「ところで、
様はミュッケンベルガー上級大将から御孫のディートハルト様と会ってはどうかというお話を頂いたのでしょう? ヴィーゼ家のユリウス様と懇意になさっているという話もありますし、どちらの殿方に特に興味がおありなんですか?」
美味以外の感想が出ないケーキを征服完了し、スモーキーな味わいの紅茶(きっと最高級ギゼー産の茶葉である)を楽しんでいた
は、口に含んでいた紅茶を思わず噴き出しそうになった。
(こ、ここでもか!)
まさか幼いテレジアから、近頃の
にとっては考えたくないことナンバー1の話をされるとは想定外だった。
しかし女の子というものは、えてして恋愛話が好きなものだから、美味しい菓子に舌鼓を打った後の話題としては王道なのかもしれないとも、
は思う。
(そうだった、女友達だとこういう話題を振られるんだった…)
「家格や家勢からいえばユリウス様はとても魅力的な方ですが、
子爵家は武門の家柄ですもの、ゆくゆくは軍人になられる予定のディートハルト様もよいですわね」
「ま、待って下さい。どこでそんな話を…」
冷や汗を流しつつ、
は情報の発信源をたじろぎながら確認する。
ミュッケンベルガーとの会話を聞いていたのは、ほんの僅かな人数しかいないはずだった。
子爵家の面々でないとすれば、どこからこの縁談(とみなしても良いのだろうか…)が漏れたのだろうか。
「ユリウス様とは普通の友人としてお付き合いしてるだけです。それに私はまだディートハルト様という方と一度もお会いしたこともないですし、単なる口約束というか軽い立ち話をミュッケンベルガー提督と交わしたに過ぎないのですが…」
が慌てて主張すると、テレジアは人形のように可愛らく首を傾げて見せ、情報源のカードをあっさりと表にした。
「そうなんですの? わたくしはディートハルト様本人から昨夜そのお話をお伺いしましたわ。わたくしの姉がミュッケンベルガー伯爵家の縁者に嫁いでいることもあってディートハルト様とは昔からよく顔を合わせていたので、それなりの付き合いが今もあるのですけれど、ヴィジホンで『テレジア殿は、
・フォン・
嬢を知っているか』って訊ねていらっしゃいましたの。半年前にわたくしが
様とローバッハ伯領で会った話をしたのを覚えていたのでしょうね」
(ミュッケンベルガーのおじ様は結構本気だったのか…行動早すぎ)
それこそシミュレーションの話と同様に、昨日の今日である。一日も経過していない。
それだけ乗り気(というよりやる気?)満々なのかと、堂々たる威容を誇るミュッケンベルガーの力強い声音を思い出し、
は己の軽率な口約束を悔やんだ。 機会があれば是非、と
が社交辞令的に述べた通りに機会を作ってくれようとしたのだろう。
にとっては、余計な気遣いという他ないが、好意には違いないだろうから、ミュッケンベルガーを恨めしく思う事も出来なかった。
両親のカールとヨハンナの意向を訊いてということになるだろうが、ミュッケンベルガー伯爵家はそこそこ良い家柄である。その一門の男子で、軍人になる予定となれば、彼らは勿論、コンラッドも友人の縁とあって消極的になるはずがない。
(ユリウスは単なる噂だったからいいけど、そのディートハルトって子の方の見合いが近い内に実現しそうで恐ろしい…)
うちひしがれる
を見て、見知らぬ相手との縁談に気後れしているのだろうと思ったのか、テレジアはディートハルトという少年の美点を熱心に説いてくれた。
「本人同士がお会いになる前に他人がどうこう言うものではないとも思いますけれど、ディートハルト様は顔立ちも凛々しいし、ミュッケンベルガー家の血筋ですのね、15歳なのに背丈も大きくて格好いい方ですのよ。髪の色は秋に色づく落ち葉のようなキャラメル色で、瞳は灰色がかった暗緑の素敵な色をお持ちなんです。ちょっと不器用で融通がきかないところがおありですけれど、とても紳士的で男らしい方ですわ」
テレジアの言によれば、ディートハルトは口数少なく世辞を言わない無骨タイプらしい。だが社交下手という訳ではなく、貴族の一員としての礼節は身につけているが、生真面目で気の利いた洒落を解さない性質というのだ。
(もっと人間関係豊かにしたい気持ちはあるけど、結婚が関わるとなると簡単に頷いてられないしなあ)
まだ見ぬディートハルトの良さを力説してくれるテレジアの心遣いに、なんだか申し訳ない気分になった
である。
現状で十代の少年とお付き合いを考えられるほど、
もまだ過去の色々を捨てきれていないのだ。
「そんなにも素敵な方なら、テレジア様がお付き合いなさったら良いではありませんか。私などには勿体ない方のようです」
気の進まぬ
の切り返しに、テレジアは秘密の打ち明け話をするように囁いた。
「ディートハルト様は良い方ですけれど、好みではありませんの。わたくしは、もっと年上で穏やかな雰囲気の方が好きなのです…そう、
様の護衛の栗色の髪の方がとても素敵と思うのですけれど、ああいった佇まいの方が良いのです」
(ヘルツ大尉、侮りがたし。人気あるな)
子爵家の、特に侍女の間ではヘルツは注目の的であるという話をしていたのは、ゼルマであった。
穏やかな物腰に優しげな風貌、帝国騎士の家に生まれた貴族であること、そして22歳にして大尉という出世もしている上、子爵令嬢の護衛に抜擢されてカールにも気に入られている、というお買い得感満点の人物である。さもありなんと、話を聞いて
も頷いたのを憶えている。
ちなみにゼルマの、もう一方の護衛であるカイルに対する評価は辛いものである。使用人として弁えない気安い口調が、お嬢様大事の乳母には気にかかるようなのだ。雇われたばかりの新参者であることも関係しているだろう。そもそも裏方で働くことの多いカイルは子爵家の屋敷内にいることも、ヘルツに比べれば少なく、どことなく陰の男的な鋭い雰囲気も持つカイルは、ミステリアスな男として侍女内で語られることが多いらしいと、
はゼルマとは別の侍女から聞いていた。男性として魅力的だが、安定が求められる結婚には向かない男、とはよく聞いた話であるし、ヘルツはその反対に位置するために侍女たちの間での人気が高いのだろう。
とはいえテレジアには恋い焦がれる様子は見えなかったので、好みの男性の例えとしてヘルツの名を持ち出したことは、
にも感じ取れた。
いわゆる恋に恋するというのだろうか、自分の中に王子様像を持つお年頃なのだろうと、
は何だか懐かしさを覚える。
(あるよねー、恋に憧れ抱いちゃう時期)
一応は20歳を越えるまでの間に、初恋も多少の酸いも甘いも噛み締めた
にとっては、輝く瞳で恋を語るテレジアが眩しい気もした。
だけど、と
は心の中で夢想した。
・フォン・
はいまだ10歳の身の上であるから、この先いくつかロマンスがあってもおかしくはない。
噂となっているユリウスや縁談が設定されそうなディートハルト以外にも、それこそ実現可能性を度外視してラインハルト、キルヒアイス、ロイエンタールやミュラーなどなどの人物たちと恋に落ちる願望だって抱きうるのだろう。
(うーん、素敵な状況だけど、まさかねぇ)
あちらにいた際には、主観的にも客観的にも恋愛には省エネ体質だと評価されてきた
である。
物語の登場人物に対する人間的興味は十分に持ち合わせているが、必ずしもそれが恋愛的興味に変換されない質なのだった。
(さて、これもどうなることやら)
先ほど自分の未来について思ったのと同じ諦観を抱いた
だったが、歴史の道行きには当然まだまだ未知の出会いが転がっており、その中にはある程度の恋愛的葛藤をもたらす出来事も含まれていた。
だが未だ遠い時の彼方に埋もれた
のロマンスは、今のところ微塵も片鱗を見せてはおらず、さしあたりは色気より食い気を体現する生活を
はしていくことになるのだった。