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星に捧ぐ01


『彼らは、日々を生きる我らの如き苦しみもなく、ただ、星の泡沫に眠る』
 空虚な演説を聴きながら、いつか父親の書棚にあった詩集でみかけた一節を唐突に思い出した。
「……自由の旗の下に集った我々の良き友、あるいは隣人、そして家族だった彼、彼女たちの尊い命は、誠に惜しむ事ながら失われてしまいました。どれほどの涙を費やそうとも、我々の大切な人々は戻ることはない。どれほどの悲しみも、亡くなった彼ら、彼女らを救うことはもはやない。けれど今このとき、そしてこれから先も、祖国のために勇敢に戦った者たちは、我々の胸の裡で生き続けることでしょう。再び立ち上がる日は、しばし後に。今は、胸の裡にある面影を浮かべ、彼らの冥福を静かに祈りましょう」
 壇上で以前のアスターテ会戦戦没者慰霊祭の時とは違って穏やかな調子で話すのは、国防委員長改め暫定最高評議会議長となったヨブ・トリューニヒトである。彼は拳を振り上げたり声を張ることもなく、つとめて静かな口調を心がけているようだった。
(人気取りのうまい狐野郎め)
 まったく人が変わったようだと、アッテンボローは口には出さず悪態を吐いた。階級のこともあって座らされた席は前寄りの列に位置していて、見たくもない面をしっかりと拝まされる羽目になっていた。
 今回の帝国領侵攻から始まった一連の戦闘を、最終的な決戦宙域の名をとってアムリッツァ会戦と呼称されることが決定したのは、つい三日前のことだ。全軍がほうほうの態でハイネセンに辿り着いた当日に、政府は会戦名と被害規模、慰霊祭の布告、そして数時間に及ぶ戦死者名を読み上げる放送を行った。
 アムリッツァ会戦戦没者慰霊祭と名付けられた式典は、11月初旬の木枯らし吹きすさぶ本日、首都ハイネセンポリスから100キロ離れた統合作戦本部地下の集会場で執り行われていた。会場内は当然のことながら、悲哀と喪失の涙に満たされている。
 自由惑星同盟史上初の帝国領侵攻は、史上最大規模の戦死者の骸によって報われたのだった。出兵した三千万将兵のうち七割が戻らず、生還したのは一千万人に満たなかった。
 おかげで同盟全土の厭戦ムードは最高潮となり、こんな時期に勇猛果敢な主戦論にかぶれた演説をぶちかまそうものなら、戦死者の遺族に石を投げられても文句を言えない雰囲気である。
 一度の出兵で、都市がいくつか無くなるほどの人数が死んだ。その数は二千万というが、数字にはあまり現実感がなかった。
 だが士官学校で同期生の実に二割が今回の戦闘で一挙に黄泉路をくぐった、中尉の頃に同じ艦に乗り合わせたあいつも、酒を酌み交わしたこいつも死んだと聞かされると、さすがに軍人稼業で死に慣れている自分でさえ気分が憂鬱になる。
 それに比べて、見てみろ、あのトリューニヒトの完璧な悲しみの素振りを。決して口ごもることも、嗚咽に喉を詰まらせることもない抑制された口調、完璧な表情、計算されたかのような角度で会場を左右に見渡す顔、そして虚しく発される言葉たち。
 アッテンボローは不機嫌なまま、腕組みをして苦虫を噛みつぶした。
 先の出兵に国防委員会で反対票を投じたとされるヨブ・トリューニヒトは、出兵賛成派の評議会議員の失脚と時を同じくして、暫定政権首班へと躍り出ていた。簡単な政治ゲームの構図だった。主戦派の権威はアムリッツァの大敗北によって失墜し、先見の明があり無駄な出兵には頷かないと評判を得たトリューニヒトは、以前からの愛国主義的支持層に加え、戦死者たちの家族からも支持を集め、次なる政権トップの座は殆ど確実となっている。
 だからこその、死者への追悼を前面に出した演説なのだとアッテンボローは知っている。間違ってもトリューニヒトの発言に感動したりはしなかった。反吐が出るというのが、彼の率直な本心だ。
 会場に響くトリューニヒトの声が、参列者に起立と黙祷を要請した。アッテンボローは周囲に倣って立ち上がり、五芒星を染め抜いた軍帽を脱ぐ。
「それでは、一分間の黙祷を」
 彼は死者へ弔意を捧げているように見えるよう、軽く俯いて目を閉じた。
 戦没者慰霊祭は、ひどく空虚だ。死者を悼むとは名ばかりの、単なる政治ショーに過ぎない。そんな批判は幼い頃から父が憤りを込めて呟いていたのを耳にしていたが、自分が参列する立場になってみると憤る気すら起きなかった。この場で捧げられる哀悼は、判りやすいアピールなのだ。我々は失われた命を惜しんでいる、そういう主張を目に見える形にする式典。
 心からの哀悼は、とうに済ませている。あの日、元は戦艦であった、そして人間であったデブリが無数に漂うアムリッツァ宙域に向かって捧げた敬礼が、アッテンボローにとっての最大限の敬意の表明だった。それに比べ、この慰霊祭にどれほどの意味があるというのか。
 確かに戦死者の遺族にとっては、大いなる意味があるかもしれない。大義の下に散った者に対して、自由惑星同盟の政府が大きな葬礼を施し死者を悼んだという形式的事実をもって、心穏やかになれることもあるだろう。
(だけど、結局はそれさえも次の犠牲を生み出すためのルーティンに過ぎない)
 同盟政府は慰霊祭で落とし前をつけた振りをして、次なる戦争を行おうとする。先のアスターテ会戦の戦没者慰霊祭の意味は、大局から見ればつまりは戦意高揚のプロパガンダの一環に過ぎなかったし、恐らく今回も同様なのだ。個人的な感情はともかく、式典への社会的な意味づけを思えば、本心から戦没者を悼むことは政府にとっては――少なくとも、トリューニヒトにとっては確実に二の次なのだ。
 だからこそ、アッテンボローは言われるがままに単純に黙祷することが出来ない。二千万もの人々がなぜ死ななければならなかったのかという疑問が彼の中には積み重なり、容易に政府の言い分に納得させてはくれなかった。
 咳払いさえ慎まれる哀悼の沈黙の中で考えるのは、目を閉じる一瞬前に壇上に見えた、まるで役者のように大げさに悲しみを表すトリューニヒトのことだった。
 トリューニヒトのこれまでの愛国心の発露は、往々にして強硬な主戦論として展開されてきたのだ。それがなぜアムリッツァに限って過去に倣わなかったかと考えれば、どの選択肢が彼に最大利益をもたらすかという政治的な要因が頭をよぎるのだった。
 ヨブ・トリューニヒトは、以前から熱烈な愛国派と目されていた。ここ同盟において、愛国派とは即ち主戦論者を指す者と理解されている。なぜなら自由惑星同盟を愛するとは、国歌にあるとおり専制主義の帝国を打倒し民主主義を推進することと理解されており、つまりは武力による帝国への対抗こそが愛国の実践と主張されるのが常だったからである。トリューニヒトはその愛国の形式を踏襲していた訳だが、今回に限ってはそうではなかった。
 彼が厭戦派に転じるとか、改心したとかいう説は笑い話にもならない。普通に考えればよい。アムリッツァの出兵に反対することが、最もトリューニヒトの利益にかなっていたのだと。アムリッツァ出兵決議からの国防委員長閣下の一連の言動が、権力の座を射落とさんがためのパフォーマンスの一環だという穿った見方は、決して的外れではなかろう。
 そしてその筋道を突き詰めていくと、トリューニヒトには今回の出兵が失敗する殆ど確信に近いものがあったのだという推測も可能だった。さすがにここまで来ると、事実より想像の分量が過剰ではあった。しかし、そう条件付けないことにはトリューニヒトの出兵反対という立場のリスクが大きすぎる。
 仮にこれで帝国侵攻が何らかの成功を収めていれば、トリューニヒトは支持層の愛国主義者からは見放され、国防委員長という立場から追われる可能性すらある。戦争の結果がどちらに転ぶかわからない状況下で、無難な選択は出兵賛成のはずである。仮に侵攻戦が成功したなら現状維持、失敗して失職しても最悪、支持層離れは免れる。
(だが、反対派に回って出兵が失敗すれば一気に評議会議長の座は確実…)
 ゼロか全てかなどという大博打をトリューニヒトが打つようには、アッテンボローにはやはり思えないのだった。
(奴が嫌いだから、こういう思考に嵌っているのか?)
 真実がどうであれ、アッテンボローは以前からトリューニヒトのことを気に食わない奴と見なしているのは紛れもない事実だった。主戦派として兵士を戦場へ送り込む弁舌だけは華麗な政治家を、最前線で戦う士官として好きになれるはずもない。そうでなくとも、アッテンボローはもともと権力とか上とかには逆らいたくなる性格なのだ。己の利益のみに忠実な政治家など、虫唾が走ってならない。
「ありがとうございました」
 黙祷の終わりを告げるトリューニヒトの声に目を見開き、ベレーを被り直して腰を下ろす。しばしざわめきが収まるのを待って、トリューニヒトは再び演説を始める。
「皆さんの心の中のご友人やご家族は、あなたにどのように語りかけたのでしょうか。それぞれ言葉は違ったとしても、きっとこのようなメッセージを伝えてくれたのではないでしょうか。我々には、明日を生きる必要がある。いまだ挫けて絶望に膝をついてはならないと。確かに、私たちは二千万もの同胞の命を失うという悲嘆、そして挫折を噛み締めている最中です。だが、ここで明日への、そして民主主義への希望を失っては、彼らが自由の旗に命を賭けた理由が失われてしまうのではないでしょうか。このまま帝国の脅威に打ち震えているだけで、良いのでしょうか」
(おっと)
 アッテンボローは腕組みをしながらご高説を話半ばに拝聴していたが、論調の変化にはすぐに気付いた。
 徐々にトリューニヒトの本来の主張の色合いが濃くなりつつある。死者を悼みつつ、体制への協力を惜しまぬことこそが死んだ者たちへの最高の手向けであるという、使い古された論法が今や展開されようとしていた。
(ま、そうでもしなきゃ、この式典も終わらせられないんだろうけどな)
「彼らはなぜ戦ったのでしょう。彼らはなぜ、一つしか持たない命を捧げたのでしょう。そう、全ては民主主義のためです。我々の生きるこの自由惑星同盟を守らんがために、彼らは、我々の愛しい人々は、戦火へ身を投じたのです。今はたとえ悲しみに暮れようとも、明日になれば我々は進まねばなりません。失われた彼らのためにも。胸に面影を抱き続けるように、同盟と共和国という民主主義の光を我々は灯し続けましょう」
 トリューニヒトはお得意の同盟万歳、帝国を倒せという文句は叫ばなかった。彼の演説の終わりが余韻のように会場に染み渡る中、トリューニヒトは壇を離れる。拍手が沸き起こる前に、自由惑星同盟国歌の前奏が静かに流れ出し、国歌斉唱のためにアッテンボローは再び起立せねばならなかった。
 鼻を啜る音に横を見ると、少将と思しき将官が涙を堪えていた。どうやらトリューニヒトの演説に胸打たれた様子であるが、視線を走らせれば隣の将官と同じような反応を見せている者は軍人民間人問わず、そこここに見受けられる。
 前奏部分が終わり、慰霊祭会場に唱和が響き渡る。
「友よ、いつの日か圧制者を打倒し、解放された惑星の上に自由の旗をたてよう――」
(まったく、うまいもんだぜ)
 アッテンボローは憮然と歌いつつ、トリューニヒトの鮮やかな手並みには感心せざるをえなかった。
 演説内容も、慰霊祭の運び方も、会場を一体感に包む国歌斉唱も、全てが人の感情を最高に盛り上げる仕組みである。この場に身を置いていると、うっかり悲しみを胸に明日からも帝国と戦ってやろうという、愛国心が沸いてきてしまうようだった。
 トリューニヒトを冷めた視点から批判する自分でさえこうなのだから、正義感が強かったり、少し愛国精神にかぶれている人間はすぐに雰囲気に呑まれてしまうことだろう。集団的な連帯感は、真っ当な思考力を奪う作用がある。それは、とても恐ろしいことだというのは、報道に長く携わる父の言である。
(民衆の煽動者、か。トリューニヒトは、一体どこへ同盟を追い立てるつもりなんだか)
 新政権の成立と同時に、トリューニヒトの最高評議会議長代行という肩書きから代行という文字が消えるのは確実である。帝国侵攻に反対したのは彼を含め三人で、残りの二人は財務委員長のジョアン・レベロと人的資源委員長であったホワン・ルイ。いずれも政界ではやや傍流で、トリューニヒトの手綱を捌ききれる勢力ではない。だとすれば、首脳部には次々とトリューニヒトの子飼いが蔓延ることになるだろう。
(今はまだ厭戦気分が強い。主戦論は盛り返せないし、そんな金も余裕もない。だが再出兵がなくとも、帝国軍が攻めてきたら話は変わる。大打撃を与えた後だけに、あちらからイゼルローンを奪いに来ても不思議ではない)
 恐らく政府も軍首脳部も、アッテンボローと同じ結論に辿り着いている。同盟軍の残存兵力を再編した後は、イゼルローンに防衛部隊を厚く配置するはずだ。先日までイゼルローン要塞司令官はアムリッツァの作戦司令部が代行していたが、敗戦の責を負ってほぼ全てが辞職か左遷に追い込まれており、また拠点の重要性からも専任司令官の配置は必至である。
 そうなると、イゼルローン要塞司令官候補として妥当な人物は限られてくる。主要基地司令官の任は、中将か大将をもって当てるのが普通である。対帝国軍事行動の最前線であるから、後方のデスクワークを担当していた類の人間はお呼びではない。残る選択肢は実戦経験豊富な艦隊司令官たちであるが、何しろ最前線を張っていた主要な諸提督は、軒並みアムリッツァで天国への門をくぐってしまっている。
 そう言うわけで、このさき帝国軍と殴り合うマウントに上がる候補には、先の戦役で麾下の艦隊の実に七割を生還させたヤン・ウェンリーの名が上がることは間違いないだろう。不敗の名将という兵士の信仰を集める人であるから、さらに統合作戦本部の幕僚長とか、他にも座席のアテは沢山ありそうである。ただ間違いなく言えるのは、ヤン・ウェンリーは更なる重責を負わされて、愚痴と酒量が増えそうだということだった、
 何はともあれ、アッテンボロー自身の次なる辞令が出る頃には全てが明らかになる。軍の上層が入れ替わり、人事命令が発効するまで早くとも一週間はかかるだろうが、恐らくはその一週間は休暇が与えられるはずだった。敗戦からこっち、アムリッツァから撤退し数千光年を経てハイネセンに到着するまでは、ずっと働き通しだったのだ。ついでに昨日までは事後処理の書類仕事に追われていた。損耗率七割の戦から生還したのだから、多少は怠惰に身を任せても罰はあたらないはずだ。
 それに、随分と実家にも顔を出していない。命からがら生き延びた戦争の後であるから、さすがに家族の顔を拝みたい気分である。この休暇で帰省の機会を逃して、死ぬ間際に後悔するのは御免だった。
 斉唱が終わり、集会場は割れんばかりの拍手、そしてすすり泣きで今にも壁が破れて変な悲愴感と高揚感が溢れ出しそうだった。いや、既にメディアの中継カメラを伝って、同盟全土にこの空気はウィルスのように感染が広がりつつあるのだろう。
 死んだ者たちは果たしてこの慰霊祭で浮かばれたのか、そして戦死者の遺族の心はこれで幾許か救われるのか。
 アッテンボローは、浮かぶ疑問を自嘲で打ち消した。答など、わかりきっていた。


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