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 過去を振り返れば、銀河帝国の開祖たる皇帝ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムが王朝成立時に廃したのは、なにも銀河連邦と共和主義者だけではなかった。彼の意にそぐわぬ、銀河帝国に『相応しくない』と断じられた文化の数々が、生活の中から強制的に除去されたのである。
 芸術の分野では前衛的な抽象画は国家反逆に等しいとされ、ルドルフの好む写実的な技法が主流と言われた。そして文化と密接な関わりのある食の分野では、これもまたルドルフの嗜好にそぐわなかったのだろう、香辛料を多用したキムチやトムヤンクン、カレーといった料理は忌避され、また彼にとっては泥水にも思えた醤油を多用する和食の系譜も衰退の一途を辿ったのは、誠に悲しむべきことである。
 絶対的な権力を備えた皇帝の腕のひと振りで、人類が綿々と紡いできた佳味が途絶えたのである。
 しかし、私の語ったことを不思議に思われた読者も多かろう。
 我々の今の生活の中には、上記のように食卓から消えたはずの料理が饗されているではないか、と。
 私の話は嘘ではなく、そしてその疑問も間違っていない。
 それらの料理は、一度、人類の歴史から姿を消し、そして再び現れたのである。
 ある人物の努力が、そこには存在している。

 驚くべきことに、我々が日常的に地球時代に繁栄した数多の妙味を食する事が出来るようになった幸福は、ただ一人の女性によってもたらされたものである。
  ゴールデンバウム王朝末期の銀河帝国の片隅、辺境の 子爵家に生を享けた ・フォン・ こそが、歴史に忘却された味わいを数々の困難を乗り越え復活させたのである。
 当然のことながら、食材から極上の調和を魔法の如く生み出す料理人たちの存在は忘れてはならないが、彼らが腕を振るう機会を獲得しえたのは、やはり失われた調味料の製法やレシピを復活させた者の功績が大きかったと思わざるをえない。
 さらに彼女を評価すべきは、単に料理を甦らせただけでなく、それを銀河帝国、自由惑星同盟(注:彼女が活躍した当時は、いまだ宇宙は統一されていなかった)の別なく普及させたことである。
 彼女は食の探求者であると同時に、才覚ある経営者でもあった。
 まず寿司をはじめとする和食を再生させた ・フォン・ は、銀河帝国の辺境惑星で小さな店を構えた。
 食の歴史にとっては大きな第一歩であったその店は二十人ほどで一杯になる程度の広さしかなく、開店当初はさほど繁盛はしなかったようである。今では好んで食べられるようになった寿司も、出回った当時は理解を得られず、珍味扱いされていたのだった。
 しかし彼女は当時の大貴族のパーティで寿司を提供し、まず貴族階級に米と生魚を使った料理の存在を認知させた。新しさや物珍しさを好む富裕層の人々は、従来になかった味わいを好意的に迎えた。
 そうして寿司の存在が徐々に知られるようになるにつれ、オーディンでも寿司を求める美食家たちが増えていった。
  ・フォン・ は機を逃さず、当時の銀河帝国首都のオーディンに店舗を構えて貴族の客を集めると同時に、大衆向けの安価で寿司を提供する店も開いたのである。記録によれば、利益は人件費や店の維持費、食材の購入費で消え、彼女の懐に入る取り分は多くなかったということである。
 だがその利益を求めない姿勢のおかげで、それ以降は後に記してあるとおり、今や一般家庭の食卓にトウフが置かれ、どこの街にも寿司レストランがあるように、和食普及の大成功を収めたのである。
 自由惑星同盟へ寿司が伝わったのは、彼女は和食の店をフェザーンへ出店し、商魂たくましいフェザーン商人が新たな商売の種を確実に利用したからだと言われている。しかしさる資料には、その商人に開店資金を与え、さらに寿司の製法やレシピをそっくり渡したのは、 ・フォン・ 本人だったとも書かれており、実際にはフェザーン資本のダミー会社を使っての直接経営だったのではないかとも考え得るが、真相は明らかではない。
 その後、彼女はこれもまた米を使ったカレーライスという手軽なスープ料理(とはいえかなりとろみがある)をメインに据えた大衆食堂を展開したり、弾圧によってではなく、技術や製法の継承がなされず途絶えた地球時代の郷土菓子を供するカフェを開いたりと、精力的に過去の美味の存在を知らしめていった。

 残念ながら、彼女に関する情報はさほど多くない。
 彼女の生きた道筋の数奇さに比べ、あまりにも乏しい資料の量を見ると、何者かが情報を隠蔽しようと試みた作為を邪推したくなるほどである。とはいえ当時の銀河帝国はまさに動乱期であり、旧自由惑星同盟との戦争に加え、帝国領内の争乱の数々、体制の変化とめまぐるしい転換に、歴史家たちがかかりきりになったのかもしれない。
 だが数少ない彼女に関する幾つかの文献を見てみると、稀代の料理研究家が、黒髪黒目で子供の頃から驚異的な聡明さを見せ、貴族の令嬢らしからぬ寛容さや積極性の持ち主であったことを示す逸話は、幾つか伝わっている。
 そして更にもうひとつ、 ・フォン・ の為人を知らしめる言葉が、彼女と組んで寿司を復活させた 子爵家の料理長の家に語り継がれている。
 そこに、彼女の食に対する飽くなき追究の本質が見て取れるのである。
 本書でこれから彼女を語る前に、その言葉を掲げることにする。
 人は食べなければ生きていけない。だが、ただ栄養を摂取するだけが食べることではないのである。旨いと感じる幸せを、我々は知っているはずだ。
 だが同時に看過してはならないのは、味の善し悪しだけが食の質を決めるとも限らないという点である。
 食を楽しみ、美味を求めるからこそ、以下の言葉の意味を噛み締め、味わいたいものである。

『美味しいものを食べれば、幸せ。それをみんなで食べれば、もっと幸せ』
                                    ・フォン・




銀河美食伝説 序文より
 ハンス・フレート・レッカー




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