子爵TOP






「俺はお前を、いつでも殺せる」
 そう、今でもだ。腰元のブラスターだって、袖の内側に隠し持ったナイフだって、何ならケーキを食べるために彼女が手にしているフォークを凶器にしたっていい。たとえ道具がなくとも、自分と少女の体格差なら自分自身の身体ひとつあれば、子供の細い頤など簡単に手折ってしまえる。
 無防備に晒された喉元に喰らいついて、引き千切る夢想をする。
 ばらばらに壊して、もう二度と囀らない玩具。
 頭の内側を見られたら、目の前の少女は二度と自分を信用しないだろう。
(何度も何度も、お前を殺す夢を見る)
 普段、カイルは別に子爵家の令嬢を殺したいと望んでいるのではなかった。それどころか、逆にその生き様を愉快に思っているのだから、生きて貰わねば困ると感じる方が多い。
 けれども、夢でカイルは少女を殺す。それが、彼の執着だった。
 今までずっと見つめる相手は、息の根を止める相手だけだった。
 だから、ずっと観察していると、分析してしまうのだった。
 楽しげに会話を交わしていても、その実いまこの場でどうやって相手を殺せるだろうか、そんなことを分析している。
 自分のそのような性根を晒したなら、少女は何と言い、どんな表情をかんばせに浮かべるだろう。
 思い、次の瞬きには言葉にしていた。
(殺せる) 
 黒髪の令嬢は口にした生クリームをたっぷり載せたレモン味のシフォンケーキをもぐもぐと嚥下した後にフォークを置き、彼女が好む紅茶が湛えられたティーカップを丁寧に揃えた白い指先で持ち上げて、ゆっくりと花びらのように色づいた唇につけた。
 その姿だけを見れば、どこにでもいそうな温室育ちの貴族令嬢といった風情だ。
(一瞬で)
 芳醇に香るフォリア茶を充分に堪能した少女の口元から、金で繊細な花文様とそれに遊ぶ鳥の描かれたカップが離れる。
 開かれた僅かな唇の隙間が息を吸い込み、次いで、普段の少女からは聞かれない驚くほど熱を失った声音が漏れ聞こえた。
「死んだら、夢から醒めるかな?」
 彼女は花綻ぶように笑んでカップを揃いの絵柄のソーサーへと降ろし、先程の声音には不釣り合いな、ひどく優しげな目をする。
 闇に沈む世界のように黒い瞳が、殺せると脅したはずのカイルを、まじろぎもせず見ていた。
 首を傾げているのは何かを考える際の癖なのだと、カイルは護衛として令嬢に仕えるようになって知った。
「私、近ごろ幸せなの。毎日が楽しいの。昔のこと、あまり思い出さなくなってる。だから、たまに思うの。この毎日はいつ、どうやって終わるのかって。それでね、いつ終わるかわからないのなら、いっそ自分で終わらせてみることも考えたりするの」
 カイルには、少女の口から飛び出す言葉が理解できなかった。
 幸せであるならば、普通の人間は死を恐れる。終わりを望まず、この日々がずっと続けば良いと願うのではないか。
 けれども彼女は、違うのだ。
 わからない。どうして、なぜ、このように思うのだろう。
 何不自由なく、愛されて育ち、明晰な頭脳を持つ、この子供は。
(知っているのか) 
 どこか世界が遠いもののように、いつ終わってもいいもののように感じる時が、あるのだろうか。
 この世にたった一人と、虚ろな心の荒野に彷徨ったことが、あるのだろうか。
「ねえ、カイル」
 いつの間にか気圧され息を詰めているのは自分の方だった。
 名を呼ばれ、覗き込んでくる黒のその奥にあるものが、わからなかった。
「あなたは、依頼されたら人を殺すでしょう?」
「…ああ」
 理解不能。想定不可能。そんな単語がカイルの脳裏に明滅する。
 次には何を言われるのだろうか。
 俺は、この子供を殺そうと、殺したいと思ったのではなかったか。
「それなら、私を……」
 現実を拒絶するように瞼を伏せた令嬢の唇が、続く音を紡ごうとしたとき。
 二人の間に横たわる静寂を、甲高い電子音が打ち破った。
 発信源は少女の腕の通信機で、無機質な呼び出し音の三度目に、少女は指先を魔法のように振るい、騒音の息の根を止めた。
 少女が、普段と変わらぬどこか呑気な声で呟いた。
「あ、お祖父様のお呼び出し」
 数瞬前まで空間に満ちていた危うい緊張は弾け、跡形もなく霧散してしまった。
「きっと、三次元チェスの相手をしろって言うのよ」
 ふふ、と笑った表情は、死んだら夢から醒めるだろうか、と囁いたその時のものと変わりはなかった。
 外見だけなら、ただの幼い育ちの良さが伺える貴族の子供。
 だが、その皮の裏側に棲むのは。
 再び元の話題に戻ることもなく、カイルは二度と同じ問いかけをしなかった。
 幼い少女の口が形作ろうとした彼女の内面が何だったのか、カイルには今も理解出来ない。
 そして彼自身も理由の分からぬまま、その日の夜から、彼は観察対象を殺す夢を見なくなった。
 

暗殺者の夢


 子爵TOP