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23.5




  ・フォン・ 嬢の護衛としてブラウンシュヴァイク公爵家へと共に赴いたマティアス・フォン・ヘルツ大尉は、子爵家の令嬢が公爵家夫人たちと共に茶に興じる間、その隣の一室で久しい人物と顔を合わせていた。
「やあ、久しぶりだな。卿がフロイライン・ の御供だったか」
「フェルナー…大尉、お久しぶりです。昇進なさったのですね、おめでとうございます」
「それは卿も同じではないか、ヘルツ大尉」
 互いに階級章を見て取り敬礼を施したヘルツとフェルナーは、笑みを交わして部屋の中央に置かれたソファへ腰を落ち着けた。
 二人の大尉はこれが二度目の対面ではあったが、誘拐事件の際には互いの能力と性質を確認したこともあって、さほど隔たる気持ちなく話に興じることができた。
 久しぶりに会うとなれば、話の主題は近況についてとなることが多いもので、この時の二人も自らの身辺に起った出来事を伝えあうことを会話の糸口とした。
「あの事件の後、 子爵閣下のお声がかりで 様の護衛の任を拝命しました」
「俺も似たようなものだ。公爵閣下の覚えがめでたくなることは喜ばしいものだが、以前に比べて外出することが減ってな。何しろエリザベート様はいまだ7歳で、普段は邸内で過ごされることが多い。雨の日や気温の厳しい時分に立ち番をせずに済むのは嬉しいが、こうも屋内ばかりにいると、身体がなまる気がするものだ。卿はどうだ? フロイライン・ もやはりあまり外出はしないのではないか?」
 ヘルツはどのように返答したものかと、心の内で思案した。
 素直に答えるなら、子爵家の令嬢は毎週のように前子爵閣下と共に統治府や領内の視察においでです、と言えばよいのだが、それは貴族的常識からはまったくもってかけ離れた令嬢の暮らしぶりなのだ。ヘルツ自身は の日常を恥じるようなものではないと信じているが、貴族の中には女だてらにと眉を顰める者もいよう。
 フェルナーとは同年代で階級も同じ、さらに性質も好もしく思っていることからできれば楽しく言葉を交わしたいのだが、仕える主家が違う者同士、多少の自制や緊張感は孕んでおり、気安い友人同士のようにというわけには勿論いかないのだった。
「そうですね、時折、外出される以外は屋敷で過ごされることが多いです」
 現在のところ 子爵家は貴族の権勢争いの戦場から遠く離れた安全地帯に位置しているが、いつ何時、その舞台に上がることになるのか知れなかった。
 そのためヘルツは、 に関しては当たり障りのない回答を返し、別の話題へとさりげなく移す。
「ただ、小官は護衛としての任務の他に戦艦での艦上任務もありますし、いつも屋内にいるという訳でもないので、フェルナー大尉のように感じることは少ないかもしれません」
「そうだったな、 子爵家はわりあい大きな私兵艦隊を持っているのだった。卿はたしか戦術研究科の出身か」
「はい。ですから本来の職務は戦艦で戦術士官ですね。近頃は 様の御側に侍ることも多いですが、やはり宇宙海賊の類が出れば艦上勤務が優先されます」
「宇宙か。屋敷や宮廷よりはよほど広い戦場だな。羨ましいことだ」
 そう言いつつも、さほど羨ましいといった風情もないフェルナーは、茶請けのマドレーヌをつまんで口の中に放り込んだ。ヘルツも倣って食べてみると、さすがブラウンシュヴァイク家というべき、しっとりと上品な甘さの菓子である。
 子爵家とは異なる味の菓子を堪能した後、ヘルツはフェルナーへと問いかける。
「艦上勤務はなさらないので?」
 現在のところ、主な戦争の舞台は宇宙空間である。人間が惑星で暮らす以上、地上戦の出番もなくはなかったが、自由惑星同盟と自称する叛乱軍との戦闘の多くはやはり艦隊戦であったし、真空における壮大な命のやり取りに一種の憧れを抱く者も多かった。士官学校でも艦隊運用について学ぶ機会も多い。
 とはいえ陸戦部隊指揮や要人警護など対人戦闘の需要も少ないわけではなく、フェルナーは主にそちら方面の知識に造詣が深いようだった。
 自分が異端なのだと、ヘルツは思った。戦術士官が護衛をやっているなど、あまり聞く話ではない。
 ヘルツの言葉に、フェルナーは右の掌をひと仰ぎしてNeinと示した。
「俺は駄目だ、無機物には興味がない。やはり人間相手でなくてはな。確かに今のところ、エリザベート様の護衛は少し身に余る仕事ではあるが、もうしばらくすれば楽しめそうではあるしな」
 フェルナーの言う後のお楽しみが、ブラウンシュヴァイク家が次代皇帝摂政の座を得んとすることを指しているのだろうと、子爵家の護衛はやや緊張を覚える。
 彼の会話には、どきりとさせられることが多い。
 決して直截な言い方はしないが、含む意味が散りばめられているのだ。そしてそれは意識的に餌を撒いているのであって、相手の反応を観察しているだろうことも、ヘルツにはわかっている。
(食えない相手だ)
 ヘルツは改めて、フェルナーに対する警戒心を外面からは見えぬよう強めた。
「その類のお話は、私はあまり得意ではないのです。大きな事にならなければ良いのですが」
 さらりと話題を流そうとする栗色の髪の青年士官に、フェルナーは手応えを感じた。
 会話の機微を楽しめる相手は、さほど多くないのである。
「戦術士官は人の裏を掻くことも仕事の内だろう。艦隊を動かすのも、人ではないか?」
「艦隊運用には決まり事が多くありますから、取りうる行動の幅はかなり限定されます。確かに指揮官の人となりを知っている方が、有意義な戦術案を出すことができますが」
 にこやかに謙遜する子爵家の大尉が、外見ほど優しい性質ではないだろうと、フェルナーは予想している。
 むしろ自分に近しい類の人間ではないかと、こうして会話を交わしつつ彼は思うのだった。
 銃の腕前や足運び、身のこなしや目配りで大体の気性を推測可能な程度には、フェルナーも情報を分析することに関して自負する部分がある。
(一度、士官学校の成績でも調べてみるか)
 プログラムに沿った演習で好成績を収めたからといって、人間的に優秀であるとは限らないのだが、目の前のヘルツに関しては双方ともに優秀であると認めてもよいだろう。
「まあ卿の素質はさておき、 子爵家はオーディンから少々遠いからな。おそらく巻き込まれることはないだろうが…いや、しかしフロイライン・ がいるからな。エリザベート様には随分と気に入られているご様子であるし、あながち対岸の火事としておくことも、難しいかもしれんな」
 フェルナーの言に、ヘルツはやや眉根を寄せて考え込んだが、言葉にしたのはごく僅かな否定の言葉だった。
「考えすぎですよ、フェルナー大尉」
「そうだろうか?」
 手元のカップを持ち上げることでヘルツは会話の続きをやんわりと拒んだように、フェルナーには見えた。
 フェルナーの意味深長な発言を打ち消そうとしたヘルツだが、本心からそう信じているわけではあるまい。
 ブラウンシュヴァイク家とリッテンハイム家の争いは、必然だろうとフェルナーは確信している。
 現在のところ、皇帝フリードリヒ4世の後継として皇太子ルードヴィヒが存命ではあるが、病弱で余命幾ばくもないと噂されている。そして噂は近い内に真実となるだろう。
 フェルナーの確信の根拠は、その手の話が彼の周囲、つまりブラウンシュヴァイク家の情報工作を請け負う者たちの間でいつも話題に上る状況にある。どのように、ルードヴィヒ皇太子に早逝してもらうか、という話だ。おそらくはリッテンハイム家でも同様だろう。
 近々ルードヴィヒ皇太子は現世から退場し、皇帝の世継ぎ争いは本格化する。
 ブラウンシュヴァイク家とリッテンハイム家、双方の門閥貴族が皇帝の後継者を立てるに十分な後ろ盾としての権力を持っている。そして同等の権力を持つものが並べば、起きるのは争いしかない。
(新たな皇帝を擁立する勢力が現れぬ限りはな…)
 彼らの支持基盤は貴族たちであるから、それこそ銀河帝国を二分する貴族たちの争いになるのではないかと、フェルナーは歴史の歩む道筋を思い描いている。
 辺境貴族はオーディンを縄張りとする者たちよりは争いの周縁に位置するだろうが、嵐の中心と懇意になってしまえば旗色を鮮明にすることが求められる。
(今のところは 家はブラウンシュヴァイク家寄りと見なされるだろうからな。…そういえば、あの娘はヴィーゼ家にも繋がりがあるのだったか)
 フェルナーは口さがない貴族の間で流布する噂話を思い出した。
 曰く、ヴィーゼ家の嫡男は 子爵家の娘を大層気に入っているという話だ。
 ヴィーゼ家はブラウンシュヴァイク、リッテンハイムに次ぐ貴族の一角を占める門家である。これまではその経済力を基盤として勢力を伸ばしてきたが、門閥貴族同士の相争いはヴィーゼ家にとって有利に働くだろうことが、目下の懸念材料だった。争いには金と人を使う。ブラウンシュヴァイク家とリッテンハイム家がつぶしあっている間に、ヴィーゼ家は商売に専念して大いに影響力を拡大させることも可能なのだった。
 フェルナーとしては、ヴィーゼ家に関する情報の水源を確保しておくに越したことはない。
 そして目の前にいる男は、噂の渦中の娘の護衛である。しかし手強いに違いない。
(ひとつ、探ってみるか)
 しばらく他愛もない噂話を幾つか挟んだあと、フェルナーはその流れに乗るよう最大の関心事を口の端に上らせた。
「そういえば、フロイライン・ はヴィーゼ家の嫡男と近頃その仲を噂されているようだが、実際はどうなのだ? 互いに家を行き来する仲というではないか」
 ヘルツは穏やかに微笑んだだけだった。
「一介の護衛には、わかりかねることですよ」
 その護衛であるからこそ、令嬢と行動を共にしないはずがない。
 何かしら情報を握っているに違いないのである。
「フロイライン・ は、他に好いた相手でもいるのか? いや、それともヴィーゼ家の方が惚れているのか」
様は魅力的な方ですから」
 何も答えないことと同じで、けれども会話は成立している。
 その穏やかさゆえに、更に踏み込んで問いを重ねることは、不自然に過ぎた。
(食えない男だ)
 一通りの会話で、結局フェルナーもヘルツと同様の境地に互いに達したのだった。
 ヴィーゼ家の件は他をあたろう、そう考え、フェルナーはしみじみと、こればかりは心の底から思って発言した。
「卿とは美味い酒が飲めそうだ。惜しむらくは、卿がオーディンにいつもいるわけではない、ということだな」
 化かし合いは仕事の内として、人柄は好もしいのである。ゆえに酒を酌み交わしながらの会話は、楽しめるに違いなかったし、フェルナーが言うのは単に会話を望んでいることばかりではない。辺境にいるのが勿体ない、という意味も含まれていた。
「フェルナー大尉と酒を共にする機会が簡単に得られぬことは残念ですが、私にはオーディンは些か煌びやか過ぎますから」
「そうか」
 けれども、帝都へ来いとはフェルナーも言わなかった。
 門閥貴族に仕えてオーディンにいることと、風変わりな子爵令嬢と共に辺境にいることと、どちらが楽しいだろうかと、計りかねている自分を確かに存在しているからである。
(ふむ)
 いっそ、自分が 子爵家へ身売りしてしまおうかと夢想したが、現状の条件から言えばブラウンシュヴァイク公爵家にいたほうが栄達は見込めるのだ。乱でも起こって銀河帝国の勢力図が変わらぬ限りは、由緒正しき公爵家がもっとも権力に近い。むしろ、権力そのものなのだった。
 小さな子爵令嬢にも心惹かれるものはあるが、何事かを為す拠りどころとするにはまだ頼りない萌芽である。
「お嬢様方が移動なさいます。護衛の方々もどうぞおいでくださいませ」
 侍女に呼ばれ、ヘルツとフェルナーはコーヒーを半分残したまま席を立った。
 廊下へ出れば、仲良く手を繋ぎ歩く とエリザベートの後ろ姿が見える。黒髪の少女は、相変わらず我が儘なエリザベートの相手をうまく務めているようだ。
 朗らかな歌声と共に手遊びに興じ、エリザベートを寝かしつけた後にはアマーリエに商売の口利きを頼んだと、子爵家の二人がブラウンシュヴァイク家を辞去した後に、フェルナーは聞いた。
 子供とは思えぬ手際の良さに、少女の将来に興味を覚えずにはいられない。
(いつか表舞台に現れることがあるなら…)
 その時には 子爵家へ仕えることも考慮しよう、そうフェルナーは心の中でひっそりと呟く。
 けれどもいまだ10歳にしかならぬ少女に、自分は随分と過大な期待を抱いているものだと、フェルナーは自分自身がおかしく思えた。
 観察眼には自信があるものの、こと子爵令嬢に関しては未知数の部分が大きすぎる気がする。
 これまでに類似する人物をみたことがないのである。
(10年、そう10年後だ)
 子供が大人として認められる歳に、自分の見込みの正誤は明らかになる。
 それまではブラウンシュヴァイク家で、なすべき事をし、地歩を固めて行こうではないか。
 そう考えたこの日から10年後、そしてフェルナーは決断する。



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