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 帝国歴477年5月某日、戦艦アウィス艦上にて 子爵家令嬢と出会ったことについての詳細な手記が、後世に伝えられている。
 筆者は長く令嬢の傍にあった、マティアス・フォン・ヘルツという名の人物である。
 この部分では、初対面の日に令嬢と昼食を共にした際の状況が語られている。


 艦内をあちこち見て回った数時間、お腹の虫が騒ぎだしたらしき令嬢は、案内役のマティアス・フォン・ヘルツへと、やんわりと、けれど断ることができない『お願い』を伝えたのだった。
 聞いたヘルツは最初、子爵夫妻のいる部屋へと戻ってそちらで過ごしたらどうかと提案したが、きっぱりとはねつけた黒髪の少女は、今度はやや強めにヘルツへと懇願した。
「私は食堂で、みんなが普段食べているものを食べたいんです」
 結局、単なる一中尉にすぎないヘルツにはそれ以上の反論の余地はなく、子爵令嬢を多くの兵士が集う艦内の食堂へと導いた。
 ちょうどお昼時の時間帯、艦内において唯一食事を提供する場は、当直についていない兵士たちで随分と騒がしく活気溢れている。
「…本当によろしいので? お口に合うとは思えませんが…」
 場に不似合いな者が紛れ込んでいるとあって、周囲の者は興味津津に少女を見つめている。大の大人でも怯みそうな視線の集中豪雨の中でも、令嬢は気にも留めず観光客さながら辺りを見回して歩いていた。
 食べられないほど不味くはないが大して美味しいものでもないのが、艦上食というものである。
 ゲストや高級士官用の料理は別であるが、一般兵向けの料理は概して質より量、そして効率的なエネルギー配分を目指している。今は戦闘中ではないためそれでも火の通った普通の料理だが、戦闘が始まれば味もへったくれもないレーションが配給される。一応は幾つかの味のヴァリエーションは存在するが、その差は単なるフレーバーの違いによって分けられただけの、人工蛋白栄養食だった。
「だって、みんな食べてるものでしょう? 食べられない訳がないですよ」
 好奇心に目を輝かせる少女をみて翻意の試みを諦めたヘルツは、それでは料理を取りに行くから座っていてくれと令嬢へ奥まった一席を指示したが、これにも令嬢は頷いてはくれなかった。
「ここまで来たのですから、どうやって料理を受け取るのかも見学してみたいです」
「…了解しました」
 なるようになれ、と更に色々なことを諦めたヘルツだった。少女が食べたいのだと言うのだ。心行くまで食べればいい。
 短い時間ではあるが同行して、少女が簡単に貴族特有の傲慢な勘気を爆発させることはなさそうだと確信を抱いているヘルツだったが、そうするとどのように接すればいいのかよくわからなかった。
「量は少なめでお願いしますね、さすがに大の大人と同じ量は食べられませんから」
 飽食し残飯など気に掛けない生活もできる令嬢とは思えぬ気の遣いぶりだ。
 背の低い令嬢に変わり、ヘルツは豪勢とはいえないランチが載った二つのトレーを両手に受け取った。片方は令嬢用に量は控え目に注文しておいたものである。
 比較的、人員密集度の低い一角でヘルツは少女と向かい合って座り、どうか不味いと少女が食事を放り出さぬようにと祈りながら食べ始めた。
 本日のランチの献立は、ライ麦パン二きれにクロワッサン、味が違うヴルストが三本に山盛りのザワークラウト、トマトとチーズのサラダ、そしてクラムチャウダーといったところだ。
 高貴な生まれの少女は、ヘルツの分よりも随分と少なく盛られたプレートの品々を、神妙な顔をして食べていた。不味いと喚いたりしないかわり、美味しいとも言わない辺り、つまりは彼女の味覚は兵士達の通念を踏襲しているのかもしれない。
 軍人の常として早食いが身に染みてしまったヘルツと違って、少女は小さな口に何度もフォークやスプーンを往復させている。鳥が餌を啄んでいるようで、少し愛らしいと思えたヘルツだった。
 食後に供した色だけが濃い(そして味はすかすかして旨味がない)コーヒーを啜りながら、ランチを完食した令嬢はのたまった。
「改善の余地あり」
 まだ黒髪の少女と知り合って数時間しか経っていなかった当時のヘルツには、その言葉の意味を正確に把握することができなかった。
 しかし後に帝国軍宇宙艦隊に採用された艦上食や糧食の製造元が 子爵領内の工場にあること、および 子爵家私兵団艦隊において、食事が何よりの楽しみと階級を問わず兵士や士官が口にするようになったことを、ここに記しておこう。
 少女は食事に関しては手を抜かない性質なのだった。
『食べるのは幸せ。一日三回も食事があれば、三回は必ず幸せになれるってことです』
 そして、幸せとは何かを知っている人でもあった。

マティアス・フォン・ヘルツによる手記




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