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01


 視界に赤く滲む光が、無機質な墓標の連なる丘に等間隔の明暗を作り出していた。
 傾ぐ陽に細長く伸びた自らの影を踏みながら、コンラッドは左手の杖を使いゆっくり足を進め、ゆるやかな勾配をのぼる。古傷が痛むことは今はもう稀なことだったが、思うように動かぬ脚はいつだってコンラッドの行く手を阻んだ。幾許かの余力を使えば早足で進むことはできたが、そうしようとも思わなかった。
 遅々とした歩みを許されるのは、一線を退いたものだけの特権である。みすみす特権を放棄するのは勿体ない。それに、死者たちが眠る園を忙しなく歩くのもこの場に相応しくない気もし、佇む大柄の友の背をコンラッドは静かに追った。
「ここに来るのは久しぶりではないか、?」
 彼とは違って自由闊達な手脚を持つ友人は、自分の歩調がコンラッドのそれより幾分か早すぎることに気付いたのだろう、芝生の合間に敷き詰められた煉瓦道の半ばで立ち止まって、足の悪い彼を待つ間を繕うよう左右を見回して言う。
「そうだな、前に来たのは三年前かな。なにぶん、あまり領地から出ぬ生活をしているものでな」
「たった六〇〇光年ばかり、イゼルローン要塞に比べればオーディンから遠いとも思えぬ。無精者め」
「そういう卿も墓参は三年ぶりと先程言っていたではないか、ミュッケンベルガー。無精はお互い様だ」
 ようやく追いついたコンラッドに、腕組みをした旧知の友は眼を細める。コンラッドの背後にある陽が眩しいのもあるだろうが、口元の角度でミュッケンベルガーが笑ってみせたのだと分かった。
「違いない」
 そして再び歩き出した二人の歩調は、つかず離れずを繰り返した。
 オーディンの士官学校に程近い丘陵地に、戦没者たちの眠る国立墓地がある。
 百年以上も続く叛乱軍との戦いによって犠牲になった将兵の数が、正確にどれ程のものかコンラッドは知らない。だが少なくとも視界を埋め尽くす墓碑の数よりも遥かに多くの人間が、祖国に身命を捧げたはずだった。ここにある墓標は、帝国軍で将官の地位にあった者や特に勲功のあった兵士のものが主で、全体の戦死者数からいえば恐らく一割にも満たない。それでもなだらかな丘一面に及ぶ墓碑の列の端は見えず、無言の石くれは見渡す限り点々と佇立している。
 整地された丘に、緑は乏しい。墓地に根ざした木々は冬の気配を忍ばせた風に吹かれ、枝先に疎らに枯葉を縋り付かせているだけだった。
 ここは、過去を振り返る場所だった。在りし日に生きた人の軌跡を、追い掛ける地である。
 世辞にも楽しい場所とは言えず、コンラッドは孫娘が気にかかり肩越しに背後を見やった。つまらなそうな表情かと思いきや、好奇心を滲ませて左右へ顔を振り振り歩くは、コンラッドの視線に気付き姿勢を正して少し申し訳なさそうにした。
「墓など子供は縁が薄いものであるから、物珍しいのだろうな。初めて来たのか」
 ミュッケンベルガーに問われ、は少し神妙な顔つきを作り、小さな顎を縦に振った。
「初めて見るものばかりで気になることが沢山あって……慎みが足らず申し訳ありません」
「墓場では陰気な顔をしなければならないと、誰が決めた訳でもない。楽しげに墓参りをしても、誰の迷惑になるわけでもなかろう」
「その通りとおれも同意するが、自身の祖父が些か常識外れであることを忘れるな、嬢」
 ミュッケンベルガーの言に肯定はせず曖昧に笑んで、孫娘は祖父の名誉を守った。
 大人二人の間に幼い孫娘を挟み、大小三つの影は並んで黄昏の世界をゆく。東の方角へ向かって伸びる道は丘の半ばへ至り、勾配は平らに近くなっていった。頂上が近いのだ。
、お前にクレヴィングのことを話したことがあったかね」
 問いつつも、コンラッドは孫娘に彼について語ったことがないことを知っていた。彼が天上へ去ったのは、が生まれる以前のことだ。それに最近まで、コンラッドはと長く共に居ることも珍しかった。
「いいえ、ありません、お祖父様。これから向かうのが、その方の元でしょうか」
「そうだ。クレヴィングは私の…いや、我々の友だ。お前は残念ながらあの男が生きている間に会えなかったが、折角だ、一度挨拶しておくのも悪くなかろう」
 弾んだ息を整えながら、コンラッドは一度目にここを訪れた時のことを思い出す。
 戦傷を負ったばかりの頃、思うままに動かぬ脚に苛つき、がむしゃらに坂を上ろうとしてコンラッドは煉瓦道に突っ伏した。だがそれから十年ほど忍耐を強いられる日々を経たお陰で、自分は随分と昔より気が長くなったのではないかと、誰にも言わぬもののコンラッドは思うのだった。
 この道で息を荒げ転がった昔、あんなにも胸をかき乱した激情は既になく、記憶は観客席から眺める舞台の寸劇のようだ。時の流れが我がことさえ過去という言葉に変えてしまい、日々はただ遠いものとなる。幾重にも折り重なる遠ざかった過去の底に埋もれた気持ちの、なんと穏やかなことか。
「この辺りだったように思うが……これだ」
 墓地を貫く道を外れて右手の芝生へ数歩踏み込んだミュッケンベルガーが、枝を広げた大樹にほど近い墓標の前で足を止める。コンラッドとは、僅かに遅れて墓前へ至った。
 石に刻まれた溝が、その墓の主を示している。
『銀河帝国軍大将ヘクトール・フォン・クレヴィング、帝国歴四六六年三月二十日、星々の大海へ永遠に出でる』
 そしてその名の下には、さらなる墓碑銘が続いていた。
『振り返らず進め、正しき心が示す道へ』
「ふん、この銘はいつ見てもあやつの嫌味な声が聞こえてくる」
「私もだ」
 台詞ほど嫌な風ではないミュッケンベルガーは、むしろ楽しげに鼻を鳴らした。
 ミュッケンベルガーは手を挙げて副官を呼び、彼が携えていた花束を一旦受け取った後、へと手渡す。
「花を捧げてやってくれ。おれたちは、この男に花をくれてやる柄ではないからな」
「喜んで、大任つかまつります」
 副官の用意した弔花は、が抱えると前が見えなくなる程だった。孫娘は顔を右に伸ばして前方を確認した後、姿勢を正して数歩進み、まず膝を沈ませて礼をした。それからもう一歩前へ出て屈み込み、大輪の百合で作られた花束を墓標の前に優しく降ろす。
 コンラッドはミュッケンベルガーと並び、敬礼を捧げた。彼らの周囲に居る護衛や副官たちも、軍籍にある者はコンラッドらに倣った。面識はなくとも先人への畏敬を表するのは、軍人として誇らしいことである。なぜなら、自身がヴァルハラへ去った後にも敬礼を受ける資格があるのだと思うことができるからだ。
 は立ち上がる前に、自らの指先にキスをして、その手を秋風に冷えた墓標へ触れさせる。
「花束をもらった上に可愛い娘の口づけを受けて、クレヴィングも天上で小躍りしているかもしれぬ」
 コンラッドはを褒めるためにそう言ったものの、実際に彼が見ているなら俺に似合わぬことはやめてくれ、とでも言いそうだ。クレヴィングは花がこれほど不似合いな者もいないというほど無骨な印象だったし、女っ気も乏しかった。顔立ちは悪くなく、家柄も軍の階級も低くなかった男は、しかし生涯独身であり続けた。
 墓参ですることは、さほど多くない。花を捧げて、挨拶をすれば殆どすべきことは終わった。
 だが直ぐに立ち去るのも無粋で、さりとて思い出話をするにも孫娘の存在が気にかかるとコンラッドが思案していると、そのが墓碑の前に佇む二人を促すように言う。
「お祖父様、少しあちらを見て回りたいので、失礼しますね。どうぞごゆっくり」
 そう言い置くと、孫娘は軽やかな風のようにコンラッドの元を離れて行った。あちらもこちらも周りにあるのは墓標ばかりで、見るべきものもない寂しい場所のような気もする。
「聡い娘だな」
 感心するミュッケンベルガーにコンラッドは苦笑して、孫娘の護衛二人へと目線で同行を促し、遠ざかる三つの背を見送った。
 幼い子供に、老境の感傷などあえて見せたいものではない。クレヴィングは気持ちの良い男で、特に親しい友人だった。だが彼について思い馳せる時、コンラッドの胸に去来するのは間違いなく痛みだった。記憶の底に沈めても幾度も浮かび上がってくる、穏やかながら、過去となったがゆえに感じる消えることのない痛み。
「十年、いや十一年か。早いものだ」
 ミュッケンベルガーは、嘆息混じりに墓石を軽く叩く。その広い掌の様子は、在りし日に友の肩を叩く気安さそのままだった。だが旧友の手に浮かぶ血管の筋や皺を、そして堂々たる威風と称される友の髪の色に変化を見つける。
「そうだな。あっという間だった」
 語らう二人の傍には、もう誰もいなかった。同行の部下達をミュッケンベルガーは離れた場所へ下がらせ、辺りに他に人影はない。
「振り返らず進め、正しき心が示す道へ。そうは言うものの、実際にそうするのは難しいことと思わぬか、?」
 墓碑銘を読み上げたミュッケンベルガーの声には、苦いものが混じっていた。
 その言葉はクレヴィングの遺言のようなもので、近しい者がコンラッドら以外にいなかった男のために、十一年前にコンラッドとミュッケンベルガーが選した文である。死者に捧げる言葉でもあり、そして自らへの戒めとして刻んだのだった。
「正しき心の通りに振る舞っていたら、このご時世、すぐに首が飛ぶだろうかな、ミュッケンベルガー」
「特に軍にあってはな。思い通りにできることの方が少ない。おれにも領地があれば、引っ込んでみるのも良いかもしれぬ」
「領主だとて、思い通りに出来ることはさほど多くはない。私がどれほど中央からの監察官に金を払っているか、卿は知っておるのか。融通を求め頭を下げる我が身の無様なことよ」
「ふん、卿は知らぬのか。格好がつくのは、さっさと死んだ奴らだけだ。生きることなど、恥だらけで無様なものに決まっておるではないか?」
 胸を張って、ミュッケンベルガーが堂々と宣言する。
 コンラッドも、そしてミュッケンベルガーも、自分自身のこれまでの行いが全て正しいと主張することなど到底できないことを知っていた。彼らはそれぞれ誰かに賄賂を送ったこともあり、利益を供与し、非公式な取引で便宜を図ってもらったこともあった。銀河帝国という国や、帝国軍という組織の、そして貴族のしがらみは個人の正しさを求める意志など押し潰す。背負うものがあり、守るべきものがあるからこそ、正しさは黙殺される。それを狡く汚いと罵ることができるのは、汚れを知らぬ若者の特権であろうとコンラッドは思わざるをえない。
 それでも、クレヴィングの墓碑銘にあるところでは従っている部分があり、そのことを誇るべきであるともコンラッドは思うのである。
「正しさなど、見方によって様々であるからな。無様でもそうすることが正しいこともあるだろう。格好がついても誤りであることもあろう」
「なんだ、。クレヴィングへの当てこすりか」
「まあ、そのようなものだ」
 クレヴィングが死んだのは、コンラッドが退役を決意する端緒となった会戦の際である。コンラッドは友を失い、そして右脚の自由も失った。
 帝国軍戦史にはヘリーデン星域会戦と呼ばれる戦いが、帝国歴四六六年にあった。



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