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星に捧ぐ03

 

 窓の外を、懐かしく思える景色が流れている。空高く晴れた晩秋の惑星ハイネセンの空の下、彼を乗せた地上車はハイウェイを時速100キロで快走していた。
 首都ハイネセン近郊の軍関連施設の密集した地区にある官舎を出て、既に二時間は経っただろう。都市部の乱立するビル群を抜けると、周囲の建物の背は次第に低く疎らになり、今や色づく落葉樹と色を変えない針葉樹、つまり植物ばかりが目に入る。
 この道を前に通ったのはいつだったろうかと、帰省の途にあるアッテンボローは考えた。アムリッツァへ出征する前は機を逃し帰りそびれてヴィジホンで挨拶を済ませたから、恐らくはアスターテ会戦直後の休暇で戻って以来だ。
 それはこの春先のことで、前回の帰省から一年は間を開けてないはずだったが、未帰還率が七割に達しようかという大敗北を最前線で味わった後では、家族の暮らす家へ至る途中の景色さえも感慨深かった。
 自動走行に設定した地上車は広大な農地を貫くハイウェイを降り、再び建物の増えた街を進んでいく。ここまで来れば実家までの距離は残り僅かで、もうすぐ到着すると思うとアッテンボローは心安らぐ気がした。
 実は彼はこの街――モントバレーに一度も住んだことはないのだが、なぜか帰ってきたという気分になるから不思議である。しばしば己の信条を貫くが故に職場を変える父パトリックに連れられ、アッテンボロー家はこの三十五年で七度、実に五年に一回は家を変えていたので、モントバレーという土地そのものに愛着があるわけではなかった。それにアッテンボローは16歳になった年からテルヌーゼンの士官学校の寄宿舎で生活し、従軍してからはほぼハイネセンか任地の官舎か、さもなくば宇宙空間にいた。モントバレーは五年前に両親が居を定めて以来の、時折訪れる、単純な意味での彼の帰省先に過ぎなかった。
 だが戦争を終えて文字通り『帰って』いる内に、アッテンボローの中にはモントバレーという小さな街に対する郷愁のようなものが芽生えてはいた。それはおそらく、この街へ来れば家族がいるという安心感から生じるものなのだろう。故郷という感傷的な単語は相応しくないが、彼の家は確かにこの街にあった。
 窓越しに眺めるモントバレーの街並みは、昨夜キャゼルヌと話した際に目の当たりにしたデータが示すような苦しい状況には見えず、いたって平和な日常が繰り返されているように見える。道行く人々はお洒落に気を遣っているし、通りにゴミが溢れているわけではない。店先に色とりどりの商品が並び、品数も豊富そうで物質的な欠乏をきたしてはいないようだった。軍事費が経済を圧迫し人手が軍に取られているとはいえ、市民生活が困窮するほどではないはずと、アッテンボローには思われてならない。
 だが平穏な日々を支える社会の柱は、今にも崩れ落ちようとしているという。それが辛うじて表面化していないだけなのだと、アッテンボローは己の楽観に偏りそうになる意識を改めた。
 人は、信じたいものを信じる。アッテンボローは祖国の窮状を認めたくないと思う自分がいることを知っていた。平和なモントレーの日常が壊れることや、家族が苦しむ姿など想像したくもないのが、当然ではないだろうか。しかし考えなければ危機が霧散する訳でもないし、現実も変化しない。何らかの行動を起こさねば、見ない振りをしていた未来が訪れてしまう。
 そのような望まぬ状況を招かないためにも、彼には考えねばならぬことが多くあった。
(ヤン先輩を担いで、戦争を終わらせる、か)
 アッテンボローは望んで軍人になった訳ではなかったが、戦争が終わる日が来ることなど考えたこともなく、キャゼルヌの一言には頬を叩かれた気分だった。だが目を見開いて目先の戦闘や軍内部から一歩退いた視点から見てみると、キャゼルヌの危惧も的外れではなく、むしろ正鵠を射ているように思えたのだ。
 だからこそ昨夜は勢い込んでキャゼルヌに同意し、その後は何も知らぬヤンを加えて夜遅くまで会食を楽しんだが、一夜明けて改めて考えてみると登るべき山は途方もなく高そうに思えた。
 150年間も続いている慢性的な戦争状態を解決するなど、本当に可能なのだろうか。ヤン・ウェンリー閥を作って首尾良く軍内で影響力を行使できるようになったとして、その後はどうする。まさか武力クーデターを起こす訳にもいくまい。
(それが出来れば、話は簡単なのかもな)
 アムリッツァの敗北で数を減らしたとはいえ、自由惑星同盟軍の武力に国内の警察機構は対抗できはしないだろう。仮に軍政を目指してクーデターを起こせば、圧倒的な暴力性で一週間もあれば同盟全土を支配できるかもしれない。面倒な政治など考えず、望めばヨブ・トリューニヒトさえ処刑台へ直行させられる。
 だがアッテンボローは、そのような未来は望まない。無論、彼が担ごうとしているヤンも決してそのような愚挙には出ないだろう。
 力をもって他者をねじ伏せるやり方は、彼が嫌う権力者の悪しき手法そのものであり、民主主義の理念を真っ向から否定するものである。意見の異なる他人を殴って黙らせようというのだ、それこそ民主主義滅亡の第一歩であるに違いない。
 そういう訳で、武力を用いずに政府を動かすならば、必ず政治に首を突っ込むことになる。そして和平交渉の実現と停戦協定の樹立を実現させるためには、最高評議会に名を連ねる評議員の内の誰かと協力体制を築く必要があった。民主主義を標榜する自由惑星同盟において、政策決定は全てこの最高評議会を経て行われており、銀河帝国の対話となると、この国家最高機関を通さずに話は出来ないのだ。
(過半数の賛成を取るために、11人の内の6人を抱きこむ必要がある。だがな…くそっ、タイミングが悪すぎるぜ)
 地上車の窓に映る自身のひどい顰め面を睨みつつ、アッテンボローは毒づいた。
 最高評議会を動かす際に問題となるのは、現在のところ暫定最高評議会議長となっているヨブ・トリューニヒトの存在である。
 アムリッツァに関連する評議会議員の相次ぐ辞職表明は、トリューニヒトの躍進の機会をもたらした。アッテンボローとキャゼルヌの思い描く未来と関連して、議席をどのような勢力が占めるかは重要な運命の分岐点になるはずだった。しかし慰霊祭の際の予想がそのまま現実となるなら、最高評議会は恐らくトリューニヒトとその子飼いに牛耳られる。そうなると、トリューニヒトと接近する必要が出てくるのだが、それはアッテンボローにとっては不愉快きわまりない未来予想図だった。
(よりにもよって、あの野郎と協力かよ)
 トリューニヒトの薄ら寒い完璧な笑顔が、脳裏に蘇る。全くもって気が進まない。これほどに気が進まないことはないと言うほどに、躊躇いを覚える。
 だが政府関係者との接近を早急に行う必要に、既に迫られている。次の政権交代を狙ってトリューニヒト以外の政治家を、今の時点からバックアップして擁立するには圧倒的に時間が足りない。5年以上は戦争状態を継続できないとキャゼルヌは言ったが、それはかなり楽観的な予想に基づいていたからだ。
 キャゼルヌ家で送別会という名の楽しい一時が終わり、ユリアンを連れたヤンが一足先にキャゼルヌ家を辞去していった後、アッテンボローとキャゼルヌは短い時間ではあったが再び二人だけで酒杯を傾けた。そこで、キャゼルヌはこのように改めて語ったのだ。
「さっきは5年と言ったが、実のところ5年も保たない確率の方が高い。なんせ5年の根拠は、大規模な帝国軍の侵攻があっても全く被害を出さないって前提だからな。全ての戦闘に、今後は勝利する必要がある。もし帝国軍がこの5年以内に大挙して押し寄せてきて一度でも負ければ、同盟内の経済は民間レベルで支障を来すさ。政府が今後どの程度まで兵員を回復させるつもりかわからんが、仮に補充なしで現在の第一、十一、十三艦隊と地方警備隊を維持するとして、1回目の敗北以降は軍への補給を確保するために、物資食糧は配給制になり、政府が私企業を接収する羽目になるはずだ。金が賄えないからな。まあ数字上の計算からの予想だが、もし現実になったとしてこれ以上に先行きが暗くなることはあっても、明るくなる根拠はない」
 希望の光など一筋も感じられない予想だったが、アッテンボローはキャゼルヌが同盟の虚弱さを誇張しているとは思わなかった。軍や政府の経済データなどを良く知る優秀な後方計画の専門家が言うのだ、前線での艦隊指揮を得意とするアッテンボローには否定する材料がない。
「となると戦意は低下して、各地で暴動が起きる可能性もありますね。そうなれば同盟は内部から瓦解するか、それとも帝国軍のとどめの一撃で無条件降伏させられるかのどちらになるか。ま、どちらにしろあまり拝みたくない未来です」
 言ってアッテンボローは食後酒として供されたウィスキーを舐めた。舌先に辛い酒精が喉を過ぎると胃の腑が熱くなったが、同盟の未来を思えば暗澹とした気分が晴れることはなかった。
 キャゼルヌは暫く沈黙していた。何かを言いあぐねているようにも見え、アッテンボローは急かすことはせずに、二度、三度と酒を飲んで体内にアルコールを溜め込んでいた。
 悩める彫像となっていたキャゼルヌの手の内のグラスの氷が溶け、崩れた拍子に涼やかな音を立てる。その音を合図とするようにキャゼルヌは再び活動を再開し、ウィスキーを一気に呷った後、アッテンボローにこう言ったのだった。
 あくまで一つの可能性としてではあるが、今後、トリューニヒトと手を組む必要性に迫られるかもしれない、と。
(そうだ、可能性として考慮する余地はある。いけ好かないどころか虫唾が走るが、あいつが自己の利益を追求するような人間なら、目の前に餌をぶら下げてやればいいんだ。釣り上げて働かせればいい)
 アッテンボローはキャゼルヌとの会話を思い出し、己に言い聞かせるようにその結論を心の中で繰り返した。
 トリューニヒトはまさに衆愚政治の暗部を結集した毒のような政治家だが、ものは使いようとも言う。アムリッツァの一戦で疲弊した自由惑星同盟を延命させるために、時に劇薬が必要となることもあるのだ。
 影響力を行使できる範囲内で、出来ることを全てやるしかない。それは現在のところ、ヤン・ウェンリー閥の影響力を軍部に広げること、そして政治家――トリューニヒトとの関係を検討することなのである。それが同盟を、ひいては自らの友人や家族達を救う道となるなら、個人の感情で方法を選り好みしている場合ではなかった。
 地上車が木の葉が舞い散るケヤキ並木を、ゆるやかな速度で駆け抜けていく。この通りを越え、突き当たりを左に曲がって数百メートルの場所に、アッテンボロー家はある。
 アッテンボローは膝の上の重石と化していた携帯用PCを片付け始めた。考え事ばかりしていて、調べ物は進まなかった。時間があれば帰省のついでにモントバレーの市長に面会でもしようと思っていたのだ――彼とキャゼルヌの大いなる野望の小さな一歩のために。
 ただ、今後の懸念となるのは帝国側の動きである。帝国軍の襲来に関しては、アッテンボローとキャゼルヌの手の及ぶところではない。短期間に立て続けに大規模な軍事的衝突が起きれば起きるほど、自由惑星同盟の寿命は縮まってしまう。
 とはいえ、帝国の同盟領侵攻に関してだけは唯一といえる明るい材料があった。
 帝国軍が同盟領へ侵攻する日は再び必ず到来するとして、それにはまだしばらくの猶予があると、アッテンボローとキャゼルヌ、そして酒席で加わったヤンの予想は一致していたのだ。
 銀河帝国の皇帝が死んだという情報は虚偽情報ではなく、フェザーン自治領を介しての確認も取れていた。この皇帝の不慮の死のお陰で、当分は帝国は同盟を攻める余裕はないように思われた。なぜなら、帝国内で次期皇帝の座を巡って争い――内乱が起こることは間違いないからである。
 敵国の内情に関して逐次詳細な状況が入ってくるわけではないが、フェザーンを通じて伝えられている話では、皇帝候補は三人おり、それぞれを擁立した二大門閥貴族と、平民や下級貴族を中心とした軍閥を形成する新興勢力のローエングラムが対立しているという。中立派もいるらしいが、各勢力の後継者争いを調停できるほどのものではないとの話だった。
 この対立が激化、長期化してくれれば同盟としても、そしてアッテンボローとキャゼルヌにしてもこれほど助かることはない。帝国で彼らがいがみあう間は同盟領侵攻は実施されず、二人が同盟内部でヤンを旗印にした軍閥形成や政治工作に走る時間も稼げる。些か他力本願かつ他人の不幸を願うようで気が引けるが、ただただ帝国内の状況が悪化することをアッテンボローは望むばかりだった。
(それに、イゼルローンがある)
 ヤン・ウェンリーが陥落せしめた、イゼルローン回廊の橋頭堡が同盟にはある。要塞を有効活用すれば、たとえ大規模な帝国軍の攻撃があっても易々と負けることはないだろう。
 そう、戦闘に関しては負けてはならない。己の本分である艦隊指揮も少将となるからには怠っていられないと、彼は強く拳を握った。
 アッテンボローの乗る地上車は、今や懐かしい我が家の前で長い旅路を終えていた。
 荷物を抱えて地上車からカードを抜き取り、そのまま通りの路肩に駐車しておく。ドアをロックして顔を上げると、ちょうど母が玄関から出てくるところだった。
 落ち葉を踏みしめながら歩道を越えた彼が近付いていくと、玄関ポーチに立つ母がおっとりと微笑んで言った。
「おかえりなさい、ダスティ」
 空は晴天で光に満たされているというのに、彼の目には我が家こそが最も輝いて見えた。
 風に梢が揺れて落ちた数枚の赤い葉が、ひらひらと彼と彼の母の間を横切っていく。遠くどこかで子供達がサッカーに興じる笑い声が聞こえる。平和な昼下がりの音だ。
 アッテンボローは、なぜか涙が出そうになった。27歳になる大の男が涙を見せるわけにはいかないと気張ったが、彼は青灰色の瞳が潤んでしまうのを止められなかった。
 両手を広げて迎えてくれる母の後ろ、開いたままの家の扉の奥から姉たちの騒がしい声が聞こえる。彼の帰省を迎えるために、わざわざ集まったのだろうか。
 一歩踏み出すごとに、アッテンボローは自分が若返っていくようだった。戦場の悲惨さも、胸の裡に溜まった心配事も、全てがそぎ落とされていき、そしてまるで何も知らなかった幼い子供の頃のような気分で、彼は言った。
「ただいま。ただいま、母さん」
 優しい光が、彼を包んだ。



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