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31.5



 風変りな子爵令嬢との短い対話を終えたロイエンタールに、声をかける者があった。
「変わった目の色だよな」
 これまで幾度となく言われた台詞と、背後に忍び寄る気配に気付かなかった己を嫌悪しつつ、ロイエンタールは気配を悟らせなかった相手の顔を確認するため声の主を振り返る。
 黒髪に琥珀色の鋭い目つきの男が、どこか不遜な表情で彼を見ていた。
 賓客の随行員だろう、顔つきからすると年は若そうで、階級章を確認すると軍曹とあった。
 この男の白兵戦技量は優れている、とロイエンタールは思う。体付きと足運び、そして相対して立つ姿勢に隙は見えず、気配を絶って他人の――俺の――背後に立つことができる人間だ。
「それが何か」
 ロイエンタールは好奇の視線を向けてくる男に、あからさまに不機嫌な表情ではなく、無感動な仮面を被った顔を向けた。
 怒りや憤りなど、エネルギーの浪費である。
 そのような価値を、ロイエンタールは下らぬやり取りに見出しはしない。
 その対応は彼の性格に起因する部分も大きかったが、ロイエンタールの人生において、色の違う瞳がもたらしたのは常に面倒や厄介事だったという事実が、彼を穏和さや笑顔から遠ざけていたのだった。
 人間が視覚的要素を重視する生物であることを、十二分に過ぎるほど悟らざるをえなかった彼は、いつしか怒りを侮蔑へ変換する術を学び、心を凪がせる道を選んだ。
(この瞳が邪魔だ)
 金銀妖瞳という左右の目の色が異なる特徴的な外見は、しばしば彼の望まぬ注目を集めた。
 美しいと評する女もいるが、ロイエンタールにとって珍しい瞳の色は、嫌悪すべきものであって喜ぶべきものではない。同様に、ロイエンタールの持つ端麗な容貌も他人を惹きつける作用をもたらしたが、そのことによって彼が抱いた感慨は、瞳に対するそれと差異なかった。
 男はロイエンタールの冷淡な反応に気圧されず、歯牙にもかけない様子で黒と青を覗き込んでくる。
「珍しいものに目が向くのは普通さ。さぞや女に困らないとみえるが、どうだ? 帝国騎士の家で頭も顔も良い、珍しい瞳の色付き。士官学校を出た後はどうする心積もりか訊いても?」
 苛立ちが、ロイエンタールの胸に常ならぬ細波を生じさせた。口の中で幾つかの罵倒を噛締める。
 しかし沸き上がった感情を彼は表出させず、答える義務はないと会話を打ち切ろうとしたところ、新たな人物が彼らに接近していた。
「やあ、ロイエンタール」
 名を呼ばれ振り向いた先、栗色の髪を持つ男の顔が、ロイエンタールの記憶の扉を小さく叩いた。
「覚えているかい、ヘルツ、マティアス・フォン・ヘルツだ。君の二級上だった」
 名乗りを受け、与えられた情報に埋もれていた記憶が浮上する。
「久し振りです、ヘルツ大尉」
 軍服を彩る銀の装飾から相手の階級をみてとったロイエンタールは、士官学校卒業から2年にして大尉に進んだ上級生に、一応の礼儀として敬礼を施した。
 ヘルツとは、士官学校に入学してから出会った。
 既に3年前のことになるだろうか、ロイエンタールがまだ一年次生だった頃、しばしば図書館で顔を合わせ、幾度か会話を交わしたこともある上級生だ。
 その程度ならば彼の名はとっくの昔に忘却の淵に投げ捨てられるところだが、目の前で柔和な笑顔を向けてくる男は当時の戦術研究科で艦隊運用にかけては右に出る者はないと言われていて、ロイエンタールもそのシミュレーションを手本にしたことがあるという点で、その名は記憶に居場所を残していた。
「順調な昇進のご様子で、何よりです。今はミュッケンベルガー上級大将閣下の元に?」
 成績も上位に入っていた男だから出世コースを着々と歩んでいるだろうと、次期宇宙艦隊司令長官候補の名を出したのだが、その予想は否定によって報われた。
「いや、 子爵家に今は仕えている。戦艦で戦術士官を務める傍ら、君が先ほどシミュレーションで戦った 様の護衛もしていて、だからこうしてここを訪問しているんだ」
 ロイエンタールは正直なところ、ヘルツの能力が浪費されているのではないかと思い、同時にその立場に甘んじるヘルツに軽い失望を覚えた。
 辺境貴族の私兵団は確かに宇宙海賊との戦闘も行うだろうが、その危険度は叛乱軍との一線の比ではない。死に怖気づいて前線を回避した口かと、ロイエンタールの中に明らかな侮蔑が芽生える。
(軍人が子守をして暮らすのか。ご大層な大尉様だ。確かに優秀に違いない)
 給金も良く、戦死の可能性も低く、そして領主に気に入られれば昇進も早い。安定した人生を送ろうと考えるものにとって私兵団に納まることは、垂涎の的であろうし、その立場を射止めることができたヘルツはある程度の実力と運を兼ね備えていることだろう。
 しかしロイエンタールにとって、辺境貴族の私兵団にあって安穏と暮らす人生など何の価値もないように思えたのだった。
 そもそも彼は、生きる意味さえ見出してはいなかったし、目的のない無為な人生が安定しているからといって何ら満足を得ることもできない性質だった。
 コーエン校長に促されシミュレータ・ルームを退出しつつある賓客たちに、ヘルツが目を向けた。
 動こうとする素振りを見せたヘルツを、最初に話しかけてきた黒髪の男が片手を上げて留める。
「俺が行く。後から来いよ。じゃあな、金銀妖瞳の色男。気が向いたら 子爵家に仕官しろよ。可愛がってやるぜ」
(誰が辺境になど)
 足音も立てず去る男の残した台詞に鼻白んだ空気を察したのか、ヘルツは苦笑して言葉を足した。
「早く実戦に出たいと言っていた君には考えられないことだろうね、辺境の私兵団にわざわざ自ら仕官するなんて」
「ええ、そうですね」
 心偽らぬ答がヘルツの身分を否定することを知りつつ、ロイエンタールは頷いた。謙虚に振舞うといった労力も、彼は惜しむ傾向にあった。
 ヘルツは特に気分を害した様子を見せず、さもあらんと得心する。
「君らしい。先ほどのシミュレーションも見ていたが、いずれ君が艦隊を指揮するようになれば、叛乱軍との戦いももう少し効率よく勝てるように自分には思われるよ」
 准将で五百隻程度、少将で三千隻の分艦隊、そして中将として一個艦隊で采配を振るうようになれるのは何時になるだろうかとロイエンタールは夢想した。
 士官学校で艦隊運用や指揮を学んだ士官とて、卒業後すぐに与えられる任務はたかが知れている。優秀な成績を修めたとしても昇進速度が少々優遇される程度で、宇宙艦隊に配属されるとも限らない。憲兵隊や陸戦隊、軍務省での内勤といった地上勤務に拘束されることもあろうし、望めばヘルツのように子守軍人で暮らす可能性もあるだろう。
(早く)
 いますぐに艦隊指揮をすることは望まぬ。けれども、すぐにでも戦いの最中に身を置きたいと渇望する獣が、ロイエンタールの中にはいつからか棲みついている。士官学校で学ぶ四年間すら、迂遠に感じるほどに飢えた獣だ。
「ご想像に添えるよう、早い出世を心がけましょう」
 前線で武勲を得て、とは心の内で呟いたことである。
 護衛として任務中であったヘルツとは、そこから二言、三言交わして別れた。
 口に出さぬ皮肉が不可視の作用で伝わったのかはわからぬが、ヘルツは去り際にロイエンタールにこう言い残して行った。
「君がどう思っているかわからないけれど、 様のような令嬢に仕えるのも悪くないと自分は思っている。自身で何事かをなそうとする覇気は自分にはないが、何かしらの可能性を持つ相手に尽くして助力を差し上げるという生き方もある。それも人生の幸福の内だ。余計なお世話だろうけれど、ロイエンタール、君はもう少しその類のものを見つけた方がいい。何か幸福と思えるようなことを」
 笑顔の中に鋭さを隠しもったヘルツの言葉は、何に触発され表面化したのだろうか。
 まさか心配か、それとも危惧か。
(幸福?)
 光に縁取られたその言葉は、己の中には存在しない。
 あらゆる欲望を満たしたとしても、見つけられそうにないものだ。幼い時分に、心を作り損ねた自分には。
 そうして自嘲したロイエンタールはこの時、十九歳。
 後に彼と並んで帝国の双璧と称されることになるウォルフガング・ミッターマイヤーと出会うまで、あと三年の歳月が必要だった。




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