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歴史の欠片



『始祖ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムによる王朝開闢以来、銀河帝国が頑迷な階級構造を維持し続けてきた歴史について、改めて説明するまでもないだろう。ルドルフ大帝は、建国に際して人を三層に隔てた。
 まず第一に、皇帝という全ての人間の頂点に立つ身分を作った。そしてその下に、皇帝を取り巻く矛と盾、そして時に薬になり、また毒にもなる貴族という層を置いた。さらにその上層部に含まれなかった者たちを一括して、平民と呼んだ。つまりは何の身分も持たない者という意味でのその他大勢が、平民と呼ばれる者たちだった。
 各層には更に細分化された分類があったが、その三つの層の間に横たわる溝は帝国の歴史が進むにつれ深く強固になっていった。皇帝は宇宙をあまねく統べる存在として銀河帝国に君臨し、臣民の中でも優れた者とされた貴族は皇帝の庇護の元で平民達を統治するという形式が整えられ、長い歳月が流れた。その間、平民達はうまく飼い慣らされていたと見て良い。
 時折、体制に噛みつく者があれば速やかに排除された。帝国を脅かす異分子たる共和主義者は辺境の過酷な惑星環境の中で強制労働に従事させられていたが、遂に帝国を飛び出して一万光年を隔てた地で新たな楽土を開いた。これはルドルフ・フォン・ゴールデンバウムが自らを頂点とする専制国家を築いて二一八年を数えた頃であり、共和主義者として専制君主による独裁政治を否定した彼らは旧き年号を復活させ、宇宙歴五二七年に自由惑星同盟の建国を宣言した。
 しかしこの自由惑星同盟が銀河帝国という巨大な統治機構に変化を及ぼすようになったかといえば、銀河帝国が自由惑星同盟という叛徒どもの存在を認識し、軍勢を送って戦端を開いて軍隊を増強したことを除けば、体制に動揺を与えたとは必ずしも言えなかった。
 ただ、銀河帝国内での権力争いに敗れた一部の貴族や、農奴としての一生に嫌気がさした者、さしたる理由もなく新天地を求める者など、銀河帝国を脱する意志とその手段を兼ね備えた者たちが自由惑星同盟へ流入するようになったことは、共和政を旗印とする国家が成立した以前と以後では違っていただろう。また、この唯一とも言える外敵との戦争によって銀河帝国内では勲功貴族が大量生産され、軍人の地位が向上した。さらには軍需産業の活性化が経済的発展を促し、のちにフェザーン星系において旧帝国歴四二九年に自治政府が置かれるようになった一因ともなり得た。
 フェザーン自治領は互いの存在を否定し合う銀河帝国と自由惑星同盟の間を非公式に取り結ぶパイプラインとして機能し、莫大なる富を稼ぎ出すことに成功した。これに伴い帝国貴族内でも、商業的成功によって爵位を文字通り買った新興貴族も登場するようになった。このように、長きに亘り銀河帝国と宇宙を二分して戦った自由惑星同盟の存在は、ある程度まで銀河帝国に変化の端緒を与えていたことは否定しうるものではない。
 しかし、銀河帝国の最たる変化――しかも劣化をもたらした存在は、誰あろう銀河帝国を支えるはずの貴族たちであったと私は考えるものである。
 長く特権を保障された帝国貴族たちは、絢爛豪華な貴族文化の極まりとその後に訪れた頽廃によって爛熟し、ついには腐敗した。国に巣食う貴族の暴虐と特権の肥大化は時代が下るごとに顕著に、そして速度を増して進行したのである。農奴階級をはじめ平民階級の臣民は高い税率によって自らの糧を搾取され続け、そうして吸い上げた金で皇帝や貴族は、それがまるで自らの存在意義であるかのように権威を振りかざして華美な生活に明け暮れ、贅を尽くした。
 無論のこと、貴族の全員が自己の利益と贅沢のみを追求していたならば、銀河帝国ゴールデンバウム王朝年表は更に縮まっていたであろう。賢帝と後世に名を残した第八代皇帝オトフリート二世や第二三代皇帝マクシミリアン・ヨーゼフ二世をはじめとする少数の名君による統治と、残された良心とも言える僅かな無私無欲な貴族が、ときに銀河帝国の官僚となり、または帝国宰相として皇帝を補佐し、またときには帝国軍の将帥として自由惑星同盟との戦争を遂行したことによって、ゴールデンバウム王朝は四九〇年まで命脈を長らえることが可能となったのであろう。
 だが帝国貴族数千家の大半が権勢の伸張と奢侈への耽溺に己の使命を見出す中、やはりゴールデンバウム王朝の威光の陰りは次第に深まらざるをえず、帝国内の混迷の度合いは増していった。
 特に第三六代皇帝フリードリヒ四世(在位:旧帝国歴四二四年〜四八七年没)の治世においては、自由惑星同盟との大規模な会戦が続いた上、帝冠の権勢の弱体化を示すよう辺境星域における騒乱も頻発していた。貴族内での争いの激化を含め、このような状況は体制崩壊の序曲を奏で、そして新たなる時代の萌芽を育むことになったのである』

ゲアハルト・フォン・シルヴァーベルヒ(新帝国歴53年)、『銀河帝国貴族の変遷』、pp.56-59



『人類の半分は女性であるし、生命の誕生には男性はもちろん女性の存在も不可欠となることは誰も疑う余地のない事実である。
 しかしながら、銀河帝国の表舞台において女性は常に男性の影に隠されてきた。特に貴族の淑女たちは政略の道具となり、後宮での皇帝の寵愛を競う戦へ駆り出され、家を繋ぐことによって史書に名を残すことのほうが、彼女たち自身の個性よりも重視されたのである。貴族女性の能力が同階級の男性よりも劣っていたのではない。彼女たちの在り方を、社会が規定していたのである。彼女たちにとって、優秀であるということ即ち、美しく着飾り、良い家柄の、もしくは望みうるならば皇帝の妻や愛人となり、生家へ繁栄をもたらす役割を果たすことであった。無論、見初められるために相応しい行儀作法や教養も求められたが、彼女たちに政治、経済、法律の知識が必須の能力として求められる機会は乏しかった。それは、ゴールデンバウム王朝体制がある程度までは安定的であったことを示す根拠となるだろう。
 というのも、ゴールデンバウム王朝が新たな血統の主たる若きラインハルト・フォン・ローエングラムによって打倒される前後の年代には、史書に太字で示されうる女性が貴族の内からも飛び出したからである。様々な観点からこのゴールデンバウム王朝末期からローエングラム王朝初期の時代を俯瞰すると、歴史の基点となりうる女性は幾人か存在する。だがここでは、特に異彩を放つ二人の名をまず挙げておこう。
 ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ。そして、・フォン・の両名である。…(後略)』

同上、p.82



『彼女が自ら望み、その道を選んだのか、もしくは時代の潮流がそうさせたのかは、今となってはわからない。彼女の評価は一口では下せないほど様々な要素が入り組んでいる。料理史に残る仕事をしたのも確かであるが、政治的、社会的な存在価値はそれを凌駕すると私は考えているし、だからこそ研究対象として追っているのだ。彼女は明らかに、あの時代にあって異色だった。立場としても面白い位置にいた。いずれにせよ、後世の我々に許されるのは、ただ彼女が歴史に刻んだ足跡を断片的な資料に頼って辿ることのみであり、既にこの世にいない彼女の後ろ姿を再構築していくことだけなのだ。』

ある歴史家の呟き(新帝国歴120年)





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