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 現在、銀河帝国のとある子爵家では考え方の差によって二つの派閥ができていた。
 別にそれで武力闘争になるとか、クーデターがおきるとか、仰々しいものではない。
 考え方の相違のテーマとは、このようなものである。
 お嬢様の教育内容や、これ如何?である。

  証言その一。とあるメイド。
「お嬢様のお勉強のことですか? ええ、私たちはとっても心配しておりますとも。コンラッド様も何を考えていらっしゃるのか。お嬢様を男の子と間違えてらっしゃるとしか思えませんわ。たしかにこの家は代々軍人の家系でございますけど、ご覧のとおり今はお嬢様しかいらっしゃらないのですから、どなたか優秀な軍人にお婿に入ってもらえれば良いのですよ。唯一救いなのは、お嬢様が楽しそうにしてらっしゃることですけど…ええ、いつも寝る前は勉強部屋の三次元ホログラムでなんだかよくわからない映像を御覧になっておられますわ。あら、私が一番御側にいる時間が長いのですから、よく存じ上げています。毎晩、です。何時頃に眠るのかって? そうですね、近頃はずいぶん夜更けまで起きていらっしゃることもありますけど…あ、ごめんなさい、お嬢様がご所望のおやつが出来上がるころだから取りに行かなくては、それでは御機嫌よう」
 使用人の制服姿の彼女は、歳の頃に似合わず軽やかな足取りで去っていった。
 確かに良い香りがここまで漂ってきている。機会があれば一度自分も食してみたいものだ、お嬢様お気に入りのおやつというものを。
 何を隠そう、私は大のお菓子好きなのである。あまり大きな声では言えないのだが、美しい見栄えをしたケーキを見ると、喜びが胸から溢れんばかりになる程である。
 

 証言その二。とある子爵家の重鎮。
「ああ、あの子は十歳とは思えない優秀な子供だな、全く、私が言うのも何だがカールの血を受け継いでいるとは全く思えない。いや、しかし私の血を受け継いでいるのだから、隔世遺伝というものかもしれんな。授業の間はどのように振舞っているか、とね。そうだな、何事につけて飲み込みは早いと思うがな。いつ習ったのだかわからないが、難しい数式も理解できていたことには驚いたが。なに、私があの子にあまりに自分勝手に好きなことを教えている、だって? それには反論すべきだろうな。私はあの子の頼みを受けて、新たな家庭教師を雇ったのだ。全てあの子が望んだことなのだ。その辺を、皆もよくわかってほしいと思うがね。まあ私も毎日の生活に張りが出るということは間違いない。カールは全くもって軍人の素養がない。あれはあれで良いのだが、しかしやはり私としては…ああ、君が私の息子ならばよかったのかもしれんな、ははは」 
 いつになくご機嫌な前当主は、私の肩を叩いた。ここ数週間、彼の顔が笑顔以外の形になっているのを見かけたことがない。とにかく孫娘が念願を叶えてくれるかもしれないと思っているのかもしれない。
 何しろパランティアの英雄と呼ばれた有能な提督閣下であらせられたのだから、軍学を教える授業にも熱が入るのも無理はないだろう。
 かのご老人は、子爵家内でも一方の派閥の急先鋒である。
 そしてもう一方の派閥の頭角である女性というのが…。

 
 証言その三。さる高貴な婦人。
「わたくしは…わたくしは、寂しいのかもしれませんわ、ええ、あの子が急に大人びてしまって、近頃はちっともお母様!って笑顔で抱きついてきたり致しませんの。お義父様の仰ることはもっともなことが多いのはわかっております。あの子が望んだことですもの。母としては、全て叶えてあげたいとおもうのが普通でしょう? けれど、同時に不安にもなるのです。やはりわたくしどもの幸せというのは、立派な殿方と一緒になることだと思うのです。確かに私は刺繍もダンスもどちらかというと苦手でしたけれど、それでもカール様と一緒になることができて、本当に幸せなのです。だからあの子も普通の娘らしい趣味がなくても、いつか良い殿方をみつけられると思ってはいるのですけれど…そう、先日のパーティでヴィーゼ家の嫡男と親しくなったように、あの子の内から輝く魅力には、淑女のたしなみなどなくても人を惹きつけるものがあるのかもしれません。とはいえ、わたくしはダンスや音楽の素養はあったほうが後々あの子のためになると、心から思っているのですよ。社交場で辛い思いをしないようにも…」
 まだまだ続きそうな会話を、私は用がある振りをして切り上げた。かくも母の愛とは深いものだと感じさせられるものがあった。そして意外に周囲が言うほど、令嬢の近頃の教育内容について反対はしていないようである。
 ところでヴィーゼ家の嫡男とは、お嬢様も意外なところに面識を作ったものである。

 
 証言その四。子爵家の料理長。
「お嬢様の教育? 俺にはあまり関心がない事柄だが…ああ、しかしお嬢様が出される新しい料理のアイディアというものは素晴らしいと俺は思うな。思いもつかなかった食材の利用法をどこからか調べてきなさるのさ。先日なんか、濾した豆に塩化マグネシウムを入れて冷やしてくれって言うから、そんなもん食べられるのかって思わず言ってしまったんだけどね、お嬢様の言うとおりに作ったら、白いゼリーのようなものができたのさ。何でも大昔の食材らしいがね。食べたら喉越しすっきりで焼いても蒸してもうまいんだ、これが。それに教えてもらったクッキーのレシピも不思議なものだった。口に入れると溶けるみたいなんだ。その分、手間はかかるんだがね。あれは今までになかった食感さ…え、食べてみたいって? そうだな、あれは来週にでも作る予定だから、そんときゃ分けてやるよ。今日の分はあんまり余分がないから、これもまた今度にな」
 私は念願の菓子を食べる機会を手に入れることができた。…ではなく、料理長はお嬢様の新しいものを生み出す発想力に感心しているようだった。お嬢様は何事に対しても楽しそうに取り組むことが多いと、護衛として御側にいると感じることが多いのだが、食事の際はいっとう嬉しそうにしていることが多い。恐らく、食いしん坊というものなのだろう。このまま新しいお菓子を作り出して行って欲しいものだ…。

 
 証言その五。絵画好きの閣下。
「あの子の学びたいように学ぶのがいいと、私も思っているさ。父は私には色々と失望したみたいだから、夢を果たしてくれる相手がいて嬉しいだろうしね。君が教えていることも、あの子の為になればこそさ。本当はあの子が自ら何かをするような状況に陥らないことが肝要なのだがね。その辺は期待しているよ、大尉。あの子の勉学に対して、まあ正直に私の思うところを述べるなら、あのような学問をしてこの先どのように役立てるのだろうと私は思わぬこともないがね。軍学は貴族のご婦人に求められる教養ではないからね。そうだ、そんなことよりこのヴァン・リガルドの描いた帝国歴386年の作品を見てくれ。この花の部分の下塗りに暗い青を用いているんだ。その上に明るい赤を重ねるからこその色合いというものだ」
 今度は本当に呼び出され、私は子爵の絵画に対する熱弁から逃れることができた。私は絵画に対してまったく素養がない。赤も青も重ねたら変な色になるのではないかとしか思えないのであるから、これは幸いなタイミングというべき呼び出しだった。

 通信画面を確認すると、護衛対象の少女からの呼び出しである。私は廊下を可及的速やかに歩き、呼び出した相手の部屋への扉をたたいた。
「ヘルツ大尉です」
「どうぞ入って」
「失礼します」
 私がいま御側につき護衛の任を請け負っている対象は、いまだ十歳の黒髪黒眼の小さな少女だった。しかしこの少女は、年頃に見合わぬものの考えや発言をする、標準的な十歳とは違った子供である。
「呼び出して御免なさい、できれば早めにやっておきたいことがあって…」
「どうかなさいましたか?」
「訊きたいことがあるんだけれど、十四歳の男の子って、どんなものを貰ったら嬉しいと思います?」
 ぴんと来るものがあった。
「この間の誘拐のことを知った彼が、お見舞いってお花と最新版の経済データ集を下さったんだけど…」 経済データ集。それは些か変わった贈り物である。さすが財閥ヴィーゼ家の嫡男といったところだろうか。
「わたし、あの年頃の方が何を喜ぶかわからなくて…でもお返しは早い方がいいし、ヘルツ大尉なら何か良い知恵がおありかと思って」
 私を頼りにしてくださるとあれば、応えてあげたいと思う程度には少女に対して愛着を感じている。
 相手は大貴族の息子。下手の贈り物はできない。とはいえ、この類の贈り物はベーシックが良いというのが私の考えである。
「…そうですね、心づくしの手紙と、ペンなどいかがですか? いくつあっても困らないものですし、仰々しくもないお返しではございませんか?」
「ペン…いいかもしれない。彼も机に向かうことが多いだろうし」
 実はペンには手紙や消息をくれという催促の意味も込められていたりするのだが、その暗喩をお嬢様はご存知なかったようである。
 その気になった少女は、すっかり上機嫌でその案を採用すると仰って下さった。
 私が投じた一石が今後どのような波紋を描くのか、楽しみと思わぬでもない。
「あ、そうだ、ヘルツ大尉」
 下がろうとしていた私を、ソプラノの心地よい声が呼びとめた。
「はい、何でしょう」
「さっき料理長から聞いたんだけど、お菓子、興味があります?」
 ここは正直に答えるべきか、率直にいえば迷った。大の男が、しかもいい年した軍人が菓子好きなど気恥ずかしいことこの上ないからである。
 しかし、幾ばくかの逡巡ののち、己を偽って得るものは少ないと私は小さく頷いたのだった。
「ええ、お恥ずかしながら、菓子の類は…好きなのです」
「やっぱり、いつもじっと見てるなーって少し思ってたの。ふふ、それじゃあ今度から一緒に食べましょうよ。私が料理長に作ってもらった新しいお菓子、一緒に試食しましょう!」
 小さな子供だというのに、この少女はいつも意外なことを言って、私を面白がらせてくれる。
 どこの令嬢が、自分の護衛官とお茶を共にしようというだろうか。
 しかしこの少女は、しようというのである。何のてらいもなく。
「ええ、喜んで」
 そして私は一層の深みにはまり込むよう、すぐにひとつしかない答を返したのだった。
 

とある青年士官の一日



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