子爵TOP





 燃え盛り崩れ落ちる古巣があったビルを、彼は立体TVの画面越しに見ていた。
 リポーターが突然の爆発の惨事を、焔と煙の立ちこめる現場から情感交えて伝えている。多数の死者が出た、そう緊迫した表情で述べていた。
 だが犠牲者の数を確認した彼は同情などするはずもなく、すぐさまニュースから意識を離し、琥珀色の瞳を逸らした。
 死者は30人。組織のほぼ全ての成員数だ。
 何度か顔を合わせた彼と同じ雇われ者は、年に数度会うたび話しかけてきて相応な会話を交わしたものだが、その彼も恐らくあの場で火に巻かれてしまっただろう。
 考えてみると数年はあそこにいたのだろうか。しかし馴染むことも、馴れ合う相手もなく、ただ仕事の内容を受け取るだけの場だった。
 一度で壊滅させることができて、運が良かった。その認識の他に、彼は特に感慨を抱かなかった。
 捨てようとした猫に喉元に食いつかれると彼らが考えなかったのだとしたら、自分も随分と低く見られたものだった。けれども、つまりはその程度の関係しか築けなかったのだし、互いに厄介払いができて良かったことだろう。あの場に居たのは、いずれも善人とは口が裂けても言えない陰者だらけであったから、次に会うとすれば死者の国に違いない。天上へ昇れるはずもない者たちには、似合いの再会の場だろう。
(あいつらの顔を覚えてないから、再会もへったくれもないか)
 彼を捨てた組織を自身の手で潰した後、ふらりと立ち寄ったカフェでパンにチーズとハムを挟んだ簡素な朝飯を平らげながら、彼はこの先どうするかと考えた。
 ローバッハ伯領からオーディンへ戻り、そして彼らの仕打ちに対する礼を捧げるまでの間は段取りを考えるだけで終わらせ、事を済ませた後のことは放置していたのだった。仕事の伝手を失ったので、次の食い扶持を稼ぐ場を探さねばならなかった。
 金がなければ生きてはいけない。そして、何も成さず時を過ごしてはいられないというのは、彼にとって全くの真実であった。随分と昔に平和な日常という仮初めの安寧を失った彼には、『真っ当な暮らし』など反吐が出るものだったし、そんな陽射しの中で生きられる精神をしているとは、もはや彼自身も思っていなかった。
 感慨なく仕事だからとこの手をもって人を殺める人間が、いまさら羊の面して生きていけるというのか?
 答えはNeinだ。
 狩る側に回った獣は、羊の群れに馴染む権利を永久に失ったのだ。逃げ惑う哀れな生き物を追い詰め、その中身を暴く術を得たことを代償にして。
 とはいえ、彼はそのことについて悲嘆することも、後悔することもない。
 今更そんなことを考えて、何になろう?
 だから彼は、付け合わせに盛られたサラダのピクルスを避けながら、今後もっとも現実的に取りうる選択肢を思い浮かべた。
 昨日までと同じよう、どこかの組織に入るか。
 それは確かに妥当性は高かったが、満足を得られるものではなかった。
(下らない)
 だがそれでは、組織がすげ変わっただけで、毎日に変化は訪れない。相変わらず情報集めに駆けずり回り、ある時は殺し、ある時は脅し、そんな日々が続くだけ。自ら望んだ訳でもない指示に従うだけの、そして金という泡のような報酬が行き交うだけの空しい仕事。
 そう考えると、何もかもが嫌になった。生きてることすら、面倒になる。
 一体いつまで同じようなことをしていればいいのだろう。
 頭のない人間ならばよかった。機械のように仕事をするだけの人間なら。ただ誰かに媚びへつらうだけの、能なしの獣のような人間なら。
 ここ数年間、望んでやりたいと思ったことはあっただろうか。
 目先のことをクリアするばかりで、仕事がうまくいけばそれでいいと、やりたいことなど考えてこなかった。
(だが今さら、他の生き方などわからない)
 彼の手にある生きる術は、やはり情報を集めること、秘密を暴くこと、殺すこと、脅すことしか残されていないのだった。
 せめて自分が面白いと思う事柄に、自分自身の力を用いる方がマシだろうか。
(面白いこと)
 食後にコーヒーでも紅茶でもなく、甘い琥珀色のアプフェルザフトで喉を潤しつつ、彼は脳裏に過去数年間に好奇心を突き動かされた出来事を並べた。その大多数は時間の経過や状況の変化で既に当時の魅力を失っているか、もしくは彼自身によって秘密が放つ輝きを剥がされていた。
 故に、そのとき彼に残された心惹かれる要素を兼ね備えた対象は、つい先日見つけたばかりの風変わりな少女のみだった。
 誘拐されて泣きもせず、冷静に状況を分析していた子爵家の令嬢。「虫」から聞こえた事件の黒幕に関する推理と啖呵は、久しぶりに彼が面白いと思ったものだった。
 黒髪の少女を浚った時にはその名も身分も知らなかったが、漏れ聞こえたその後のやりとりや、オーディンへ戻る道すがらの暇つぶしに調べた少女に関する情報は、既に彼の手の内にある。
 少女の名を、 ・フォン・ という。辺境の 子爵家の一人娘だ。
 裏の仕事を専門に請け負う組織のほかに、仕事をくれる依頼主として、貴族は常に御得意様だった。
 子爵家ともなれば裏の人間の一人や二人、雇いもするだろうと、彼は思案する。
 彼には、当面すべきこと、したいことがなかった。だから彼は、消去法によって残った選択肢で時間を潰すことにした。
 つまり、 ・フォン・ に関して情報を収集し、それが彼の好奇心を満たす存在と見なしうるならば、彼は自分の時間と能力を当面は少女の観察に費やしても良いと思い立ったのだった。
 とりあえずは少女の周辺や子爵家に関する詳細な情報を拾うとしよう。自らの窮地を救い、敵がいればより優位に立つ機会を与えるのは、情報に他ならないと彼は知っていた。だから仕事前には綿密な情報収集を実施することが、彼の流儀だった。
(仕事じゃないか。ま、なんにせよ、面白ければいい)
 無為や空虚を味あわせないで欲しい。楽しませて欲しい。それだけで、彼は当分のあいだ生きていける。
 腹を満たした代金をテーブルに残し、立ち上がる。
 そうして彼は、目隠しで的にナイフを当てるくらいの手軽さで、当面の方針を決定したのだった。
 カフェから出ると、嫌になるほど晴れ上がった朝の空から降り注ぐ陽光が、彼の琥珀色の瞳を灼いた。
 光を避けるようサングラスを取り出し、視界を薄闇に閉ざす。
 一度、住処へ戻って一眠りして荷物をまとめたら、暇潰しの本でも買い込んで宇宙港へ向かおう。
 目当ての子供のいる子爵領まで4日ほどかかるだろう。
 広大な銀河帝国の星図を頭に浮かべながら、彼は一日の始まりを迎えて動き始めた帝都オーディンの小道を、ゆっくりと歩き出した。


気まぐれの朝




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