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かぼちゃ夜会


「よし!」
 それは、秋も深まる10月の終わりのことだった。
 難しい経済学や軍学の授業もない休日、陽射しも柔らかな朝から考え込むようだった黒髪の少女は、気合いの言葉と共におもむろに立ち上がった。
 椅子に座って唸っている令嬢の後ろ姿を眺めつつ編み物をしていたゼルマは、何事かと驚いて肩を揺らし、編み目をひとつ落としてしまった。
「どうかなさったんですか、お嬢様?」
「ん、ちょっと料理しようと思って」
「まあ、またでございますか?」
 ゼルマは少し顔を顰めてしまった。良家の子女は、厨房などに足繁く出入りしないものだ。けれど彼女が赤ん坊の頃から世話をしてきた 子爵家の令嬢は、近頃なにかと自ら料理することに凝っている。
「出来たらゼルマにもお裾分けするわ。お菓子を作るつもりだから」
「…素直に喜んではいけないと思うのですけれど、お嬢様がお作りになるお菓子はいつも大層美味しいから、正直に申し上げれば嬉しく思いますわ、お嬢様。今日は何をお作りに?」
「うん、かぼちゃのお菓子を!」
 レシピが載った本を掲げて、令嬢は楽しそうな表情で厨房へと駆けていった。

  子爵家の料理を一手に引き受ける料理長は、軽い足音が廊下を渡ってきたときから「今日もまた」何かがあるのだと予知していた。いや、予知というより、それは確信に近かった。
 じゃが芋の皮むきをしていた見習いのハンスや、炭をかき回していた火入れ担当のフランツも彼と同様の気配に気付いたらしく、顔を見合わせ呟いた。
「今日もいらっしゃいましたね」
「また何が始まるんだか」
 もはや日常茶飯事といって過言ではない黒髪の少女の来襲に、厨房の人間は慣らされている。見たことも聞いたこともない料理を作ってくれと言われることも、彼らは既にいつものことと受け入れていた。
 しかし勢いよく厨房の扉を開いて現れた少女の第一声は、普段よりもずっと穏やかな内容であった。
「かぼちゃが欲しいの」
 今日はまだ簡単な願いだと、料理長は人知れず胸をなで下ろす。
 大豆という豆をふやかせとか、見たこともない海草や魚を入手してこいとか、そういう類ではないお願いだ。かぼちゃなら彼も知っているし、入手は容易く、地下の食糧庫にも在庫があるだろう。
「それくらいなら簡単にご用意ができますよ、お嬢様。いくつご入り用で?」
「大きいのが3つと、小さいのが2つ欲しいの。色はオレンジのものがあればいいんだけど、緑でもかまわないわ」
  家の幼いご令嬢の願いに、見習いのハンスが首を傾げて言った。
「オレンジ色のものもありますけど、何を作られるんですか? 固い皮の色が何か関係するので?」
「お菓子を作るつもりだけど、どちらかというと、今日のメインは皮なの」
「皮?」
 料理長はかぼちゃの皮の用途を、幼い令嬢へと問うた。
 だが、少女は笑って教えてくれなかった。
「それは出来てからのお楽しみ、ということで。でも、お手伝いお願いしますね!」
 一体なにが始まるのかと厨房の者は話し合ったが、今まで誰もこの手のお嬢様発案料理の行方を予想できたものはいなかった。
 地下からかぼちゃを持って来たハンスが、令嬢の手伝いをすることになった。
 料理長やオーブンを任されているフランツは、そろそろ昼食の準備の時間だったのだ。
 ハンスは言われるがままにかぼちゃの底に穴を開け、そこからスプーンを使って中身をきれいにくり抜いた。取りだした分は、あっという間にクッキーとパウンドケーキに変身した。何も難しいことはなく、普通に蒸して潰したかぼちゃをクッキーやパウンドケーキの生地に使ったものだった。味は保証されているが、変わったことはなにもない菓子だ。
「…普通ですね」
「普通だな」
 厨房の一角で焼き菓子をオーブンに入れている少女を見つつ、料理長とフランツは会話を交わしていた。
 ハンスも今日の手伝いは至極真っ当な菓子作りに終始したことに、心の中で驚いていた。こんなにまともな料理を作るだけで終わってしまうとは!
「この皮、ちょっと頂いていきますね。またクッキーとケーキが焼き上がる頃に来ますから、火の様子はお任せします。ハンス、お願いね」
「はい、わかりました」
 そう言って、令嬢は何に使うかわからない無用なはずのかぼちゃの皮を五個分抱えて、厨房を去っていった。

 次に彼女が訪れたのは、屋敷の中の使用人が詰める一角であった。
 令嬢はまず、通りがかった使用人から蝋燭を入手した。次いで護衛兼、近頃は密偵仕事をこなすカイルを捕まえた。
「今日は非番で、しかも今さっき俺はローバッハから戻ったばかりなんだが…」
「いつもお疲れ様! でも私が知ってる中で一番手先が器用そうな男の人はカイルなの。だからお願い!」
 カイルは諦めの溜息をひとつ落として、それで何の用だと令嬢へ向き直った。
「実は……」
 令嬢の願いを聞き終えたカイルは、笑って言ってやった。
「お前、俺を何だと思ってやがる。断る。断固そんなことにナイフは使わん」
「……ごめん、確かに出過ぎたお願いだった。それじゃあ、私がやるから傍で監督していて。それならいいでしょ?」
「それくらいなら、やってやる」
 つい譲歩してしまったのは、魔が差してしまったとしか思えない。
 カイルはすぐに己の先程の発言を悔やむことになった。
「やった。ちょっと不安だったのよね」
 そうして、令嬢は危なっかしい手つきでナイフを扱い始めた。
 5分間は耐えた。そして彼は効率を考えた。
 苛々させられながら一時間近くを耐えるのと、自分がほんのちょっと労力を使って10分で終わらせるのと、どちらが良いか。
 つるっと手を滑らせ左手に刃を食い込ませそうになった令嬢を見て、カイルの方もついに口を滑らせた。
「貸せ。俺がやる」
 彼は観念して渋々ながら令嬢の我が儘に付き合ってしまったのだった。
「しかし、こんな形に切って何に使う?」
「遊びに使う」
「遊び、ね」
 カイルは肩をすくめ、物言わぬかぼちゃを見やった。

 休日の昼下がり、マティアス・フォン・ヘルツ大尉は同僚のカイル・シュッツから呼び出された。
「今日の夜は、時間あるか」
「夜? 一応、空いてはいるが」
「『お嬢様』が菓子を焼いた。食べたいなら来い」
「それなら喜んで行く、と言いたいところだが、何が始まる?」
「さあな」
 それきり、通信は切れてしまった。
 ヘルツは令嬢の思惑には自分の常識が通じないことを何度も実感させられていたため、何が起こるかに関して頭を悩ませるという無駄な労力は使わなかった。
「何の菓子かな」
 カイルに聞きそびれたことを惜しみながら、ヘルツは読みかけの星図表を閉じ、外出の準備を始めた。

 陽もすっかり暮れた夜。
 夕食後、コンラッドは孫娘から食後の一服に誘われた。
 とはいえ、先年、親不孝にもコンラッドより先にヴァルハラへ行ってしまった息子夫婦の残した忘れ形見は、まだ酒を飲める歳頃ではない。この場合の一服とは、お茶に付き合えということである。
 普段、食後にくつろぐ場所となることの多い談話室へ移るのかと思いきや、幼い孫娘は彼の手をひいて暗闇に閉ざされた庭先へと誘った。
 一体なぜ肌寒い季節に、しかも花も見えない夜に外へ出るのかとコンラッドは思った。
「庭に何かあるのかね、
「ええ、ちょっとした趣向を凝らしてみました」
 コンラッドは、娘がいわゆる普通の貴族の娘とはだいぶかけ離れた思考や価値観の持ち主であることを知っているし、それを好ましく思うことも多い。
 しかし、しばしば亡きカールやヨハンナの言うように、貴族としての常識的感覚を教えるべきだったかもしれないと思うことも、たまにはある。そう、このようなときには。
 夜闇にぼうっと浮かび上がる灯りを見て、偉大なるパランティアの英雄は出来るだけ普段と同じ声を心がけて孫娘に問うた。
「……あれは何だね」
「かぼちゃのお化けです。私が作りました。正確には中身をくり抜いたのはハンスで、顔を作ったのはカイルです」
 大小5つのかぼちゃの内側の蝋燭が、顔を描くよう空けられた穴から光を漏らしている。遠くから見れば、確かに遠いおとぎ話で語られる精霊のように見えないこともない。
「なぜ、こんなものを作った?」
「ちょっとした息抜きに。人がまだ地球に押し込められていた頃、ある時代にはかぼちゃをああやって彫ってランプにして、ついでに仮装なんかをして遊んだそうです」
「…そうか」
 コンラッドは、ちょっとした勘違いをした。
 そうだ、普段は聡明さの影に隠れて忘れがちだが、孫娘はまだ11歳になったばかりだ。遊びたい歳頃なのだ。玩具など買い与えたこともなかったが、まだまだ変な顔をした人形を作って楽しいと思う子供らしさも、兼ね備えているのだろう。
「仮装はしないのか?」
「さすがにそこまでは…今朝、思い立ったことですので準備する暇もなかったし、それに仮装は一人でやっても楽しくないと思うから。これくらいなら、お祖父様たちと一緒に楽しめるかなって思ったのですけれど」
  は、少し寂しそうに笑ったようにコンラッドには見えた。
「お菓子は、かぼちゃのパウンドケーキとクッキーです。どうぞ召し上がって下さいね、お祖父様」
 彼は孫娘を、目に入れても痛くないほど可愛がっていた。
「うむ、うむ!」
 そのために、翌年の同じ10月の末日、子爵領において盛大なる仮装パーティが開催されることがコンラッドの中で決定した。

 来年のことをまだ知らぬ護衛たち二人は、令嬢に呼ばれ、かぼちゃの菓子の相伴に預かった。周囲には彼ら以外の使用人たちもおり、テーブルの上に鎮座する変なかぼちゃのランプを物珍しげに眺めている。この頃には庭先に幾つかの『普通』のランプが置かれ、さながら夜会のような騒々しさとなっていた。
「なるほど、こういう趣向だったのか。道理で作る菓子はまともなわけだ」
 温かなココアを皆に振る舞い終えた料理長が、得心したように言った。
「なかなかよく出来た細工だ。口のぎざぎざも均等な角度で、結構な腕前のようにも見えるな。これはお嬢様が作られたので?」
 問われた令嬢は、満面の笑みで答えた。
「それはカイルがやってくれたの」
「ばっ、あれほど言うなと…」
「ほー、あの男がね」
 屋敷ではクールな男として通っているカイルが、このような子供の遊びに付き合うとは!
 皆が黒髪の護衛をからかうために捜したが、一瞬前までヘルツの隣にいたはずの男は消えていた。
 あまりの逃げ足の早さにヘルツが口元を綻ばせていると、本日の小さなお茶会の発案者が近付いてきた。
「大尉もいらしてたんですね、普段着だから一瞬、誰だかわからなかった」
様の手作りの菓子が食べられると聞いて、参りました」
「普通のものでごめんなさい、今日のメインはどちらかというと、あのランプの方だったから」
 令嬢が普段みずから制作に携わる菓子は、クッキーやケーキといったよく見掛ける種類のものであることは、まずなかった。どこからか引っ張り出してくる地球時代のレシピを使って、いにしえの菓子を忠実に再現することに彼女は熱心で、食べたことのない菓子を銀河の誰よりも先に味わえる幸せを、ヘルツはいつも楽しみにしていた。
「いえ、かぼちゃのクッキーもケーキも大層おいしかったですよ」
「それなら良かった」
 なんとなく二人はしばらく互いに無言で、夜の庭に響く喧噪を聞いていた。
 いつの間にか持ち出されたブランデーを、コンラッドとクラウスが分け合い、その傍でゼルマが微笑みながらティーカップを傾ける。厨房の三人組は菓子を味わいながら、なにやら話し込んでいる。何か料理の算段をしているのかもしれない。若い侍女や使用人たちは、振る舞われたココアがまるで酒であるかのように陽気に歌を歌い、かぼちゃのランプを指さして、また笑っていた。
「こうして、いつまでいられるのかな」
 ぽつりと落とされた呟きに、ヘルツは隣に視線を向けた。
 どこか寂しげに笑う少女の真意を図りかねて、彼は言葉に詰まる。何を言うべきかさんざん逡巡していたヘルツが口を開く前に、大人びた令嬢はかぶりを振って、持っていたココアをまるでやけ酒のように飲み干した。
「考えても仕方ない! さ、ヘルツ大尉、あなたに重大な使命を授けます!」
「…なんでしょう?」
 急な雰囲気の変化に追いつけず、ヘルツはたじろぎながら答える。
「あそこでお祖父様たちが飲んでるブランデーを、調達してくるのよ!」
 ヘルツは今度は驚いて、令嬢の顔をまじまじと見た。
「誰が飲むのです?」
「もちろん、ヘルツ大尉が!」
「なんだ、面白そうな話してるじゃないか」
 いつの間にかカイルが隣に戻ってきて、不遜な笑みを浮かべていた。
「それなら俺が取ってくる。この大尉殿に酒を飲ませると、結構おもしろいぜ」
「え、大尉はお酒を飲んだらどうなるんですか?」
「それがな、この前…」
「やめろ、シュッツ!」
 そうして、銀河帝国の辺境の夜は更けていった。



おまけ1

 辺境の 子爵領に赴任したウルリッヒ・ケスラー少佐は、奇妙な風俗を目撃した。
 10月の末日になると、 子爵領では皆が変な格好をし、かぼちゃのランプを持って祭を行うのだ。
「…私も、着なければならないのでありますか?」
 彼は抗えぬ命令によって、犬の耳と尻尾をつけてパーティ会場の警備を行うことになった。


おまけ2

「なんだこれは」
 ラインハルトは、顔を顰めて呟いた。
 いつぞや知り合った貴族令嬢から送られてきたメールを開くと、変な顔をしたかぼちゃの立体映像が浮かび上がった。
 声はあの令嬢の声であるが、映像は変わらず、かぼちゃのままだ。
「……やっぱり、変わった方ですね」
「ああ、そうだな」
 キルヒアイスの意見に、ラインハルトは全面的に賛成した。


Happy Halloween、2009




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