識を蓄えて新たな教師が欲しいとコンラッドに向学心を見せつけ、近頃は神童のごとき才知を周囲に知らしめている。その勉学の広がりは社会、経済、政治と多分野を跨り、加えてコンラッドには直々に軍学の教えを請うほどであった。
 彼の頭の片隅にある常識が、娘らしさや令嬢らしさの概念を主張するのであるが、彼にとっては常識や普通などという意味は単なる額縁にすぎなかった。子爵家を継ぐに相応しい能力を持って欲しいという願望や、年頃に見合わぬ聡明さを発揮する孫娘の可能性を伸ばしたいという欲求の方が勝り、 ・フォン・ という華麗な絵画を仕上げることに熱心になっていたからである。
「軍人という生き物は勝利という輝かしい文字に目が眩みがちであるが、戦いにおいて最も重要なことは何かね、 ?」
 三次元ホログラムの帝国軍の標準艦モデルから目を離し、コンラッドは幼い孫娘の黒い瞳を見つめた。
 いつでも熱心に授業を聞き、打てば響く答を返す良い生徒であった。今のように抽象的な問いかけであっても、 は物事をよく整理して話すのだ。コンラッドはわざと曖昧に問いかけ、孫娘がどの程度まで軍学の基礎知識を吸収しているのか、量っているのだった。それに戦いとは必ずしも艦隊戦や白兵戦だけを指すとは限らない。政治闘争や市場競争も戦いの一種である。ゆえに、コンラッドはいずれ領主となる孫娘にも軍学の素養を身につけて欲しいと思うのだった。
「とても大雑把に言えば、戦闘における最優先目標を設定し、それを達成することだと思います。戦略的には当該戦闘のみではなく、一連の戦闘や敵との相対状況との関連を踏まえた上で、当該戦闘がもっとも自軍や自陣営にとって有益となるように調整する巨視的なアイディアが重要ですし、戦術的には当該戦闘において設定された第一目標を、最高度に効率よく達成することが求められます。この場合の目標とは必ずしも敵の撃滅ばかりでなく、敵戦力の分散や撤退といった行動も含まれます。当該戦闘での短期的勝利に固執するのではなく、長期的、全体的視野をもって戦闘における目標を戦略的に考慮しなければならず、それを戦術的に合理性を追求しつつ達成することが勝利なのである、というところでしょうか」
「うむ。それに加えて…」
「数的、物量的優位は容易には覆らない、でしょう? お祖父様。戦闘における目標を設定するにしても、少数をもって多数を打ち破るような華々しい見せ場など必要ないから、堅実に、確実に、敵に対してより多勢をもってあたり、可能であれば機先を制して不意を突き、正面からではなく側面や背後から攻撃するよう策を練ること。さらに敵に関する正確な情報を、可及的速やかに入手すること、ですね。相手の動きや弱点を知れば、もっとも効率よく自軍を編制、運用できる、と」
 コンラッドは孫娘の答に満足し、二度、大きく頷いてその意を示した。
 まったく、人の知らぬところで次代の萌芽は出ずるものである。
「そうだな、情報はいついかなるときも有用な武器となる。宇宙における航行可能空間という地理的条件を加味しなければ、いかに自軍を敵より多勢に整えようと、効果的に戦力を配置できず死軍となる兵力が生まれてしまう。敵戦列の艦種を省みず闇雲に自軍を突撃させるのも愚の骨頂だ。また、敵との直接対決だけでなく、情報は敵を撹乱することもできる。自軍を多く見せかけたり、援軍があるよう振舞ったり。時には敵の戦意を落とすかのような情報を与えてもよい。情報は形なき刃だ。過たずよく使いなさい。情報を駆使した会戦というと、帝国暦433年の……」
 この半年は軍事的な基礎知識、つまり艦や兵の種別や組織形態、性能についてや兵器の威力、運用方法についてなどを教えてきた。戦術論、戦略論を学ばせ、シミュレーションで実際の艦隊運用の練習を行った後のことをコンラッドは考えた。
 座学は実戦では通用しないこともある。戦場に立たねばわからぬことを、どのように教授するか。コンラッド自身の経験を伝えたとしても、それは決して 自身の経験に変えることはできないのだった。
  星系の周辺宙域には宇宙海賊が出没しており、手頃な実戦経験といえば彼らを相手にすることだろう。しかし如何に彼といえども、孫娘を危険に放り込むことには躊躇を覚えるのだった。何より息子夫婦が許しはしないだろう。今でさえ、娘らしくない教育にもろ手を挙げて賛成している訳ではないのだ。
 艦隊を表す三次元ホログラムを真剣に眺める孫娘に、彼は眼差しをそそぐ。 
が男児ならばな…)
 栓のないことをコンラッドは夢想した。
  は、将来をどのような姿で思い描いているのだろうか。
 このままでいけば、まず間違いなく は子爵号を継いで領主に、それも良い領主になれるだろう。だが果たして、この聡明な子供はそれだけの存在で終わるのだろうか。
 ふと、 の変化を目の当たりにした時のことを思い返す。
 普段は足を向けぬ彼の居室へやってきて、本棚の経済に関する書物を漁っていた。そしてもっと学びたいとせがみ、加えて は言ったのだ。
 平和が続くとは限らない、と。
 厳密に言えば、銀河帝国はすでに百年以上も自由惑星同盟と称する叛乱軍と戦争を続けており、平和な状況にあるとはいえなかった。
 しかしコンラッドは思うのだ。 の言う平和が続かぬ状況とは、貴族として暮していける状況に終止符が打たれることを示しているのではないか、と。だからこそ貴族の娘である もまた、学んで己の未来を切り拓こうとしているのではないか。
 コンラッドが退役する契機となった会戦の敗因は、貴族というだけで昇進した少将の無謀な突撃による戦列の崩壊によってもたらされた。
 帝国軍内はその組織の存在意義のため無能者が駆逐されやすい環境にあるが、やはり貴族子弟が原因の人命の浪費がたびたび起こるのだった。軍の外を見れば、その状況は更に忸怩たるものがある。
 このままでは銀河帝国は叛乱軍に敗北する前に、己自身の咎によって無秩序と混乱の中に陥るのではないかと、コンラッドは祖国の行く末を苦く思った。帝政、身分制による上からの支配は、上が道を過てば民も諸共、地獄への坂を転がり落ちることになる。いくらコンラッド一人が子爵領で善政を行っても、銀河帝国という船自体が皇帝や貴族の傲慢と奢侈に沈んでは意味がない。だが軍を離れるときも、そして子爵領の統治の腕を振るう今も、徐々に陰りゆく銀河帝国の威光を、彼は感じずにはいられなかった。
 故に、こう思ってしまうのだろう。
 ゴールデンバウム王朝が斃れるという途方もない想像はせぬにしても、従来の伝統という退廃に囚われぬ開明的な人物が王朝に新風を吹き込み、祖国を蘇生させるのではないか。そしてその人物とは、目の前で熱心に三次元ホログラムの動きを追っている孫娘ではないのか、とは一度ならず考えたことである。
 とはいえ、期待しすぎだろうと、コンラッドは考えるのと時を同じくして一度ならず頭を振ってもいる。それこそ途方もない、過剰な願望の含有された想像だった。
は…いや、そうだ、よい領主になってもらわねば)
 彼が孫娘に望むのは、さしあたりよい領主になってもらうことである。
 その性ゆえに軍人になることは叶わないから、優秀で女の勉学にも理解のある軍人などが夫になってくれれば、彼の残り僅かな老い先も安堵という光に包まれるだろう。貴族であることや軍人ということに拘らなくとも、有能な官吏や実業家であって人柄さえ素晴らしければ良いのだ。子爵という血統は、 にあるのだから。
 そして己ばかり満足する条件でなく、可愛い孫娘本人が満足し、幸福になるような選択肢を選び取ることが最も重要なことなのだと、コンラッドは思った。
  がどのような人生の道筋を選択をし、どのような伴侶を得て幸福を掴むというのか、彼はその結果を見るまで命脈の蝋燭が尽きないで欲しいものだと、オーディン神に祈るのだった。



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